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テッカバ!  作者: 閂 九郎
CASE1 その男、幸運につき
2/19

BET-1 【殺人】1.人を殺すこと。2.この世で最も割に合わないもの。

【鉄火場】てっかば――――1.賭場の中でも特に違法なものを言う。

                   2.国家探偵組織「犯罪賭博場・鉄火場」の略称


      



      ようこそ、犯罪賭博の世界へ…………

 

 ……死ねばイイっ!

 数時間前から頭の中を延々と駆け巡っているワンフレーズ。この六文字半の簡潔な言葉はきっと誰でも一度は思ったことがあるはず。

 それは大抵の場合友達同士のふざけ合いであったり、お互いむきになってしまった口喧嘩の到達地点。

 つまりはこの言葉が本気で使われることは非常に(まれ)で、メールやら口頭やらで街中を飛び交っている「死ねばイイ」はほぼ確実に冗談の類なの。

 それともあなたは本気の覚悟で誰かが死ねば良いと思ったことある?

 本気の覚悟っていうのは単に強い憎しみや自暴自棄じゃなくその人を殺すときの感触、返り血、逮捕、一生付きまとう人殺しのレッテルをすべて考慮し受け入れた上での覚悟よ?

 よーく考えてみて。本当にその人は死んで良かったの? もしも今そんな事を考えていたならすぐに家に引き返して熱いシャワーでも浴びて落ち着くことをお勧めするわ。だって殺人って割に合わないもの。

 人を殺したら捕まるのよ! 刑務所に何十年も閉じ込められるし、マスコミを通じて全国に殺人犯の肩書き付きで名前が触れまわられる。きっと事件とは関係ない自分の趣味やら持ち物やらを(さら)されて、顔も覚えてないような小学校時代の同級生が「おとなしくてあまり目立たない子だった」とかテレビで知った顔で得意げに話すわ。中学時代の卒業アルバムに書いてあった将来の夢や作文に少しでも変った所があれば「この頃から既に被告は異常だった」ってニュースに取り上げられるし、ごく平凡な事が書かれていたとしても「どこにでもいる若者が殺人鬼に変わるまで」とか安っぽいタイトルの特集コーナーで主婦の暇つぶしにされるの。

 人一人殺しただけでコレよ……ね? 割に合わないでしょ?

 ……え?偉そうに言う割にお前もさっき同じことを考えていたじゃないか、って?

 そう、私は今人を殺そうとしている。その理由を説明するには少し時間を巻き戻さなきゃならない……。




「どうしたの? かりん」

 一限目の講義を終えて三号館校舎の外に出た私を待っていたのは、顔を真っ赤に泣きはらした親友の姿だった。

「講義に来てなかったから心配したんだけど」人の流れを止めてしまっている事も忘れてかりんの顔を覗き込む「大丈夫?」

 無論大丈夫なはずがないのだ。

 女と言うのは見た目よりかなり頑丈にできていて、ほとんどの面倒事は山が過ぎるまで誰にも悟らせない。自分の中で整理がついて、口外しても自分が不利益を被らなくなるのを見計らって親しい友人間の雑談のタネにして完全に処理を終える、そんな精神衛生を保つサイクルが本能的に女には備わっている。

 私が大学に入学してから最初に出来た友達、柘植(つげ)かりんは、しおらしいながらもしっかりした娘でそういったサイクルを働かせているはずだった。つまり尋常ではない何かに彼女は巻き込まれているわけで、そんな彼女に「大丈夫?」などと言ってしまった自分が嫌になる。私は妙に無神経な所が昔からあるのだ。

「ごめんなさい……由佳(ゆか)……助けて」

 (かす)れた声で目に涙を溜めながら言う彼女を、誰が助けないでいるだろうか?

 初夏の温かな日差しの中、微かに震えるかりんの肩を支えて私は人目に付かない場所を探した。


高槻(たかつき)教授なの……」

 広い大学敷地の端にある木陰のベンチで私の隣のかりんは打ち明けだした。

 彼女が言うには次の通りである。

 私たち一年生はまだ必修課程を履修中でそれぞれの教授が持つゼミに参加することは出来ない。しかし見学をすることは可能で勉学熱心なかりんは春先から暇を見つけてはあちこちの研究室を回っていた。

 そして昨日行ったのが高槻教授の研究室。研究内容に大いに興味を持った彼女は教授や先輩のゼミ生とすっかり話しこんでしまい、そのまま彼らの飲み会に同行してしまったという。

 当然ながら入学したてのかりんは十八歳。飲酒は違法で彼女もジュースやウーロン茶で付き合っていたのだが、次第に周りの者が酒を勧め出した。

 ゼミを熱心に回る辺りからも分かるようにかりんは真面目な娘だ。適当にあしらって断っていたが、始めこそ冗談混じりだった勧めも段々と命令口調に、最終的にはほとんど脅迫だったという。

 「良いから黙って飲め」教授にまで強情な姿勢で酒を差し出された彼女は飲んでしまった。そしてその瞬間を狙って携帯のカメラを構えていたゼミ生に撮られてしまったのだ。

「今日の夕方研究室に一人で来い、って……言うこと聞かなきゃ学校と親に画像を見せる……誰にも言わずに言うことを聞けば許してやる、って……」

 ……あのエロ親父め! ……。

 その瞬間だった、最初に「死ねば良い」と思ったのは。

 聞けばかりんが()められたのと同じような手口で高槻とそのゼミ生は毎年気弱そうな見学生を狙って罠にかけているらしい。かりんはその噂を聞いたことがあったが大学の先生がそんな事するはずない、と思っていたそうだ。

 かりんはひたすら私に謝った。迷惑かけてごめんなさい、こんな話しちゃってごめんなさい、私の不注意だったのにごめんなさい、巻き込んじゃってごめんなさい……。

 どうやら彼女が一番気がかりだったのは、高槻たちが己の悪行を隠ぺいしようとして私になんらかの口封じをすることだったようだ。そんな事を思うなら話さなきゃいいものを……何て邪険な扱いは私には出来なかった。

 彼女は怖かったのだ。昨晩は眠れずに泣きとおしたのだろう。飲酒発覚による処分も呼び出しも同じくらい怖かったのだろう。そんな恐怖に囚われた彼女が勇気を振り絞って助けを求めたのが私だったのだ。――助けるしかない。

 そもそも飲酒なんてそこらへんの一年生だって(私も含めて)やっている事なのだ。ましてや写真を撮られたと言ってもビンから直接飲んでいたりしなければ「ジュースでした」で誤魔化せる。

 そんな冷静な思考も出来ない程、真面目な彼女は追い詰められてしまったのだ。それを見越した上で罠をかける相手を選んでいる高槻がなお憎い。

 私はこの娘に期待されている。頼られている。……それに応えなくちゃならない。

 目の前で涙をこぼしながら謝り続ける彼女の想いに比べれば、割に合わない殺人なんて軽いものだと考えた。




 私は今、高槻の研究室の前の廊下の角に隠れている。

 雑然とした廊下には使いっぱなしのモップや何かの気体が詰められている大型のガスボンベなど、気を付けていなければ足をつっかえてしまいそうな物品が壁に立てかけられている。

 袖口に隠した包丁は先ほど学校生協で購入してきたものだ。ステンレス製でピカピカに光った刀身はどんなものでも貫けそう。

 ――――そう。研究室に居る高槻の心臓も。

 ゼミ生は全員講義に出ているのを確認済み。今研究室に居るのは高槻だけ……。

 ジワリ。汗が噴き出て頬を伝う。

 部屋に押し入って刺そうか? それとも出てくるのを待つか……。

 不用意に部屋に入れば指紋や髪の毛といった証拠を残してしまうかもしれない。その点廊下ならいくらでも言い訳が効くが、もたもたしているとゼミ生が戻ってくるかもしれない。

 ……よし、入ろう。そう思った瞬間ドアが開いた。

 無言で私はドアから出てきた人物に突進した。さながら颯爽とビルの間を通り抜ける夏の風のようにまっすぐ高槻の懐に入り込んだ私は、ハンカチで握った袖口の包丁を奴の左胸に突き出す!

 自分で言うのもなんだが、初めてとは思えないくらい手際が良かったと思う。鈍い感覚が右手から伝わってきて、刺した勢いでのタックルまで受けた高槻は壁に立てかけてあった三本のガスボンベに叩きつけられ、動かなくなった。


 ……ふぅ。

 高槻に背を向け呼吸を落ち着ける。自分の仕業とは言え死体はあまり眺めたくない。

 終わった。永遠とも思える時間を待った後でやって来た勝負の一瞬はあまりにあっけなく、味気なかった。でもこれで良い。これでかりんは救われる……。

「まったく、手際の良い人だ」

 突然後ろから肩に手を置かれる感触がした。信じられない……廊下には私と死体しか居ないはずなのに……。

 つまり今私に話しかけているのは高槻しかありえない……。

 仕留め損ねたか? そう言えば刺した瞬間の感覚が妙に硬かった気もする。

 冷や汗が全身から噴き出し、息が出来ない。振り返って確かめれば全てが終わってしまうような気がして振り返れない。

 後ろから高槻のもう片方の手が伸びてくる。手は震える私から一滴も血の付いていない包丁を静かに奪うと床に捨てた。

 そこで何かおかしいと気付く。高槻にしては相手が妙に落ち着いている。武器を奪っておきながらそれを放棄するのは卑劣な奴のすることとは思えなかったのだ。

「殺人はやめておきましょうよ。割に合いませんよ?」

 ゆっくりと振り返ると、そこに居るのはハゲかけた中年の高槻ではなく、妙に逆立った髪をした一人の若者だった。

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