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テッカバ!  作者: 閂 九郎
CASE3 緋色の点数
18/19

BET-17 噂話+疑念=事件

 ……何故自分は勝てないのだろう?


 毎日死ぬほど勉強してる。目まいがする程、親にもやり過ぎだって言われるくらい。

 家に帰って部屋に居る時は寝ているか、机に向かっているかだ。よく自分より勉強に情熱を注いでいる人間は他に居ないんじゃないかと思う。と言うかほとんど確信に近い。だって自習だけでも一日平均五時間は費やしてるんだから。

 そして人間関係。僕はクラスの誰よりも周りに気を配っている。

 どんな下らない悩みでも親身に聞いてやり、クラスの人のメールアドレスなら全員分知っている。しかもその全てと週に一度はメールするようにしているんだ。話す事の無い相手とでも。

 よく言うでしょ? 人間勉強ばかりじゃかえって駄目になる。勉強が出来るよりも人と仲良く出来て友達が多い人の方がずっと偉いんだ、って。それが大人の大好きな綺麗事だってのは分かっているんだけど、世間がみんなして同じ建前を掲げてるんだから、それに乗っちゃった方が正解だよね。


 でも……でも、でもでも……。


 どうしてあいつに勝てないんだろう……?


 僕にはまったく理解できない。

 僕の方が優秀なはずなんだ。僕の方が友達が多いはずなんだ。僕の方が人間として上なはずなんだ。

 ――でも僕は奴に勝てなかった。何回挑んでも勝てなかった。

 学校の教師や親、有名人が偉そうに語る人生の攻略法とやらは全部試してみたよ、でも駄目だった。僕はあいつが怖くて仕方がない。

 そう、怖いんだ。負けるのが悔しいとか、ムカつくとかじゃなくて、僕は単純に怖い。

 僕が今まで勉強や人間関係を始めとするありとあらゆる事で勝って来た理論が通用しない。何故あいつにだけ……あいつにだけなんだ……。

 分からないのは怖い。テストで解けない問題が出る度に僕はとてつもない恐怖に襲われるが、この恐怖の対象は実在している。ちゃんと幅と奥行きと高さを持っていて、日曜を除いた毎日僕と同じ教室に収まっている。

 怖い。怖い怖い怖い……怖い。


 僕は震える手で参考書の重要個所にマーカーでラインを引いた。案の定ぐにゃぐにゃの線になる。

 天井の電気は点けているのに何故かこの見慣れた自室が薄暗く感じられ、部屋の壁と言う壁から監視されているような気分になる。いや、あざけられているのか。

 今の精神状態じゃこれ以上勉強しても集中出来ないだろう。いつもは嫌う言い訳だが、進まない物は仕方がない。僕は向かっていた勉強机に乗っているデスクトップパソコンを起動した。

 起動を待つ間に面積を取る参考書類はまとめてベッドに放り投げた。すぐ再開する予定だから多少バラけても大丈夫。

 すると僕はEメールが届いている事に気が付いた。

 送り主を見れば「人間採点所」。この間掲示板で宣伝しているのを見つけて試しにアクセスしてみたサイトだ。

 何でも年齢や経歴、性別、最近の悩みなど様々な個人情報を入力する事でその人間を100満点の点数で数値化するサービスだとか。無料サービス期間中だったので僕も占いのような感覚で入力してみた。

 詳細な情報を入れれば入れる程正確な採点結果になるそうだが、流石に住所や電話番号まで教える気にはなれなかった。期待に胸を膨らませながら「採点結果通知」というタイトルの受信メールを開く。

 何点行くかな……80? 90? もしかしたら……100行くかも! だって僕は勉強も人間関係も完璧だし。苦手な運動関係の入力項目は無かったから、100点だって不可能じゃないはずだ!

 たかが占いと思いながらも、真剣に高得点を望んでいる僕が居た。そして表示される結果――。

「……え?」

 ――28点。総合評価の欄に書いてあったのはあまりに予想より低い数字だった。

 ……何で?

 採点の詳細を見てみるとどの要素もトップクラスの点数。しかし最後の「特殊評価」の欄で50点以上の減点を食らっていたのだ。何故だかまったく理解できない。

「……たかが占いだろ」

 そう呟きながらも納得が行かず、更に画面をスクロールするとどこかへのリンクと一緒に次のような文章があった。


 ――あなたはあなた以外の外的要因によって減点を受けている特殊な人間です。それを取り除いて点数を上げたいのでしたら、下記のリンクから「復讐ドリル」をダウンロードして下さい。


 復讐ドリル? 何だそれは? 趣味の悪い駄洒落である。

 しかしその前の文が気になる。あなた以外の外的要因――あいつの事か。そう言えば悩みの欄にあいつの事を書いた覚えがある。

 そうか。あいつは僕にとっての障害なのか。居るだけで無意味に僕の価値を下げる害虫みたいな存在なんだな。やっぱり僕があいつに勝てないのは僕じゃ無く、あいつのせいなんだ。

 ――なら害虫は駆除しなくちゃね。

 僕はリンクをクリックして、そこからダウンロードしたファイルを開く。出て来たのは数ページに渡るテキストファイルで、僕が害虫をどう駆除すればより価値ある人間になれるかが書いてあった。

 ――素晴らしい。完璧だ。

 僕は薄暗い部屋の中でパソコンを前に笑っていた。声には出さず、両方の口の端を思いっきり吊り上げて笑っていた。こんなに愉快なのは久しぶりだ。


 僕は害虫を――あいつを排除する。そして僕自身の点数をもっと上げるんだ……。




「ねえ、採点者グレーダーって知ってる?」

「知ってる知ってる。人間の点数出してくれるあれでしょ?」

 気が付くと私の大学でもこの噂が広まりだしていた。

 ――採点者グレーダー。人間を100点満点で採点する者。

 夏休みが近づいたキャンパスを歩くとそこかしこでこの話が聞こえてきた。自分が高得点の評価を受けたと言う自慢、あんな個人情報入れただけで人間の価値は分かるわけがない、そもそも人間なんて点数化出来るかよ……思う所は人それぞれだが、誰もが興味津々のようである。

 私が数札持ちに採用されてから一週間。その間特に事件へ派遣される事も無かったので一度も鉄火場には顔を出していない。ギャンブラーは多くが副業持っている為、呼ばれなければ出勤しないのが普通だそうだ。

 私の本業は学生。そろそろ受験期の貯金も無くなってくる頃だ。本格的にギャンブラーの業務が始まったら勉強の時間がろくに取れなくなりそうなので講義は今まで以上に真剣に聞いている。

「以外と真面目な人ですね、黒御簾さんは」

「ミッスン、たまにはカラオケとかゲーセンとか行って遊ぼうよ」

 私が昼食を学食で食べた後にそのまま次の講義の予習をしようとノートを広げると、一緒に食べていた唄方くんと奈々子が言った。

「あんたたちこそ勉強しなくて良いの? 次の講義いつもの小テストあるのよ」

 もちろん成績に関係する。理系に進んでおきながら私は暗記が苦手なのだが、次の講義の講師は毎回必ず冒頭に小テストを行う。

 私が勉強に苦しめられる原因の四割くらいはこの講義のせいだ。必修なので放棄する事も出来ない。

 しかしいつも切羽詰まっているのは私だけだ。

「あのテストいつも選択式じゃないですか。適当に書けば丸になるでしょ」

 醤油ラーメンのスープをレンゲで口に運びながら言う唄方くん。彼は上着に袖を通さず羽織るのが好きなようで、今日も和風な色合いの蝶が描かれた綿シャツを羽織っている。

 人は運が良いと言うだけで人生のほとんどの難関をやり過ごせてしまう。そしてその原因がどこにもないから酷く理不尽だ。

「……そりゃ唄方くんはね、唄方くんは。奈々子は予習しないの?」

「私に化学の暗記テストを勉強しろだなんて言う人初めてだよ」ムスッとした顔で答える奈々子。

 そうでした。この科学オタクに理科系の講義の予習なんて必要ないのだ。基礎教養しか必修が無い今、この子はほとんどの講義を寝て過ごしている。(そしてその姿に癒されている男子多数)

 私は溜息を深くつき、ノートに目を落とす。この人たちと関わるようになってから溜息をつく頻度が著しく上がった気がする。

 駄目だ。私はこの二人の前では集中出来ないと思い、一言断って学食を出る。講義までどこか涼しそうなベンチを探そう。




 信楽警部と出会ったのはちょうど人通りの少ない構内の一画のベンチに着いた時である。

「やあ、黒御簾君。そう言えば君はここの学生だったんだな」

 角を曲がった時に私と鉢合わせになった警部は一瞬驚いた顔をした後、すぐに納得した様子で声をかけて来た。

「刑事さん、どうしてここに?」

「刑事じゃなくて警部なんだが……捜査の機材なんかの撤収作業だよ」

 お決まりの訂正を入れた後、警部はベンチに腰かけた。私もそれに倣う。

 この間の採用試験での事件では、警部は部下の京橋さんと一緒に赤坂探偵を護送して行ったから、私はその後の会議で数札持ちになった事を報告した。警部は驚いた顔をしたものの、きちんとお祝いを言ってくれて、「あまり警察の邪魔をしないでくれよ」と釘を刺した。

「柘植かりん、どんな質問にも素直に応じているよ」

 報告が終わった段階で、警部の方からその話題になった。後片付けという言葉が警部の口から出た時から薄々分かっていたが、今日警部がここに居るのはかりんの事件に関係しているのだろう。

「保身のために銃まで使おうとした割に捕まってしまえばおとなしい。このまま進めば異例のスピード裁判になるかもしれん」

「そう……ですか」

 私の口からはそれしか出てこなかった。

 かりんがおとなしく自分の罪を認めているのは嬉しい……と言うか、正しいと思う。でも何だかそれ以外にも沸き上がって来る物がある。もっと不安定で、もっと衝動的な何か。

 寂しさが一番近いだろうか? 沸き上がって来るマーブルカラーの感情の中で一番割合が多いのはそれな気がする。友達が転校して居なくなってしまう時のような、あの寂しさ。

「我々警察としても罪を償って更生してくれる事を祈っている。殺人事件だから裁判員ありの裁判になるだろうし、高槻の脅迫の件を加味すれば黒御簾君が思っている程重い判決にはならないだろう」

「……素直に喜べませんね」

 私は一旦言葉を切って地面に目を落とす。

 かりんは言っていた。――「可哀そうだと思う。私はあの人に脅されて、酷いことされそうになったけど、それでも私は高槻教授を可哀そうだと思う。少しはいい気味だって考えたけど、そんな事きっと考えちゃいけないんだ」――。

 かりんの罪が軽くなることは本当に正しい事なんだろうか? 相手に脅されていたら人を殺して良いんだろうか?

 私はこの事を喜んで良いんだろうか?

「かりんは高槻の事を可哀そうだと言ってました。彼女が彼を殺したその日にです」

「それは疑いを向けられないようにする為の演技だったんじゃないかね?」

「でも……私それを聞いてかりんをこれからも信頼して行こうと思ったんです。この子は正しい事を分かってる、って。なのに実際には……かりんは……」

 犯人でした。最後の一言が言えなかったのは、喉の奥の方からやって来た嗚咽がそれを押しのけたからだ。必死でそれを抑え込む。

 警部は黙って植木以外何もない正面の空間を見ながら、私の声を聞いていた。慰めるような真似はせず、ただ淡々と。

「私、何が正しいのかよく分かりません」

 採用試験での事件もこの悩みのきっかけの一つだった。どういう事が本当に正しいのか、正義なのかが今の私にはよく分からない。

 正義の名のもとに人を殺してもいいのだろうか? 防衛の名のもとに人を殺したら刑罰は軽くなって当然なのだろうか? 私の中の道徳はノーと叫ぶが、イエスと断じてしまいたい私も居る。

 こんな私がギャンブラーなんかやって良いんだろうか? その重荷から逃れるように私はこの一週間勉強に没頭していた。もっともらしい建前を作って、自分の迷いから目を背けながら。

「黒御簾君が分からないなら、あの寝ぼけた探偵が助けてくれるんじゃないかね? 君だって今はギャンブラーだろう?」

 警部が優しく言った。唄方くんの事だろう。

 ……そうよね。私には仲間が居る。こういう悩みや迷いを共有できるであろう仲間が。

「ええ、そうでした。早速あのバカに相談してみる事にします!」

 勢いよく立ちあがる私。から元気だったが、警部の言葉で気持ちが軽くなったのは本当だ。

「多分まだ学食に居ると思うんで、警事さんも挨拶しておきますか?」

「刑事じゃなくて警部なんだが……唄方探偵は今この大学に居るのかね?」

「ええ、彼もこの間の事件の日に編入して来たんです」

 言った瞬間、警部のリアクションは呆れた顔、あるいは驚きだろうと思っていた私に警部は眉をひそめた。

 人が同じような表情になる瞬間を見た事がある。これは何か胡散臭い事を勘ぐる時の顔だ。

「編入? あの日に?」

 何かおかしい事でもあるのだろうか?

「黒御簾君、確か唄方探偵はあの事件の後で君のサポート役に任命されたんだったよね?」

「ええ、そうですけど」

「事件の前に彼が君と同じ学校に入って来るなんて……偶然にしては何か怪しい」

 偶然。唄方くんと関わるようになってから私の周りに付きまとう言葉だ。

 警部は何か考え込んでいるけれど、私はそれほど怪しいとは思わない。ギャンブラーは基本的に副業を持っているようだし、鉄火場の仕事でキャンパスに来た唄方くんが気に入って入学するのがそんなにおかしい事だろうか?

 第一、彼がサポート役に任命された事と入学は絶対に関係しえない。警部は根本的な事を見逃している。

「だって信楽警部、彼が入学したのは私が試験に合格する前の事ですよ。もし彼が鉄火場から私のサポートをしやすいように送り込まれたのだとしたら、どうやって事前に試験の合格者を知れるんですか?」

 しかし、警部はあっさりこの理論を崩した。

「君以外の受験者三人について思いだすんだ。一人は警察が送りこんだ京橋で、二人は神田の内通者。本来なら合格させられるのは君だけだ」

 ――私だけ?

 言われてみればその通り。もしも鉄火場側が何らかの情報ルートで受験者の詳細な情報を知っていれば、消去法で合格できるのは私だけになる。

 まさか――私は合格したんじゃなく、合格させられた(・・・・・・・)

 夏は目前で蒸し暑いと言うのに、私は肌寒さを感じて半袖のシャツから出た肘をさすった。

 唄方くんの話では鉄火場の上層部が大学に圧力をかけて編入試験を行わせたとの事だった。たかが一人のギャンブラーの為にそこまでするだろうか?

 動かされている。自分の意思でギャンブラーになったのではなく、何か大き過ぎて見えない様な存在が私の体に糸を付け、遠くから操っているような恐怖に襲われた。

「もしそうだとしたら、鉄火場は何を考えてるんですか?」

 分からないのが何より怖かった。警部の言う通りだとしたら、唄方くんを私に貼りつけて置くことに何の意味があるんだろう?

 警部は帽子を被った頭を小さく横に振り、答えた。

「私にも分からない。あくまで一つの可能性だしな。考えられる理由と言えば、君の事を唄方探偵に見張らせることくらいか」

 でも、こんな普通の女子大生を監視した所で一体誰が得をするの? 十八年間生きてきて国家機関にマークされるような事をした覚えは無い。法律を破った事と言えば新入生歓迎会での飲酒と信号無視ぐらいだ。

 頭の中が不安で満ちて行く。一度増幅し始めた疑念はみるみる内にその速度を増し、私を呑み込んでいく。その時警部が何か呟くのが聞こえた。

「え?」

 訊き返す私。

「逆じゃ無ければいいな、と言ったんだ」

 意味がよく分からなかった。逆って……私が唄方くんを見張る、って事?

「あまり気にしないでくれ。あくまで老いぼれ刑事の妄想だよ」

 そう言って軽く手を振りながら、背中を向けて並木の間を歩いて行く警部。署に帰るのだろう。

 私の信楽警部は今去って行く。私の悩み事を一つ余計に増やしてくれやがった。

「信楽警部!」

 私が呼びかけると警部が振り返った。最後の警部の台詞で一つ気になったので尋ねる。

「刑事じゃなくて警部でしょ?」

「……これは一本取られた」




 始業には早かったが一足先に私が講義室に入ると、唄方くんと奈々子が空っぽの教室で待ち構えていた。さっきの警部の考えを思い出して私はにわかに緊張する。

 机に腰掛けた唄方くんが言った。

「黒御簾さん、次の講義はサボりましょう」

「何で?」

 私が反射的に尋ねると、黙って唄方くんは携帯を取り出す。

「多分黒御簾さんのにも届いてます」

 彼が開いているのはメール画面らしい。慌てて自分のシンプルなデザインの携帯を開く。受信メール一件。


『黒御簾探偵へ招集です。至急鉄火場会議室まで』


「さあ黒御簾さん、事件ですよ」

 唄方くんがニヤリと笑う。

 いつもなら頼もしく思える笑顔だが、今日ばかりは少々不気味に見えた。

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