BET-14 致命的な逃げ道
――指定の時間、私たち受験者が最後の結論を出す時になった。
劇場は再び大勢のゲストで満席になっている。壁に張り付くようにしてあちこちで目を光らせているのは信楽警部の部下さんたちだ。
私たち受験者四人は再びステージ上の椅子に座らさせられている。神田さんの死体はもう解剖に回されてしまい、ステージの真ん中に赤黒い乾いた血の痕が残っているだけである。
「亡くなった神田探偵に代わりまして試験官を引き継ぎましたスペードの7、唄方と申します。これから先のこの賭博の仕切りは私がやらせて頂くことになるので、以後よろしくお願いします」
マイクを持った唄方くんがステージの端で客席に向かって頭を下げた。
唄方くん……どうしたんだろう? さっきのあの冷酷な態度といい、今の真剣な表情といい彼らしくない。私はまだ会って三日だから彼がどういう人間なのかはっきり知らないが、少なくともこんな淡々とした人ではない気がする。
私のもやもやを他所に唄方くんは続けた。
「これから四人の受験者には事件を解決してもらうのですが、誰が実際に解決できるかについて会場の皆さんには既に金銭を賭けて頂いております。まずはその集計結果をお見せいたしましょう」
唄方くんがカーテンの裏側でコンピューターを構えて待機していたディーラーに合図を送る。ステージの上からスクリーンが降りてきた。
私たち受験者の間に緊張が走る。
赤坂は普段より一層眉間のしわを濃くし、平静を保っているが内心結果が気になっているのが分かる。京橋刑事は最早隠そうともせず「どうしよう……緊張する」と一人でボソボソ言っていて、さっき警官に連れられて帰って来た上野さんはそんな事より早くこの場を立ち去りたいと言う様子だ。
私は信楽警部の言っていた事を思い出す。上野さんは神田さんと裏で繋がっていて、不正な不正な取引としてギャンブラーになる予定だったらしい。それがバレるのが怖くて逃げだそうとしたのかな?
そして、スクリーンに集計結果が表示された。……当然と言えば当然、圧倒的だ。
「御覧の通り、賭博の参加者の内一人を除いて全員が赤坂氏にベットしています」
棒グラフで表示された人数の内訳はダントツで赤坂が最多。他には私にベットした人が一人居ただけで、京橋刑事と上野さんはゼロだ。
……って何で私に賭けてる人が居るの!? こんなただの女子大生、普通に考えて推理勝負で勝てるわけないじゃん! 競馬で大穴と称して誰も賭けない馬を選ぶ人が居るけど、そんな感じなのだろうか?
「まぁ、赤坂探偵は既に推理を披露しているので当然の結果でしょう。今言った通り既にこの事件は筋の通った推理がなされているのですが……」
唄方くんが言葉を切って私たち受験者を見る。
「誰か先程の赤坂氏の推理に異論のある方は居ますか?」
しーん。会場が静まり返る。
誰も反論しないのに気を良くしたのか赤坂が満足げに鼻を鳴らした。――その時、
「はい」
私は短く声を上げて立ち上がる。それを見て一瞬、唄方くんが嬉しそうに微笑んだ気がした。
途端にざわめく会場。
「おい、あの女の子推理する気か?」
「無理だろう。赤坂の推理で答えは出てる」
漏れ聞こえてくる話し声に少しイライラしたが深く息を吸って呼吸を整える。そうだ、私には確信がある。犯人は九谷さんじゃない。
「それでは黒御簾さん、推理をどうぞ」
馬鹿丁寧な仕草で近づき、唄方くんが私にマイクを渡す。僅かな間重なり合った手に少し勇気づけられた。
もう一度深呼吸。やってやれ! 黒御簾由佳!
「――さて」
「まず始めに私の主張を言わせてもらうと、九谷さんは犯人じゃありません」
会場が再びざわつく。赤坂は目元を少し動かすがまだ何も言ってこない。
「そもそも彼女に舞台上で神田さんを刺し殺すメリットが無いんです。なにしろ公衆の面前で犯行を行うのですから。仮にやったとしても赤坂……さんの推理を聞いたた直後に自白する必要はありません」
私は赤坂に敬称を付けるかどうか一瞬迷った後、付けることにした。
「犯人のメリット」という発想はこの間の事件で唄方くんから学んだ考え方だ。
「それでは逆に舞台上で神田さんを殺すのがメリットとなる人間について考えてみましょう」
私はまだざわめきを残している客席を見渡す。こんな大人数相手でも意外と喋れるもんだ。
「つまりステージ上が犯行現場となることで自分から目をそらす事が出来る人間。それって実は考えてみると私たち受験者四人なんです」
ニヤリ。唄方くんが今度ははっきり見て取れる形で笑った。どうやら私の考えは間違っていないらしい。
「でもミッスン、犯行の瞬間受験者は誰も神田ッチに近づいて無かったよ」
足元で声が聞こえたので見下ろすと私の真下、ステージのヘリにしがみつくようにして奈々子がこちらを見上げていた。
そう、あの瞬間なら九谷さんしか神田さんを刺せない。あの瞬間なら、ね。
「まさに犯人の狙いは奈々子の言った事だったんです。あの瞬間に神田さんが殺されたのなら犯人は九谷さんしかありえない。同じステージ上に居ても私たちが疑われる事は無いんです」
そして私はこの推理における第一の要点を言った。
「つまり、私たちは偽物の犯行を見せられたのです!」
会場が三度目の沸騰を迎えた。ここは詳しく説明する必要があるだろう。
「そもそもあの犯行シーンは神田さん本人が試験用に仕立てた偽物の殺人事件でした。九谷さんが使ったナイフも偽物、噴き出た血も偽物です。つまりあの瞬間までは全て試験官の神田さんが用意した通りのシナリオで事が進んでいました」
おそらく神田さんは赤坂が説明した手順で犯人役の九谷さんを見つけさせる謎を出題する予定だったはずだ。大勢のゲストを楽しませる為のエンターテイメントとしての色合いを優先した構成だったのだろう。
「よってあの時神田さんが倒れたのは彼の演技、彼は生きていた事になります。彼が殺されたのはそれより少し後、九谷さんが客席に飛び込んだ後の混乱の最中だったのです」
これが第二の要点。後は結論へ一直線だ。
「混乱が収まった後で神田さんが本当に死んでいる事が分かれば、当然状況的に疑われるのは九谷さんです。しかし真犯人は用心深く、それ以外にももう一つ確実に九谷さんに罪を着せる方法を用意していました」
「方法?」
奈々子が首をかしげる。
ゴクリ。私は唾を飲み込む。……これが核心だ。
「真犯人は自らの推理によって九谷さんが犯人だと偽の証明をしたんです」
時間が止まったように感じられた。
音を立てる物は何一切なく、誰も微動だにしない。
多分誰もが私の言葉に唖然としているのだろう。私自身この結論はあまりに突飛だと思う。
私は右手の人差し指を上げ、一人の人物を指差す。しっかり狙いを定めぶれないように、絶対にぶれないように一人の男を指差す。
「犯人はあなた、それが私の結論です」
指の延長線上、赤坂が無表情な顔で私を睨み返した。
「やれやれお嬢ちゃん、いきなり何を言い出すんだ」
会場は静まり返ったまま。視線という視線が私と赤坂の二人に注がれているのが分かる。
困ったもんだ、という態度で立ち上がる赤坂。そのまま頭の後ろをさすりながら私の正面まで来る。
「俺が神田のおっさんを殺した? そんな証拠何処にあるんだよ?」
「そんなもの無いわよ」
「証拠もなく人を殺人者呼ばわりしちゃいけないって学校で習わなかったか?」
首を曲げ、斜めから見下ろすような形で眼を飛ばしてくる赤坂。そんな事で動じるもんか。
「確かに証拠は無いわ、今はね」
「……今は?」
「私の考え通りだとしたら真犯人は九谷さんが使った偽物のナイフを今も持っているはずなの。死体に刺さっていたナイフは一本だけ、当然それが実際の凶器だから偽のナイフは真犯人が回収したはず。警察が現場検証をずっとしていたからそこら辺に捨てたとは考えにくいしね」
「……」
「私たちは警察が来てからも状況的に無関係の人間として身体検査を受けていないわ。検査を受けて偽のナイフが見つかればあなたの負けよ」
「……はっ! やるじゃねえか」
子供をあしらうような笑みを浮かべて上着のポケットに手を入れる赤坂。
「確かにお前の言う通り、俺は偽物のナイフを持っている」
ゆっくりとそこから赤坂が取り出したのは銀色に輝くナイフ。赤い血がべったり着いているがこれは血糊。多分ナイフ自体も血糊袋を突き破る為だけの、刃の無い偽物だ。
よし、これで終わり……、
「おっとまだ早いぜお嬢ちゃん。俺がこの偽のナイフを持っていたからって、それが何なんだ?」
堂々と赤坂が言う。その表情は自信に満ち溢れ、微塵の焦りも見えない。
――やっぱり、あの逃げ道を使うのか。
このトリック、赤坂が神田さんと内通していて神田さんが用意したパフォーマンスとしての殺人事件の内容を知っている事が前提なのだ。
犯行に使う本物のナイフは用意された偽ナイフとほぼ同じ見た目でなくてはならないし、犯人役の九谷さんが客席に飛び降りることで起きる混乱も計算に入れなくてはならない。
この赤坂と神田さんの内通という前提が彼に最強の逃げ道を与える。それはトカゲが尻尾をおとりに逃げるような物で彼自身大きな痛手を負うが、それでも殺人罪という最悪のエンディングを避ける為に彼は絶対にこの方法を使うだろう。
「俺は実は神田に雇われてたんだよ。確かに俺はあの後の混乱に乗じて神田に覆いかぶさり、あいつを助けようとする振りをしながらナイフを胸に刺したが、これは神田の命令だったんだぜ」
「ちょっと! あなたと神田氏の間には最近何もやり取りが無かったはずよ!」
京橋刑事が立って突っ込みを入れる。
確か警察の最近の調査ではそうだったが、彼の場合は最近なんて関係ないのだ。
「ああ、刑事の嬢ちゃんの言う通りだがそれがどうした? 俺は元ギャンブラーだ。正確には二年前まで神田と同じ職場に居た。別に一月おきに計画を確認し合う必要はねえし、俺がクビになる前から計画書は渡されていたんだよ。いつか神田が採用試験の試験官になったら俺を推薦するから段取り通りに手伝え、ってな」
「そんな……」京橋刑事が反論しようとするが、
「無理な話じゃない、そうだろ? それとも刑事の嬢ちゃんはこの可能性を消去しきれるだけの根拠を持ってるのか?」
消去法が得意な赤坂らしい台詞に京橋刑事は言葉を失って椅子に座りなおす。
「神田のシナリオはあの女ディーラーが犯人と言うミスリードを用意しておいて実は受験者に混じった俺が犯人、というものだった。用意されたシナリオ通りに俺は奴の胸に突き立てたよ」
赤坂は手に持った銀色に輝く刃物を掲げる。
「この偽ナイフでな」
勝ち誇ったように赤坂が笑った。それはまるで人間との契約に成功した悪魔のような笑顔。残酷でいて絶対的。
「流石の俺も少々焦っていてな。本来女ディーラーが刺したナイフを抜いてから刺すはずが、先にナイフ刺しちまってね。どうも間違えて自分で刺したナイフを自分で回収しちまったらしい」
つまり赤坂の逃げ道を簡単に説明するとこうだ。
自分は神田に雇われた仕掛け人で、あらかじめ偽のナイフを渡されていた。当日になって九谷による「犯行」が行われて神田が倒れる演技をした後自分は更に神田を殺す演技をした。その時にどうも回収するナイフを間違えたらしい。何故なら自分が回収したナイフは偽物で自分が使ったのも偽物。しかし神田は死んでしまっている為、神田を殺したナイフは九谷のものになる、と。
自分が死体に余計な細工を加えた事を自白することで殺人という大罪を逃れる、実に効率的で冷酷な逃げ道だ。
「そんな馬鹿な話あるわけないじゃん! 自分で突き立てたナイフを間違えるなんて」
奈々子が小さな体で反論する。
「人間焦ると何をしでかすか分からないからなあ。それともスペード5番の嬢ちゃんはその可能性を消去しきれるのかい?」
京橋刑事と同様、奈々子も黙らせられる。それでも奈々子はベーッと子供っぽい仕草で舌を出して反抗した。特に効果は無い。
「つまり俺が使ったのが本物のナイフでない以上、本物のナイフが神田の胸に刺さったのは女ディーラーがレインコート被って神田を襲った時に決まってる。結局真犯人はあの九谷さ」
赤坂は完璧な逃げ道を走り切り、ご満悦の様子で私を睨んだ。私は負けじと睨み返す。
……もう、容赦しない。
赤坂は自分が事件に関係していたのを認める代償として殺人の罪を逃れたつもりで居る。だが本当は彼が逃げ込んだ先はただの袋小路だ。ここで引導を渡してやる!
「要は今重要なのは本物のナイフを刺したのはどっちか、そう言う事ね?」
私は言いながら唄方くんを手招きで呼ぶ。
彼は何をすべきかもう分かった様子でやってきて、私がある指示を耳打ちすると舞台袖へ消えて行った。
「そしてその本物のナイフは発見時に死体に刺さっていたナイフ、そうでしょ?」
「……そんな当たり前の事訊いてどうする?」
薄らと不安を感じたのだろう、赤坂の顔が曇る。その時ステージ上のスクリーンに新しい映像が映し出された。
「これは……」
赤坂が声を漏らす。
映し出されたのは神田さんの死体の写真。ナイフの刃が肋骨と平行な向きになるように胸に刺さっている。これこそが私が真犯人を悟るきっかけとなった決定的な矛盾だ。
赤坂はまだ気付いていない様子。一気に畳掛けろ!
「このナイフは横向き、つまり肋骨と平行な向きに刺さっていますね?」
私は写真のナイフの部分を指差して言う。
「そこで九谷さんの犯行の瞬間を考えてみましょう。彼女は正面から突き出すようにして胸を刺しましたね? それならば……ナイフは縦方向、つまり肋骨と垂直になるように刺さっていなければならないんです」
私は自分でもあの瞬間を思い出す。人を正面から突き殺そうとすれば力を加える向きの関係で自然とナイフは縦方向になる。
「そこで反対にナイフが横向きに刺さる状況を考えてみましょう。例えば……」
私は真っ直ぐ赤坂を見据える。
「……倒れた人間の横にかがみこんで声をかける振りをしながら刺すときとか、ね」
「……」
あの混乱の中で神田さんに声をかける赤坂は体の横から倒れた体を揺すっていた。その位置関係から胸にナイフを突き立てればごく自然にナイフは横向きに刺さる。(図を参照)
混乱の中でナイフを刺した事を認めた時点で彼の逃げ道は塞がっていたのだ。凶器のナイフがあんな形で刺さるのはあのタイミングしか無い。
「もう一度言います。あなたが犯人です」
私の人差し指が真っ直ぐ赤坂を射抜いた。
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