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テッカバ!  作者: 閂 九郎
CASE2 たった一つの冴えた殺り方
13/19

BET-12 予想外の事態、いくつか

「きゃああああああああああああ!」

 悲鳴が響き渡る。

 人々が異常事態に気付き混乱し始めるその中、黒レインコートの男はゆっくりと客席の闇の中へと踊り落ちていく。

 やがてその姿は闇に呑まれ、輪郭は無数の観客の中に消えていき……ドスッという着地の音がした瞬間、それは始まった。

 男が落下したポイントから波紋するように巻き起こる悲鳴、怒号。どの客もおぞましい殺人者から逃れようと必死になって席を離れようとするが、かえってパニックに陥り身動きが取れなくなっている。

 見る見るうちに混乱は会場全体に広がった。客たちは逃げ場を求め出口やステージの上へ殺到し、ディーラーが落ち着かせようとその騒ぎの中へ身を投じていく。舞台上に居た私たち四人も率直に言って慌てていた。

 塾講師の上野さんと株トレーダーの京橋さんは突然目の前で起こった殺人や次々に舞台に逃げ上がろうとしてくる遊興客を前に、恐怖で後ずさって動けなくなっていた。視線はあちこち泳ぎまわり、むしろ何も見ていない。

 赤坂は刺された神田さんの上に覆いかぶさるようにして「おい! しっかりしろ!」と必死に声をかけている。神田さんが返事をする様子は無いがそれでも「死ぬんじゃねえ」と激しく彼を揺さぶっていた。

 当の私はと言えば無意識の内に唄方くんと奈々子を目で探していた。この異常事態の中でどうすれば良いのか、私一人ではまったく見当が付かなかったのだ。

 パニックが静まるまでに結局十分程かかり、場内が落ち着きを取り戻した頃には犯人は脱ぎ捨てた血塗りのレインコートを床に残して消えていた。

「……つまり、犯人は着ていたこのコートを脱いで観客席のゲストに紛れ込んだわけですね」

 騒ぎの間何処に居たのか、やけに涼しげな顔をして現れた唄方くんが言った。ハンカチを使って指紋を付けないようにコートをつまんで持ち上げる。

 私はぐるりと再び席に座らされたゲストたちを見渡した。

 皆高級そうな背広やドレスに身を包んだ人たちばかり。舞台の上でも思ったが、この賭博師採用試験を直に見れるのはやはり選ばれたVIP客ばかりなのだろう。

 ――この中に犯人が居る。

 ゴクリ。私は緊張のあまり唾を飲み込んだ。

「唄方くん、警察へは……」

 質問には近くの壁に腕を組んでけだるそうにもたれていた奈々子が答えた。

「その必要は無いんじゃない? だって今は試験中でここは鉄火場だし」

 ……それが警察に通報しないどんな理由になるんだろう?

 なんでだろう? 唄方くんも奈々子も、まるで他人事みたいな扱い方だ。

 目の前で人が死んだってのにこれはないだろうと思っていた時、マイクで拡大された野太い声が聞こえた。

「よく聞け! 会場の野郎ども。この中に犯人が居る!」

 赤坂だった。舞台のど真ん中、神田さんの仰向けで胸にナイフの刺さった死体の横に立ちマイクを握っている。

 彼の言葉に場内がどよめく。

「おい、赤坂の奴まさか謎解きするんじゃないか?」

「本当か。だったら元数札持ちの推理を生で聞ける事になるな」

 僅かな興奮が聞こえ漏れてくる。が、同時に赤坂の宣言は隣の人間が犯人かもしれないという不安を客たちに持たせた。

 赤坂は自分の言葉への反応を確かめながら、続けた。

「俺たち受験者は真正面で犯行を見ていた。そこで俺が犯人に関していくつか気付いた事があるから、それを話そうと思う」

 そう言うと赤坂は近くのディーラーを呼んで、紙とペンを客の人数分用意するよう言った。

 ディーラーたちがそれをゲストに一人ずつ配る。その中に私は男性ディーラーに混じった九谷さんを見つけた。

「あんたらは紙に自分の名前を書け。身元から確かめる」

 赤坂の指示の通りペンを走らせるゲストたち。

 相手は国の要人かもしれないってのに、本当にこの男は態度がでかいな。

 全員が書き終わるのを確認して赤坂はゲスト一斉に立ち上がらせた。

「始まりましたね。赤坂探偵の消去法推理」

 唄方くんがわくわくした顔で言う。

 ――消去法推理?

「彼は現役時代からこの推理法を得意としていました。つまり、ありえない可能性を切り捨てて行くことで残った真実を見つけるんです」

 分かったような分からないような……。

「――さて」

 赤坂の推理が始まった。


「まず、ゲストとしてのIDカードを持ってる者、カードを掲げろ。そうだ。今カードを出してない、つまり誰かとの同伴で鉄火場に入った奴は座れ。あんたらは犯人じゃない」

 赤坂の指示通りにカードを出したのは全体の半分ほど。残りのもう半分が着席する。よく見るとギャンブラーのカードと違って、彼らのカードには赤いダイヤのマークがプリントされている。

「ちょっと! そんな根拠どこにあるのよ!」

 思わず私は舞台の下から赤坂に食ってかかった。

「どうした? 気に入らねえか、嬢ちゃん」

 眉間にしわを寄せる赤坂。

「なんでIDカード持ってなかったら犯人じゃないのよ?」

「……入口を思い出しな。あそこじゃカードの無い同伴者は持ち物検査を受けることになってるだろ?」

 あ……そう言えば唄方くんがそんなこと言ってた。

「ナイフぐらいならともかく、かさばるレインコートを隠して通過するのは至難の業だ。つまり犯人は検査無しで入れる、IDカードを持った奴に限られる」

 ……なるほど、理解した。これが消去法推理か。

 完全に言い負かされてしょんぼりしている私の肩を奈々子がポンポンと叩く。

「次。身長160センチ以上の者は座れ。あんたらも白だ」

 身長160センチと言えば男性ならほとんどが当てはまる。現に、これで立っているのは残り5人だけになった。いずれも小柄な男性だ。女性客のほとんどは、夫や恋人の同伴客だったのだろう。

 ――これは何で?

 私の視線を感じた赤坂がため息をつく。

「神田のおっさんと向かい合った時に、ほぼ同じ身長だっただろうが。おっさんは小柄だからこれで身長を絞れる」

 この人取り乱しているように見えたけど、実はすごく冷静に事件を観察してたんだ。

 私は少しだけこの赤坂と言う無礼な男を見直す。

「そして最後に、犯人は左利きだ」

 赤坂は高らかに宣言したが、ここははっきりと異論があった。

「待って! 犯人は確かに左手でナイフを握ってたけど、左手に腕時計もしてたわ。それって右利きってことじゃない?」

 犯行の瞬間、私は犯人の袖口の奥で光る何かを見た。その時は何だかはっきり分からなかったが、思い返してみればあれは間違いなく腕時計だ。

 普通左腕に時計を付けるのは右利き。だから犯人はミスリードの為に左手を使って、本当は右利きに違いない!

 しかし、

「嬢ちゃんはバカか? 犯人は向かい合った男の左心房狙うのに、わざわざ狙いにくい左手使ってんだぞ? 右利きならそのまま刺した方が確実だ。普通に考えて腕時計の方がミスリードだろ!」

 ……一蹴されてしまった。

 こいつが見逃してる事に気付いたと思ってたのに、腕時計を知ってた上でそこまで読んでたなんて……。だめだ。流石元数札持ちだけあって隙がない。

「で、さっきあんたらに名前を書かせたのは利き手を確かめる為だ。そして今残ってる中で左利きだった奴は……」

 言葉を溜めて、それぞれの顔を確かめる赤坂。

「……居ない」

 ――嘘!

 それじゃあ、犯人は本当にこの会場から消えてしまった事に……。

 やっぱり赤坂の推理は間違ってるんじゃ……?

「心配要りませんよ。犯人は消えていませんし、赤坂探偵の推理も多分あっています」

 横の唄方くんが言う。

「彼はただ、一つの大きな可能性を消去しただけです。ゲストに(・・・・)犯人が混じってるっていう可能性をね」

 ゲストに……。

 そして、赤坂が場内のある人物を指さした。

「あんたが犯人だ……ディーラーさんよぉ」

 なんと、赤坂の指の先に居たのは九谷さんだった。

 九谷さんは僅かに微笑むと、続きをどうぞと静かに言った。

「観客席に舞い降りた犯人がコートを捨ててなりすませるのは客だけじゃない。当然すぐにパニックが起こってディーラーが止めに入ってくるから、その中の一人のふりをすりゃ良いだけの話さ

 職員であるディーラーは場内に入る時に持ち物検査なんてされない。そしてさっき言った犯人の条件の身長に当てはまるディーラーは女のあんただけだった。利き手も調べればすぐに分かるぜ」

 勝ち誇った睨みをきかせる赤坂。

 九谷さんは抵抗するでもなく、静かに拍手を始めた。唄方くんと奈々子もそれに続く。

「仰る通り、私があの黒レインコートを着て神田様を襲いました。赤坂様、合格(・・)です」

 そこで私は何かがおかしいと気付いた。

 ――合格?

 まさか……まさかとは思うが……。

「いい加減気付いてると思いますがね、これは試験ですよ。ギャンブラー採用の為の」

「え?」

「由佳。いくらなんでも人が死んだら警察ぐらい呼ぶわよ」

「え? え?」

 じゃあ……もしかして……。

 私の頬を汗が伝う。

「さっきからの事件は全部狂言?」

「ええ、偽のナイフに血糊(ちのり)袋を使った寸劇です。赤坂探偵は途中から気付いてたみたいですけど」

 ……騙された。完全に騙された。

 これは全部、あの神田って人が用意した試験の内容だったのか。

 ん? でもこの試験として用意された事件を解いたってことは……。

「採用されるのは赤坂探偵ですね。黒御簾さん、また次も推薦しますから頑張ってください」

 ……がっかりだ。

 畜生! 試験の開始にすら気付けずに終わるなんて。

 状況を飲み込み始めたゲストから赤坂に拍手の嵐が起きる。それを私は悔しさを必死に噛み締めながら聞いていた。

 唄方くんが舞台に上り、神田さんの元へ。ずっと死んだふりを続けていた彼を起こすのだろう。

 体に対して横向き、肋骨と平行な刃の向きで刺さったナイフ。あれも偽物なのか……よくできてるな。それにしてもこれだけ周りが騒がしければ神田さんは自分で起きそうなもんだけど……。

 唄方くんが仰向けの神田さんは揺する。起きる気配なし。

 そこでいきなり、唄方くんの表情が真剣なものに変わった。

「黒御簾さん! 警察に通報です」

 え? どうしてよ……。

 嫌な予感がした。あの時、この前の事件でゼミ生の悲鳴を聞き研究室へ走って行く時と同じ感覚。

 死の予感。

「落ち着いて聞いて下さい」

 そう言う本人が動揺を隠し切れていない。

「神田さん、本当に刺殺されています」

 ゾワリ。

 全身の毛が逆立った気がした。

 私は無意識の内に視線を九谷さんへ。会場の人がみなそれに(なら)う。

「……そんな」

 本当の殺人容疑者となった九谷さんの口から驚愕の言葉が漏れた。

 目撃者は私たち全員。本人が襲ったと自白している。

 通報を受けた警察の到着まで、劇場内は不気味な沈黙に包まれたままだった……。

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