BET-11 何事も抜き打ちが面白い
「……どういうことなのか説明しなさいよ」
私は相変わらず緊張感を欠いたにやにや顔の唄方くんに迫った。
「説明しても良いんですけど、殴りません?」
「安心して。説明しなくても殴るから」
唄方くんは渋々といった様子でボサボサの後頭部をさすり、話し始めた。
「三日前の事件、憶えてますよね?」
忘れるわけがない。言うまでもなくかりんが高槻を刺殺したあの事件だ。
私は無言で頷く。
「あの時黒御簾さんは、やたらと自分がどうして高槻教授の研究室を訪れたのか気にしていましたが、実は今回の採用試験のスカウトの為だったんですよ」
「訪れた」なんて言い方してるけど実際は「忍びこんだ」と言う方が正しい。彼は犯人が逃走した際に鍵を開け放していた窓から部屋に入ったのだ。
しかし、高槻をスカウト? 鉄火場のギャンブラーとして?
「彼は学会では頭が切れる人物ということでそれなりに有名だったようですし、財界との繋がりもあったようですから。上層部が推薦して来ました」
そう言えば高槻が国のお偉いさんと仲が良い、って噂を聞いた事がある。
思い返してみれば、今日までの事件報道で高槻一味の悪行は一切触れられていない。あれは財界の高槻の知り合いから圧力がかかっているという事なのかもしれない。
「でも、高槻教授死んじゃったでしょ? それで人数合わせとして、代わりに自分が誰か一人推薦しなくちゃならなくなったんですよ」
「で、私を本人の許可も取らずに勝手に思いつきで推薦したわけ?」
「本人の許可も取らず勝手に思いつきで推薦しちゃいました!」
嬉しそうに言うな! この寝癖頭め。
まったく、付き合ってられないわよ。誰がこんな不謹慎な組織に入りたいなんて思うわけ? こいつは私が推薦されれば喜ぶとでも思ってたの?
状況が飲みこめるにつれて、驚愕が上塗りされて隠れていた怒りが沸々と沸きあがって来た。
私は黙って踵を返すと、出口のあった方向へ歩き出した。
「ど、どこへ行くんですか! 黒御簾さん!」
「帰るのよ。悪い?」
気が付くと目頭が熱くなっていて、振り向く事が出来なかった。
何で私泣きかけてるんだろ? そんな涙を流すようなことじゃないでしょうに。
チラチラと私たちのやりとりを見ている遊興客に潤んだ目を見られないよう下を向くと、唄方くんが小走りで隣に来た。
「何で帰るんですか? もしかしてギャンブラーになりたくないんですか?」
「ないに決まってるでしょ!」
畜生! ついに一粒目元からこぼれ落ちやがった。
私が怒ってるのはそんなことじゃない。ギャンブラーになる、ならないじゃなくて何て言うか、先に言ってくれなかった事なんだ!
会ってまだ三日とはいえ、協力して事件を解決した仲間だと思っていたし、信頼していた。ぶっちゃけて言えばギャンブラーになって唄方くんと一緒にいろんな事件を追いたいと思っていたくらいだ。
それなのに、何で私にそういう事を前もって言ってくれないのよ! 唄方くんは私のことを利用できる知り合いとしてか見てなかったわけ?
子供の駄々みたいだってのは自分でもよく分かるんだけど、納得行かないものは納得行かない。
自分の中でちょっと期待していた事態なのに、いつの間にか私はそれを自分で拒んでいる。そう考えるとそれがまた悔しくて、悔しくて。
「……嘘ですね」
唄方くんが正面に回り私の肩に手を置いた。出口へ向かっていた私の足もそれに合わせて止まる。
「嘘じゃないわよ。犯罪で苦しんでる人たちを食い物にして賭けなんてやってる組織、大嫌い!」
あーあ。何でまだ意地張るかな、私。
一度言いだすと引っ込みがつかなくなる所は自分のダメな所だとよく分かってる。そのつもりでも、やっぱり意固地になってしまう私はまだ子供なのだろうか?
しゃくり上げる声を必死に隠そうとする私をなだめるように唄方くんは続けた。
「嘘ですよ。あなた、柘植さんのことでひどく後悔してるでしょ」
かりんの……こと……?
「私がもっと早く気付いてれば、彼女を分かってあげてたら、って自分を責めてるでしょ」
……図星だ。
この三日間その事しか考えてなかったな、私。
「でも、それとこれとは関係ないじゃない! 私がかりんのことで悩んでるからってギャンブラーの採用試験とどう関係するのよ!」
「自分も悩んでるからです!」
意外だった。答えの内容も、唄方くんの語調も。
多分私が唄方くんを知ってから彼がこんな喋り方をするのは初めて……いや、一度だけあった。
かりんを追い詰めている時。あの時と同じ言い方だ。
「自分だけじゃない。きっと信楽刑事だって彼女のことで悩んでるはずです」
「刑事じゃなくて警部だ」とぶっきらぼうな呟きが頭の中で響いたが、場の空気に合わないので削除する。
「ただ事件を解決するだけで終わらない。その背景を想って、悔んで、悩む事が出来る仲間が自分は欲しかったんです。そんな人こそギャンブラーとして事件を解決するべきだと自分は思う」
だからあなたを推薦しました。そう言う唄方くんの目からはいつもの軽薄さが消え失せ、向こう側が見えそうなほど澄んだ瞳だった。
……そうか。あの時唄方くんは悩んでくれてたんだ。
罪を認めまいと言い逃れを続けるかりんを前に、彼は軽蔑ではなく悔しさを感じてくれていたんだ。どうしてこの人はこんな事をしてしまったんだろう? 誰かが力になってやれたんじゃないか、って。
バカだな、私。
自分の気持ちばっかり先行して、わざわざ推薦してくれた唄方くんの想いなんてこれっぽっちも考えてなかった。
煮えたぎっていた心は落ち着きを取り戻し、その言葉は自然と口から出てきた。
「……ごめん」
そう言えば、長い事この台詞を口にしていなかった気がする。みっともないな、ごめんの一言も言えない大人なんて。
「こちらこそ、黙ってやっちゃってすみませんでした」
ずるい。そんなストレートに謝られたら照れ隠しのしようが無いじゃない!
モニターの前を離れた時と同じく、私はUターンして歩き出す。
「どこへ行くんですか?」
慌てて横で歩調を合わせる唄方くん。口調はいつも通りに戻ってしまった。
やっぱ嫌味な人だ。答えは分かってるくせに。
さて、私もいつも通りで行きますか。
「決まってるでしょ、試験会場よ。私ギャンブラーになりたいから」
「さっきまで泣いていた人の台詞とは思えませんね」
「泣いてないっ!」
やっぱり私は少々意地を張りすぎる。
――確かに私はギャンブラーになりたいと言った。
試験を受けるとも言ったし、やる以上は全力で受かりに行くつもりだった。
だけど……
「いきなりこれは無いでしょ……」
小さめの映画館風な客席にぎっしり入った遊興客たち。見渡す限り人、人、人。
ライトアップされている舞台の上からそれぞれの客の顔は暗いため分からないが、みんな高級そうな服を着ているのは分かる。外の円形ホールに居た遊興客よりも、格段にセレブ具合のアベレージが上がっているように思えた。
観客はみな一様に、舞台の上の丸椅子に座らされた私たち四人の受験者を見つめている。表情は誰が採用されるかへの興味と言うより、薬物を投与したマウスの様子を観察している時のそれに近い。
――こんな大勢の人の前でやるなんて聞いてない!
ここは鉄火場の端に円形のホールから飛び出るようにして設けられた劇場スペース。位置的には芽樽木屋の反対側にあり、普段はVIP客が自分が金を賭けた犯罪賭博の様子を映像形式で視聴する為の場所らしい。
九谷さんにここへ案内された私は楽屋を通って幕が下りた舞台に上げられた。そこに居たのはマイクと紙束を持った中年男性と、さっき私の顔写真と一緒にモニターに映っていた男女だった。
「やあやあ君が黒御簾君だね。遅かったじゃないか」
オーバーな仕草で両手を広げる中年男性。有名ブランドのタキシードを着ているのだが、コウテイペンギンみたいに出っ張ったお腹で台無しだ。
「僕は神田。スペードの4を担当するギャンブラーです。今回の採用試験の試験官だからよろしくね」
丁寧なような馴れ馴れしいような微妙な喋り方の神田さん。
唄方くんや奈々子に比べれば人間としてはまともそうだけど、数札持ちを思わせる風格は皆無。だぼだぼズボンとTシャツを着せればそこら辺のパチンコ屋さんに居そうだ。
「はぁ、遅れて申し訳ありません」
「まあ良いから良いから、そこの空いてる席に座っておくれよ」
舞台の向かって右側、上手の所に集まって座っている他の受験者たちの方へ目を遣ると、私の分一席が空いていた。背もたれの無い丸椅子だが、座ってみると柔らかくて案外快適。
私が席に着くと神田さんは手に持った紙束を見ながらどこかへ携帯をかけて「準備が整った」とか話し始めた。ここは地下でも電波が通じるらしい。
不自然でない程度に横を向いて、並んだ受験生三人を見る。
一人目、私のすぐ隣に座っていたのは眉間にずっとしわを寄せてるちょっと怖そうな人。体格が良くてちょっとヤクザ屋さんっぽい。私が隣に腰を落としたとき「遅れてくるなんてやる気あんのか?」と小声で呟いた。やな感じ。
その一つ向こうに居るのは女性。ビジネススーツを着てちょっぴりウェーブのかかったセミロングの髪をした彼女は若手キャリアウーマンといった雰囲気か。先ほどの九谷ディーラーを彷彿とさせる。
最後は眉間にしわの人とは正反対な感じの男の人。痩せた体にモサッとした頭で、しきりに手元のメモ帳にボールペンで何かを書き込んでいる。私は高槻ゼミの連中を思い出した。
この人たちがライバルか。少なくとも嫌味を言ってくれた眉間しわ男には負けたくない。
ビーーーー
と、そこでいきなり演劇の始まりみたいなブザーが鳴った。
何事かと辺りを見回すと、ゆっくりと舞台に下りていた幕が上がるところだった。上がった幕の向こうからはまばらな拍手が聞こえてくるが、暗くてスポットライトに目が慣れた私にはよく見えない。
「さて、皆さんお待たせ致しました! 只今より賭博師新規採用試験を開始します!」
マイクでアナウンスを始める神田さん。
そこでようやく私にも観客席の様子が見えてきて、ちょっと前のモノローグに繋がるわけ。
「司会進行兼試験官を務めさせて頂くのは、私スペードの4こと神田俊章でございます。どうぞよろしく」
今度はかなり密度の高い拍手が返ってきた。奈々子もそうだったけど、数札持ちにもなると客の間でもかなり有名なのだろう。
それにしてもこのおじさん、世界中のセレブの集まりであろうこの空間でよく堂々と喋れるもんだ。私にはとても真似できない。
「では今回の参加者を紹介しましょう!」
そう言って紙束をめくる神田さん。どうやらあれは私たち四人のパーソナルデータらしい。
「エントリーNo.1、上野達也! 日本最大手の学習塾の人気講師にして、冷静沈着、論理的な思考の持ち主だ!」
私から一番離れた所に座っていた、例のメモ帳の人が立ち上がってお辞儀をする。この人が上野らしい。
次はスーツの女の人の番だ。
「エントリーNo.2、京橋望! 二十代にして年収一億を稼ぐ史上最強の株トレーダー、彼女にかかれば事件の未来も先読みだ!」
へぇ! この人が年収一億ねえ。人は見かけによらないものだ。私もやってみようかな、株。
……て言うか、さっきから思ってたんだけどこの紹介文滅茶苦茶恥ずかしい。会場の遊興客は神田さんが読み上げる度に熱狂して拍手やら口笛やらをしているが、される側としては顔から火が出る思いだろう。
「エントリーNo.3、赤坂竜馬! 知っている人は知っている、元鉄火場の数札持ちギャンブラー! 犯罪賭博の世界に返り咲く事はできるのか!」
“眉間しわ男”こと赤坂さんは前の二人と違って立ち上がる事もなく、仏頂面のまんま「ケッ」と不機嫌そうな声を出しただけだった。本当感じ悪いな、この人。
しかし、今の紹介で気になる所があった。この人が元ギャンブラー? しかも数札持ち? 推理力じゃなく、容疑者を絞め上げて自白させていたのではないだろうか……。
「ラストはエントリーNo.4、黒御簾由佳ー!」
そしてとうとう私の番。こういう時は昔から柄でも無く緊張してしまう。
「華の現役女子大生、そんな彼女の最大の武器は持ち前の腹黒さだ! 今日もあの手この手でライバルを苦しめるに違いないぞ!」
ワーッ、と歓声が響き渡る会場。その中に私はニヤニヤしながら手を振る後ろ髪が逆立った男を見つけた。
――後で殺す。
「以上四名が今回の参加者です! 合格するのは一人だけ。みなさんにはいつも通り、誰が合格するかを犯罪賭博形式で予想して頂きます」
なるほど、この試験も犯罪賭博の一環なんだ。だからこんなに観客が見てる所でやるし、私たちの情報も教える。
賢いと言うかえげつないと言うか、手段を選ばない組織だな、まったく。
「さて、気になる試験の内容ですが……ん? 誰だね? 君は」
どうせクイズ大会でもやるんだろう、と私が考えていると神田さんの言葉が止まった。
顔をあげると、丁度奇妙な格好をした人が舞台袖から私たちのすぐ前を横切って行くのが見えた。
マスクとサングラスで顔を覆い、黒いレインコートを着てフードまで被ったその人は、ゆっくりと舞台の真ん中でマイクを握っていた神田さんに近づいて行った。
かなりサイズの大きいコートを着ている為体型から男か女かは分からない。身長は向かいあった神田さんと同じくらい、160センチ代だろうか? だらん、と力なく下げた両腕が不気味だ。
――この人誰だろう? スタッフか何かかな?
会場も突然舞台に現れた正体不明の真っ黒人間に動揺して、ガヤガヤし始める。戸惑っているのは私だけじゃないようだ。
そして次の瞬間、私たちは嫌でもその人物が誰なのか、正確に言えば何が目的なのか分かる羽目になるのだった。
突然力無くぶら下げていた左腕を構えると、袖口からギラリと光るナイフが覗く。他にも何かが袖の奥で光を反射した気がしたが、一瞬のことだったのでよく分からない。
そしてそのまま彼は無言で神田さんに突撃した。
肉を突き通す嫌な音がして、神田さんの胸から血が噴き出して辺りを朱に染める。目の前であり得ない、という表情のままゆっくりと仰向けに倒れていく神田さんを、彼はやっぱり無言のまま眺めていた。
どこかで見た事のある光景だな、と思ったら私自身もやったことのある事だ。高槻研究室から出てきた唄方くんを不意打ちした時と同じ感じで、今目の前で人が殺された。
――そう、殺されたのだ。
「殺……人……」
無意識の内に呟いていた。叫ぶでもなく、犯人を取り押さえるでもなく、目の前で起こった信じられない事を現実として認識する為に。
私の言葉が聞こえたのか黒レインコートの人はこちらを振り返る。コートの正面は真っ赤な鮮血で染められていた。
それも束の間、犯人は突然身を翻すと踊るように暗闇の観客席へと飛び降りた。立ち見の客も居て鮨詰め状態の観客席へ、彼は消えていく。
「きゃああああああああああああ!」
初めてそこで誰かの悲鳴が沈黙を裂く。
こうして時間が止まったかのような不気味な犯行は終わり、私のギャンブラーとしての初めての事件が始まった。