BET-10 あなたには試験を受けてもらいます
ゆっくりと扉が開く。
長い階段の下の薄暗がりにいた私には、扉の向こう側の世界は少しまぶし過ぎた。
まず第一の印象として、広い。見渡すような円形のホールはちょっとした野球場ぐらいの広さがありそうだ。その中心では大きなシャンデリアが神々しい輝きを放っている。
フロアの色は一面赤。と言っても目がチカチカするような色じゃなく、高級なワインの色みたいな赤だ。それを踏んでホール内に入るのを一瞬躊躇ってしまった程。
「ようこそ、鉄火場へ」
左右から同時に声が聞こえて、ドアの内側両サイドに人が立っていたのに気がついた。
濃いめの青Yシャツと黒い袖無しベストに、落ち着いたデザインのネクタイをしめた男性が私たちを挟むようにお辞儀をして、頭を上げた所だった。その服装はまさにラスベガスに居るようなカジノディーラーそのもの。
何なんだ? この人たち。
「彼らは運営人。ここ鉄火場本部の管理や賭博の仕切りなどをしている職員ですよ」
私の表情を察したのか唄方くんが説明してくれる。
「普通ならIDカードを持たず、誰かの連れとして入った人は持ち物検査を受けるんですけどね。黒御簾さんのことは事前にディーラー側に連絡を入れといたので大丈夫です」
この間みたいに袖口に包丁持ってたりしないですよね? と茶化したように言う唄方くん。いつもなら足を踏みつけて抗議する所だが、それどころじゃなく私は慌てていた。
率直に言って緊張していたのだ。私のイメージ内では鉄火場はもっと小汚いと言うか何と言うか、いかにもお役所チックで手狭な場所だろうと思っていた。
しかし現実はと言えばまさに高級カジノ。天井の高いホールにはスロットマシーンやルーレット台が所狭しと並んでいる。ブラックジャックやポーカーをしているテーブルもあるようだ。さっき見たシャンデリアが落ち着いた色を基調とした空間を明るく照らしていて、とてもここが地下だとは思えない明るさだ。
客もこの場にふさわしいようなイブニングドレスやら背広やらを着た人が多く、上流階層の社交場といった雰囲気を醸し出している。ゲームのテーブルでその相手をしているのはさっき見たディーラーたちだ。女性ディーラーもたくさん居て、制服は白いブラウスに赤いベストと蝶ネクタイとなっていた。
――なんか、私が居るべき場所じゃない気がする。
今日の私は細身のデニムパンツにノースリーブとファッションタイ。大学生としては標準的な格好だけど、この高級感溢れるカジノにはいささかそぐわない気がした。
「どう? これが鉄火場本部だよ」
奈々子が言った。彼女も唄方くんも微塵の緊張も感じられない自然体だ。
私は「うん」と曖昧な返事をしながら圧倒されてその場に立ち尽くしていた。
すごい……これが鉄火場なんだ……。
二人が歩き出したので見失わないように気をつけてついて行くと、ホールの片隅にあるバーカウンターに着いた。看板には「芽樽木屋」と激しくうねった書体で書かれている。読み方は不明。
全体的に赤っぽかったホールに対して、このカウンターのある一角は青い壁と床だ。十人程が並んで座れるカウンター席とおしゃれなデザインのテーブル席が六つ。奈々子と唄方くんは迷わずカウンター席に向かったので私も横に座る。
「マスター、いつもの」
「おじさん、アタシもいつもので」
カウンターの向こうでグラスを拭いている、額にバンダナを巻いた男の人に唄方くんと奈々子が次々にオーダーをする。無口なのかマスターは黙ってグラスを二人の前に一つずつ出し、台の下からオレンジジュースとフルーツ牛乳の紙パックを取り出して注いだ。
「え、えーっと……アイスコーヒーあります?」
お前は何にする? とマスターに目で訊かれたのでとりあえず好物を注文する。一見大人向けのお洒落なバーだが、フルーツ牛乳を置いているくらいだからコーヒーもあるだろう。
マスターは黙って円錐型のグラスを棚から取ってコーヒーのボトルを注ぎ、ガムシロップとシュガー
を一つずつ付けて私に寄こした。無愛想な人だが、かき混ぜ用のスプーンもワンテンポ遅れてくれる辺り、気遣いはよく出来る人のようだ。
「ぷは~。やっぱ『めたるぎや』のフルーツ牛乳が一番だわ~」
グラスの半分以上を一気飲みした奈々子が言った。
どうやらさっきの看板は「めたるぎ屋」と読むらしい。明らかにマスターが注いだのは市販のフルーツ牛乳だったが、一々突っ込むのも無粋だと思って止めておいた。
私もストローに口を付けてみるが、中々美味しい。こちらも市販のメーカーのボトルから注がれていたが、氷の分量が絶妙なのか程良く冷やされたコーヒーは他で飲むよりも味が上がっている気がする。
唄方くんがストローを一旦置いた。
「ここは『芽樽木屋』。ちょっぴり無口なマスターが、とびっきりのドリンクを用意してくれる鉄火場の憩いの空間です」
確かに素敵なバーだけど……ここって仮にも国の機関なわけで、そんな所にバーがあって良いものやら。ていうか、これって探偵組織って言うより普通にカジノなんじゃ?
段々緊張もほぐれてきたので質問を二人にぶつける。
「大丈夫です。ここで出来るカジノゲームは全部チップ制で、景品交換は出来ますけど換金はできなくなってますから。これの収益も結構デカいですし」
「バーだって区役所に食堂が付いてるようなもんじゃない? 外国の富豪もいっぱい来るから、高級な雰囲気作っとかなきゃ格好付かないしねー」
あんたらは職員だから良いが、これの管理費を税金として出してる一般国民は怒るぞ?
「大丈夫でしょう。鉄火場の維持費や人件費は全て自身の収益で賄ってますから。むしろ余った売り上げを国債の返済に回してるぐらいですよ」
……カジノってそんなに儲かるのか。
と、ここで私は鉄火場が本来どういう組織なのかを思い出した。
「で、唄方くん。例の犯罪賭博って奴はどこでやってるの?」
鉄火場の本来の役割、それはすなわち探偵同士が事件の解決スピードを競う「犯罪賭博」だ。本部がここである以上、どこかでこの不謹慎極まりない賭け事が行われているはず。
正直私はこの制度には反対だ。確かに国の収益になり犯罪の検挙率も上がっているかもしれないが、事件をゲームとして扱われて被害者やその遺族は嬉しく思うわけがない。
興味と軽蔑、二つが1:1で混ざり合った微妙な心境の私を他所に唄方くんは呑気に伸びをして言った。
「う~ん、そうですね。そろそろ時間も丁度良いですし、モニターに行きますか」
カウンターにお代を置いて立ち上がる。
彼が言う“時間が丁度良い”が気になったけど、何か嫌な予感がしたので聞かなかったことにした。
「おい、あれ見ろよ」
「あ! 数札持ちギャンブラーの祐善奈々子じゃないか?」
「すげー! 生で“科学色の小悪魔”が見れるなんて、来た価値があったぜ!」
円形ホールの中心へと向かっていく途中、すれ違う一般客から時々囁き声が聞こえてきた。
当の奈々子は澄ました振りしているが、微妙に口元が緩んでいる。持ち前の子供っぽい可愛らしさのせいか、彼女はただのギャンブラーとして以上に有名らしい。
さっきの交差点でもそうだったけど、世の男性諸君はこういうタイプが好きなのだろうか? 言っとくけどこの子、正体は相当な変人だよ。塩化ナトリウムをジョニー・デップって例えるんだよ?
「自称なのに結構浸透してるのね」
「まーね。アタシったら若くて可愛いからねー」
くそぅ、反論できない。
一方もう一人の数札持ちギャンブラーさんはと言えば、中心付近になって人が増えてくるとこちらも囁きが聞こえてきた。
「おい、あれ見ろよ」
「あ! 運だけでのし上がったギャンブラーの唄方道行じゃないか?」
「ホントだ。“運だけ探偵”の唄方だ」
さっきの声は静かな興奮と憧れが感じられたが、今度のヒソヒソは冷やかな皮肉と嫌味を大量に含んでいる。
「ひどい言われようね」
「……ほっといて下さい」
言われ慣れてる、って言うか言われ過ぎてるんだろう。唄方くんは眉一つ動かさず不機嫌そうな顔のまま人々の間を通り抜けた。
やっとホールの中心が見えてくる。何か、薄型テレビをいろんな方向に設置した柱のような物があり、その周りを人垣が囲んでいた。
宇宙船のコックピットの内壁を装飾ごと剥がして筒状に丸めたみたいだな、と私が考えていると奈々子が柱の方を指して言った。
「あれが『犯罪賭博掲示板』、通称モニターだよ」
さっき唄方くんが言っていたモニターとはこれの事か。確かに目を凝らすと、テレビモニターそれぞれに事件の名前と何かのリストが載っているようだ。
周りの人垣は皆それぞれ手にペンとカードのような物を持って、真剣な表情でモニターを睨んでいる。あれは賭けるギャンブラーを選んでいるのだろうか?
「彼ら鉄火場の客は遊興客と呼ばれています。彼らが賭けの予想を書き込んでいるのは予想券と言って、そこに名前を書いた探偵が事件を最初に解決すればオッズに応じたお金が返ってくるわけです。他にも鉄火場に出入りする人間にはもう一種類居るんですが、その説明は今は必要ないでしょう」
柱の根元には受付カウンターのような物があり、並んだ客がそこのディーラーにIDカードを見せ、予想券を渡していた。受け取ったディーラーは二つのカードを機械に通した後、予想券にハンコを押して持ち主に返す。
何か、この会場全体の雰囲気に比べてやってる事はかなり地味だ。そんな事を考えていると人混みの間を颯爽と縫って一人の女性ディーラーが近づいて来た。
シャンプーのCMに出れそうな短めのストレートヘアーのその人はモデルみたいな美人で、きびきびとして無駄のない動きは仕事が出来るキャリアウーマンを思わせる。なんとなくだが、他のディーラーとは別格のオーラが漂っていた。
「丁度探してたとこですよ。唄方探偵、そろそろ試験開始の時間ですけど例の人は連れて来たんですか?」
どうでも良い事なんだけど、唄方くんのことを探偵と呼ぶ人に初めて会った。
で、それが何でどうでも良い事かって言うと、その後私はそれより遥かに衝撃的な宣言を聞くことになるからだ。
「ええ九谷さん。もちろんここに居ますよ」
そう言って唄方くんが手で示したのは、なんと私だった……。
――え? どういう事? 例の人って?
頭の中を疑問符が駆け巡り、何か面倒くさいことに巻き込まれている気がする。
ここは勇気を出して尋ねておくべきだろう。
「あのぉ……すいません。私がどうかしましたか?」
恐る恐る手を挙げながら、九谷と呼ばれた美人のディーラーさんに質問する。
彼女は一瞬信じられない、という顔をした後、人が集まる柱の真ん中辺りに設置された一番大きなモニターを指でさした。
「何って……唄方探偵から聞いて無いの?」
だから何を? と私が言いかけた時、派手な音楽と共にモニターに大きな文字が映し出された。
『鉄火場 賭博師新規採用試験参加者』
文字の下には数名の男女の顔写真と氏名。そして信じられないことに、そこに私の顔と名前があった。
――嘘、でしょ?
そんな私の現実逃避は九谷さんによって儚く踏みにじられた。
「嘘じゃないわ。あなたには試験を受けてもらいます。賭博師の新規採用試験をね」
「……ぇぇぇぇえええええええええ!」
私はどこにでも居るごく普通の女子大生である。
多少、少林寺拳法が使えたりするけど、あくまで普通の女子大生である。
知り合いに常識の無いギャンブラーが二人もいるけど、あくまで普通である。
――でも、こうして私のごく普通の日常は終わりを告げるのだった。