BET-9 ようこそ鉄火場へ
「ギャンブラー!?」
「そう、しかも数札持ちだよ」
誇らしげに胸を張る奈々子ちゃん。小柄ながらその膨らみは私より大きいことに気付いて、少し落ち込む。
信じられない。私と同じ大学生が、ギャンブラーだなんて……。しかし、言われてみれば唄方くんだって私より一歳年上なだけだ。案外ギャンブラーって若い人が多いのかな?
それよりも気になったのは彼女の言っていた“科学色の小悪魔”……。
「ねえ、唄方くん。ギャンブラーってそれぞれ通り名があるの?」
「ありませんよ。祐善さんが自分で名乗ってるだけです」
……まあ良いか。本人が楽しければ。
再び席についてカレーを頬張る奈々子ちゃん。よくよく見ればその仕草は、元気に給食を食べる小学生のような微笑ましさがあり、当初の肉食獣的な印象は中和されていった。
謎の女の子に関する詳細が分かった所で、次に私の中に沸きあがった疑問は唄方くんについてだ。
「そう言えば、どうして唄方くんがここに居るの?」
曲がりなりにも彼は鉄火場のギャンブラー。奈々子ちゃんは現役の大学生だから良いとして、真昼間から仕事もせずにこの人は何をしてるんだ? まさか、またここで人死にでもあったんじゃ……。
その答えはあまりにシンプル過ぎて、下らなかった。
「ああ、今日から自分、東都大学に編入して来ました」
……嘘つけ。
「あ! その目は信用していない目ですね」
そう言いながら全身のポケットを探り、唄方くんは財布を取り出すと中からカードを一枚引きぬいて私に見せた。確かに目の前にあるのは大学の学生証だ。
お世辞にも頭が良いようには見えない彼がうちの大学の編入試験に受かるなんて、きっと何かの間違いだろう。
前にも書いた通り、東都大学は全国規模でもそこそこ名の知れた私立大学だ。入学試験はもちろんセンターとは別の独自問題があるし、編入ともなれば結構な学力を要するはず……。て言うか、そもそも編入試験なんて受け付けてたっけ?
しかし、この疑問の答えも例に漏れず下らなかった。
「自分これでも国家権力振りかざせる身分ですから、上層部に頼んで圧力かけて、大学側に無理やり編入試験やらせました」
「試験は?」
「幸運なことに、全部マークシート式でした」
……なるほど。この極限的に運だけは良い唄方くんを前にすれば、いくら超難問でもマークシート式である以上全問正解だ。唄方くんは勘で適当にシートを塗りつぶしていくだけで良い。それは偶然にも全て正解の番号になるんだから。
くそぅ、納得行かない。私は受験の為に一年間まるごと勉強漬けだったんだぞ! 週末だって予備校行ってたし、放課後は人数足りないからって引退したのに部活やらされてたんだぞ! それを彼は何の努力もせず、運だけでさらりと乗りきってしまったのだ。
――ああ、世の中って不公平。
気が付くと、唄方くんの強運を自然法則の一つみたいに捉えている私が居た。
普通なら彼が言っているのは全部嘘で、裏で何か糸を引いているに違いないと考えるだろう。でも唄方くんの場合は別格だ。彼の運は最早、人間の手でコントロール出来る範囲を超越している。偶然で済ませるしか解釈のしようが無いのだ。
「どうしたんですか? 黒御簾さん、眉間にしわ寄せて」
「大丈夫。ちょっと知り合いの恐ろしく運が良い人を殺す方法について考えてただけだから」
精一杯の皮肉を込めて言ったのだけれど、相手の方が一枚上手だった。
「そうですか。屋上から突き落とすのなんて、簡単で良さそうですけど?」
「それじゃ、偶然にも下にトラックが急停車して、助かるかもしれないわ」
「はっはっは。そんな偶然あるわけ無いでしょう」
よく言うわよ! まったく。
もう唄方くんと皮肉で張り合うのはやめにしよう。って言うか、もしも皮肉で彼に勝ってしまったら、私は唄方くんよりも嫌味な人間ということになってしまう。それは、口喧嘩で勝っても、人として負けな気がする。
「ところで黒御簾さん。勤勉な大学生の自分が掴んだ情報では、午後の講義は二つとも休講らしいですよ」
初耳だ。私が3号館校舎を出た時には、そんな知らせは掲示板に無かった。
「どうやら、担当の講師が二人とも急に盲腸を発症したようです。偶然にも」
偶然って怖いですねー。と軽やかに笑う唄方くん。
ぞわり。背筋が寒くなった。
そんな偶然あり得るか……? あり得るとしたら、百パーセント間違いなく目の前で笑う寝癖頭の青年が関係している。
――つまり午後の講義が潰れると、唄方くんにとって幸運な何かがあるのだ。
笑い方を、ニヤリとしたあの表情に切り替えた唄方くんが言う。
「ところで黒御簾さん。午後はお暇ですか?」
訂正しよう。唄方くんにとって幸運なことだけじゃなく、私にとって不運な何かもあるようだ。
嫌な予感がする……むしろ嫌な予感しかしない。
「もしお暇でしたら、一度自分の職場の見学に来ませんか?」
唄方くんの職場……?
「それって、つまり?」
「そう、犯罪賭博場・鉄火場の本部です」
嫌な予感にちょっとだけ好奇心が投入された。
創作の世界では、後楽園球場の地下に格闘技場があるし、何の変哲もないロンドンの赤い電話ボックスの下には魔法省がある。南海の孤島を丸ごと基地にしている国際救助隊だって居るんだから、それぐらい普通のことだろう。
で、私が何を言いたいのかというと、国の安全を守る鉄火場という組織の本部は、きっととんでもない場所にあるに違いない、ということ。
例えば、都庁の一部が変形して本部になるとか、地下鉄の途中に秘密の入口があるとか……。
――……思ってたのに。
橋のたもとににある交差点を行きかう大勢の人々。そびえたつ雑居ビル群。大通りを車がひっきりなしに通り、歩道を歩く人の半数ぐらいが大きめのリュックを背負って、そのジッパーからは丸めたポスターがはみ出している。
あちこちでメイドのエプロンドレスを着た客引きがチラシを配っている。そこらじゅうの看板に「ゲーム」「漫画」「電子機器」の文字。そしてそれを掲げる店へ、熱のこもった目で向かっていく人々……
「何故、秋葉……?」
途方もない喪失感を吐き出すと同時に、私は呟いた。
そう、今私たちは日本屈指の電気街にして、オタクの聖地・秋葉原に居る。
結局私は、嫌な予感と鉄火場への好奇心の二つを天秤にかけて、僅差で好奇心が勝利したので唄方くんについて来た。暇だからと奈々子ちゃんも同行する。
大学の最寄駅から地下鉄に揺られる事数分、鉄火場の本部を目指していたはずの私たちは何故か秋葉原の交差点に立っていた。
「もしかして、唄方くん……」
引きつる顔を何とか和らげようとしながら、傍で携帯をいじる唄方くんに問いかける。
「ええ、鉄火場の本部ですよ」
……やっぱり。そんな気はしてたけど、認めたくなかった。
私のイメージではもっと格式高い、人通りの少ない所でひっそりと賭博師たちが推理合戦をしているはずだったんですけど。
はぁ。現実はこんな目がチカチカする騒がしい街だとは……。
「何がっかりした顔してるの、ミッスン?」
ガードレールに寄りかかった奈々子ちゃんが言う。彼女の服装はボーイッシュなのに中身はカワイイ系の女の子、という容姿に惹かれるのか時折通り過ぎていく人が振り返って二度見する。
「ミッスン?」
思わず顔をしかめる。何だそれは?
「うん。黒御簾だからミッスン」
「勝手に変なあだ名付けないで頂戴」
「じゃあ、“ミッスン”と“腹黒”だったらどっちが良い?」
「だからどうして腹黒が選択肢にあるのよ!」
「じゃあ間を取って“ユカリン”ね」
「どう間を取ったんだ!」
ダメだ……私やっぱりこの子苦手かも。
折角新しい大学の女友達が出来たと思ったのに、こんな変な子だなんてツイてない。普通なら私の方から距離を置いて関係を断ち切るところだが、奈々子ちゃんは学校で使ってる無口モードを解いて私に唄方くんと同レベルでなついてしまったようだ。私が避けても向こうが追ってくるだろう。
くそっ、あの時軽率に話を合わせるんじゃなかった。彼女にしか理解できない塩化ナトリウムの格好良さに同意なんてしなけりゃこんな事には……
一人後悔にふけっていると、唄方くんに肩を叩かれた。
「空いてる入口が分かったので行きましょう」
空いてる入口……?
事情が飲みこめない私に唄方くんが説明を始めた。
「実は鉄火場本部、この十字になった道路の真下にあります」
嘘! この車がひっきりなしに走りまわる交差点の下に?
「そしてこの交差点に面する角のビル、それぞれの地下に入口が設けられているんです。入るときにはそれなりのチェックがありますから、中に居る人に混み具合を確認してもらわないと思わぬ時間がかかることがあるんですよ」
畳んだ携帯のストラップ部分を持ってぷらぷらとさせる唄方くん。
私は自分を中心に交差点を見渡す。
丁度対角上には派手な電飾を掲げたパチンコ屋。向かって右にはCDショップで、左にはゲームセンター。私たちが居る歩道の後ろには大手電化製品量販店だ。信号が青になって、その間の車道を人々が歩き始める。
「この四つのお店全部に?」
「ええ、今空いてるのはゲームセンター口ですから、行きましょう」
そう言うと並んで歩きだす唄方くんと奈々子(もう“ちゃん”付けなくて良いよね?)。私は遅れて後を追う。
いろんな種類の電子音が飛び交うゲームセンターの中を抜けて、従業員専用と書かれた黒い扉をくぐると上下へ階段が伸びていた。それを下る。
コツーン……コツーン……。足音が静まり返った空間に反響してリズムを刻んでいる。
「由佳は不満みたいだけどさぁ」
小さい歩幅で無理して二段ずつ降りながら言う奈々子。呼び名は由佳で固まったらしい、良かった。
「日本で秋葉原ほど鉄火場を置くのに向いてる場所は無いんだよ。変な格好した人が居ても怪しまれないから職員や客が街で目立ちにくいし、東京の真ん中あたりで交通の便も良いから。ついでに、ある事無い事いろんな最先端の情報が入手しやすいしね」
う~ん、確かに。でも、いまいちピンと来ない。
カツーン……カツーン……。
もやもやした心のまま階段を下り続ける。すると、階段が途切れて分厚そうなドアが現れた。ドアには都心の駅の自動改札機にあるようなタッチパネルが付いている。私の田舎はまだ切符を吸い込む形式だったので、東京に出てきた直後は翳すだけで認識する「PASMO」という奴に心底驚いたものだ。
思った通り、唄方くんが財布から鉄火場のIDカードを取り出してそこに翳す。「認証シマシタ」という機械音声がして両開きの扉がゆっくりと内側に開いていった。
扉の開く音に混じって、唄方くんの楽しそうな声が聞こえる。
「ようこそ、鉄火場へ……」
前に感じたのと同じ、サーカスの司会をする道化師みたいな口調。奇妙で不安定な何かが起こる予感。
その時私はまだ思ってもいなかったんだ。この後、あんな事件が起きるなんて……。
次回更新は未定です。