その2
「今日は客も全然来ないし早いけどもう閉めようかと思ってたんだけどな……はいよ、ラーメン2つ、餃子はサービスな」
「おっ、悪いな……ほら食え、ここのラーメンはまあまあうめえぞ」
カウンター席だけのお世辞にも広いとは言えない店だった。
姫野は目の前に置かれた熱々のラーメンを受け取ると、中山に言われるがまま勢いよく麺を啜った。
店主と中山と姫野、むさ苦しい男三人だけの店内にはズルズルと麺を流し込む音が響き渡る。
「まあまあは余計だろ……どうだ坊主?うまいか?」
中山と同年代ほどだろうか?
随分と人の良さそうな店主が、姫野の豪快な食べっぷりにシワシワの顔を綻ばせながら聞いてきた。
「……まぁ」
一旦箸を止めた姫野が呟くように一言だけぼそっと答える。
「ま、まぁ!?……まぁって坊主……もっとなんかあるだろ?スープがどうとか、麺の固さがどうとか……」
それまでほくほく顔だった店主はそりゃないだろうとばかりに表情を一変させ、カウンター越しから姫野に向かって訴えかけるようにくどくど語りだした。
「……まぁうまい」
姫野はもう一度箸を止め、またも一言だけポツリと呟いた。
「うっ……そ、そうか、話しかけて悪かった……まぁ食ってやってくんな……ハァ、現代っ子ってやつだな」
「そいつはサッカー以外の事はあんまり喋らねぇんだよ、構ってやるな……味なら心配すんなって、まあまあうめぇ……値段はボッタクリみてぇにたけぇが」
諦めたようにガックリ肩を落とす店主に、中山は悪戯な笑みを浮かべながら言った。
「ボッタクリはねえだろ……なんだ、この坊主もサッカーやってんのかい?……まぁ中さんが連れてくるんだからそりゃそうか」
「うちのチームの練習に来てる……まだ中学生だがな、実際大した奴だ」
中山は無心でラーメンを流し込む姫野にチラリと目をやって、どこか嬉しそうに答えた。
「ほえー、じゃあ未来の大スターってやつだな……中さんが誰かにそんな事言うなんて……まぁゆっくり食べてってよ」
驚いた顔でそう言うと店主は店の外に出てのれんを下ろし、ついでとばかりにそのまま店先でタバコをふかし始めた。
「餃子食って良い?」
「おぉ良いぞ、冷める前に食え……ところでお前」
キャップとサングラスをしたままラーメンを啜っていた中山が、熱々の餃子を頬張る姫野に向かって静かに切り出した。
「……何?」
「優、お前な……お前はもうウチの練習には来るな」
___ そう……姫野君に言っちゃったわけね……それならこの話……もう受けるしかないわね……
喜ぶと思ってな……すまん ___
帰宅中、百合はハンドルを握りながら少しばかり思いにふけっていた。
公式戦じゃないわけだし、叔父さんの言うとおりまったく得るものが無いって事もないだろうけれど
でも今の彼等じゃまだ上州学園には太刀打ちできない……
それに姫野君、彼にその自覚があるかどうか分からないけれど、ここ最近プレースタイルが随分と変わってきている
華麗なフェイントからの急加速で相手を一気に引き離すプレースタイル……
まさに『劣化版島崎海』って感じね
後輩の小川君にもスピードを持った選手のアドバンテージをまざまざと見せつけられてる
意識するなと言う方が無理かもしれない……
私が送ったあの言葉なんて気にも止めてないでしょうけど、あのプレースタイルは彼の長所を潰してしまっている……
「……それにしてもどうしてウチとの練習試合なんて話になったのかしら?」
百合がふと口に出した。
今回の練習試合の申し込み、彼女にはそれ自体が大きな疑問だったのだ。
なぜ彼女が疑問に思ったのか?
それはあの飲み会の日まで遡る。
「じょ……じょ、じょ……じょじょっ、上州学園!?」
「そうですけど……あの大丈夫ですか?なんか顔が真っ青ですけど」
百合は渡井の口から飛び出た『上州学園』というワードに過剰なまでの反応を示してしまった。
それから少しして呼吸が落ち着くと、隣に座る友人をキッと睨み付けて心の中で叫んだ。
良い面子揃えたって……
一体何て人連れて来るのよ!!!!
渦中の友人はといえば、百合から注がれる熱視線にはまったく気付かず、今というこの瞬間を最高に謳歌しているようだった。
「あ、あの?田代さん?大丈夫?今度は滅茶苦茶恐い顔してるけど……」
あまりの剣幕に渡井が恐る恐る尋ねる。
「え!?いえいえ……そんなそんな、オホホホ……」
百合は無理矢理笑顔を作って渡井にそう返した。
そ、そういえば私が静和のコーチだって事はまだこの人にバレてない……
こうなったら上州学園の情報を出来る限り引きずり出してやるわ!!
「あ、あの……」
軽いパニック状態に陥りながらも何とか頭をフル回転させ、意を決して切り出そうとしたまさにその瞬間だった。
「あ!!!!そういやアンタもやってるじゃん!!静和中だかってとこのコーチ!!!!」
友人が百合の顔を全力で指差し、大将首でも取ったかの如く声高に言い放ったのだ。
『ガラガラガッシャーン!!!!』
見事なまでに出鼻をくじかれた格好になった百合は、ジョッキや皿をなぎ倒しながらテーブルの上に勢いよく頭から突っ伏した。
『…………』
突然すぎるその光景に仲間だけでなく店内の人間全員が言葉を失い、まるで時が止まったかのようにしばし唖然とするだけだった。
「店員さん、ごめんなさい!!拭くもの、何か拭くもの持ってきて!!アンタ一体全体何してんのよ!!!!」
突如発せられた天にも届きそうな友人の一声で皆がハッと我に帰り、それから慌ただしく事後処理へと動き出した。
一方の百合はテーブルに這いつくばったまま。
渡井の鼻先に向けて片腕を伸ばし、開かれたその指先を不気味にピクピクと痙攣させているだけだった。