5. ヴォーマと兵士
「残念ですね、私に炎は効きません。ちなみにこれ、肉体が腐り落ちるのも防いでくれるんです。
嗚呼……なんと素晴らしい。レイヤカース様……」
マルディシオーネは恋い焦がれる乙女のように、自身の刺青をうっとりと眺めている。それは一見すると隙だらけだが、迂闊に手を出してはいけない雰囲気がひしひしと伝わる。
「そんな……、いくらなんでも効果がデタラメ過ぎません!?」
「レイヤカースへの隷属と引き換えに……と言ったところか……」
ひとしきり自身の姿に酔いしれたマルディシオーネは、不意に眼球だけをルーク達へ向ける。
「さて、そろそろ行かせてもらいましょうか」
そう言うと、パチンと指を鳴らした。
するとどうだろう、ヴォーマを介抱していた兵士達の様子がおかしくなる。
「身体が……熱い……」
「た、隊長……!」
ついにはヴォーマ以外皆倒れてしまった。
「おい!!どうした!?」
ヴォーマが助けを求める兵士の手を取ろうとした瞬間だった。
ある者は鎧を埋め尽くさんばかりに肉が盛り上がり、ある者は顔から身体からあらゆる所から触手が湧き出る。
「な……!?」
味方が倒れる事に慣れている筈のヴォーマだが、目の前で魔物化していくのはそれとはまた違うのだろう。
口を閉じるのを忘れ、変わり果てて行く部下達をただただ眺めているだけだった。
「おや、ヴォーマ隊長。回復薬は使われなかったんですか。私お手制でしたのに、お気に召しませんでしたか?」
「か、回復薬……だと……?」
事を察したか、ヴォーマの表情が見る見る間に荒ぶる猛獣へと変わる。それを見たマルディシオーネの顔は、愉悦に歪む。
見た目だけでは、最早どちらが魔物なのか分からない。
「ふふふ、あれから少し改良を加えまして。私の好きなタイミングで効果が発動するようにしてみたんです。始めてですが上手く行ってよかったですよ。
本当ならもう少し後で使いたかったんですがね」
「この腐れ外道が!!」
マルディシオーネの首を再び切り落とさんと、ヴォーマが剣を全力で振り回す。
それをマルディシオーネは、人間では不可能な程に全身の関節をくねらせ回避し、同時に杖から赤黒い魔弾を飛ばしてヴォーマを吹き飛ばした。だがわずかに刃が掠めたか、彼女の首の繋ぎ目が再びぱっくりと口を開ける。
「おや」
「ぐ……」
ヴォーマは塞がったばかりの傷に障ったのだろう、呻きながら腹部を抑えて脂汗を滲ませる。
「ふふ、文字通り首の皮一枚繋がりましたね。さあ、今のうちに扉を開かせてもらいましょう」
魔物化した兵士達を引き連れたマルディシオーネは、辛うじて切り離されなかった首を再び接着させながら、真正面から堂々とルーク達の方へと向かってくる。
「うう……やるしかありませんの?皆さんは……人間ですのよ……」
「ラティエ、数で負けてんだ。手加減してたら俺達の方がやばいぞ!」
泣きそうな顔で尻込みするラティエにバァンが活を入れるが、バァンの拳や目にも迷いが生じている。
ルークもいざエテルナと同じ状況に置かれると、冷静な判断ができない。いや、そちらを決断する勇気が出ないでいる。
あっという間に距離を詰められ、マルディシオーネが一斉攻撃の指示をする。
あるものは牙を剥き出し、あるものは異様に伸びた第三の腕を振りかぶり、ルーク達へ向かってきた。
「エテルナ……こんな気持ちだったんだな……。俺は……」
「何をしている!!またエテルナの二の舞いになるぞ!!」
リレーミアがバチバチと稲妻のような魔力を腕に纏わせ、ルーク達の間から飛び出す。
魔物の攻撃とリレーミアの魔法が激突する――
そう思った瞬間だった。
リレーミアに当たるかと思われた魔物の攻撃は、別の魔物によって阻止されていた。
「キャアァァァァァァァーーーー!!!」
甲高い叫び声が響き渡る。女性の悲鳴のようなので、ルークとバァンは咄嗟にラティエの方を見るが、ラティエは魔物の方を向いたまま、息を呑んでたたずんでいる。
そう、どういう理由か突然魔物達が同士討ちを始めたのだ。先程の悲鳴にも似た叫び声は、魔物によって発せられていた。
雄叫びをあげながらがむしゃらに攻撃する様は、何処か怯えているように見える。
「な、なんだ!?」
これにはリレーミアも驚きを隠せない。
少しすると、悲鳴の様子が変わり、今度は何やら人の声に聞こえるようになってきた。
「た、助けてぇぇぇ!!ヴォーマ隊長ぉぉぉ!!」
「うわぁぁぁぁ!!魔物が!!魔物がいる!!」
それは紛れも無く、ヴォーマと一緒にいた兵士達の声だった。
「一体何が起きてますの!?兵士さん達、正気に?」
「人の感情が戻ってるのかよく分からないけど……、お互いが魔物に見えてるからか?」
「何だって!?
おい、止めろよあんたら!!攻撃してんのは味方だぞ!!!」
バァンの声は、パニックになった魔物兵士の叫び声と動乱にかき消された。
割って入ろうにも、今の兵士達の一撃一撃が致命傷レベルの威力。迂闊に飛び込めば、攻撃の余波だけで肉片にされてしまいそうな程だ。
ルーク達が考えあぐねている間に、兵士達は互いを傷付け合い、身体の一部を失っては再生する。
そして少しずつ、その数は減っていった。
「隊長……オレ、やりました……。魔物を、たくさん……」
最後の一人となった、四ツ腕の巨人のような兵士が、安堵の表情でヴォーマに近付く。
「ああ……そうだな。よくやった……」
ヴォーマは斜めに歪んでしまった兵士の顔を真っ直ぐ見上げる。出来る限り普段通りに振る舞おうという姿勢が強く感じられる。
「それにしても皆は何処に行ったんだろう。
あれ隊長、そんなに小さかっ……」
兵士はその時、初めて自分の手足の変化に気付いてしまった。鉤爪だらけの青紫色の手を見つめ、全身が震える。絶望と恐怖で、頭を抱えて悶えだした。
「あ、ああ……あ……!」
「ニック大丈夫だ、落ち着け!!落ち着くんだ!!」
ヴォーマは必死に声を掛けるが、その声が届く事はなかった。そして力を入れ過ぎるあまり、そのまま両手で果汁を絞るように自身の頭部を圧し潰した。
その身体は元々着ていた鎧を残し、霧となり消えた。辺りには、同じように兵士達の抜け殻が転がっていた。




