21. 追憶㉑
足元に広がる真っ赤な水溜まりに、エテルナが膝をびしゃりと沈めたその瞬間、歓喜の声は一瞬にして絶叫へと変化する。
そしてその声に呼応するかのように、なんとジュソーが首無しの状態で起き上がろうともがき出した。
「キャァァァ!!!」
「な、なんで首が無いのに動いてるんだ!?」
人々の心は再び恐怖で支配された。
「ど、何処かに……、本当の首が……ある……ず。
いそ……で!」
エテルナが口から血を溢れさせながら、息も絶え絶えに必死に言葉を発する。魔力を使い果たしたせいで回復魔法が使えず、腹を貫くジュソーの腕がうねる毎にどんどんと血の雫が滲み出る。
そこにジルマが駆け寄ってきて、急いで回復魔法を施す。
「皆手伝ってくれ!!貫通してるから腕はまだ抜くんじゃねぇぞ!!」
ジルマの声でパニック寸前だった人々は、どうにか我に返る。
回復魔法が得意な人間が集まりジルマの魔法に加勢するが、グネグネと暴れる腕のせいでなかなか回復が進まない。
「うう……!は、早く……!!」
自分はいいから早くジュソーにトドメをさせと、エテルナは魔法を唱えるジルマの手首をぎりぎりと握り締める。だがその力は、生まれたての赤子に握られたかのようにか弱かった。
「喋るなエテルナ!死んじまうぞ!」
「ジ、ジルマさん!早くしないとこいつの傷が治りきっちまうよ!」
倒れたジュソーをあわあわと見ている住民のひとりが言う。
「馬鹿野郎!今はそれどころじゃ無え!!」
だがジルマも、ジュソーを放っておく事はできないと分かっている。その焦りが余計に心を乱す。
「くそ……!!皆早く、もっとしっかり唱えろ!!」
八つ当たり的に叫ぶジルマ。
「ダメだジルマさん、やっぱり腕を抜かないと!!」
その時だった。
突然エテルナに刺さっていたジュソーの腕が黒い塵となって消えた。
血溜まりに栓を抜いたワインのように血が注がれ、意識を失ったエテルナはその中に身を沈めた。
皆が急いで駆け寄り円陣を組むようにして、エテルナの風穴に手をかざす。
風穴はあっという間に塞がり、血の絨毯に突っ伏すエテルナの乱れた呼吸が安定してくる。
兎にも角にも今は危機を脱した。安堵から大きく息を吐くと、力が抜けすぎたジルマはそのまま尻餅をついてしまった。
何が起きたのだろうかと、皆が一斉にジュソーの身体が倒れていた方に目をやる。
そこには、ジルマの剣を思い切り地面に突き立てているヘルト氏の姿があった。
「ひぃ!?か、勝手にすみません……!」
周囲の視線に気が付き、剣から慌てて手を離して大げさに飛びのくヘルト氏。
「あ、ありがとう!お陰で助かった!」
家族を連れて逃げようとしているヘルト氏に、ジルマが慌ててお礼を言う。力が上手く入らず土下座をするような形になってしまっている。
周りもジルマにつられるようにして、まばらに礼の言葉を口にする。
それに対してヘルト氏は、流れそうな涙を隠すように深々と頭を下げた。
「お……ん!!」
愛おしい声が、自分を求める悲痛な叫びがエテルナの頭の中で遠く反響する。
「お母さん!!」
声の出処へ向かって闇雲に手を伸ばす。
何かに触れたと思った瞬間、身体に暖かな衝撃がはしり、慣れ親しんだ臭いの柔らかな毛が頬をくすぐる。
エテルナは優しくも力強くそれを抱擁する。
「お母さん、……起きた?」
「おはよう、ロアン。母さん寝坊しちゃったかな……」
最悪の展開も考えていた少年にとって、それはどんなに心が震えた事だろう。ロアンは母に縋り付き、嗚咽を漏らす事しかできない。
その声に引き寄せられるように、こちらへと向かってくる足音がする。
ハッと息を呑む音が聞こえたかと思うと、足音は再び遠ざかっていった。
(さっきの気配は……ガインの母親?)
エテルナは不思議に思いつつも、ロアンの頭を撫で親子再会の喜びを噛み締める。
ロアンの様子が落ち着く頃、エテルナの所にジルマとリオがやって来て、あの後何が起きたかを教えてくれた。
ヘルト氏がジュソーに引導を渡した事も意外だったが、エテルナが何より驚いたのは、エテルナが意識を取り戻すまでの一週間、身の回りの世話をガインの母親が率先してやっていた事であった。
「ハッキリ謝ったワケじゃねぇんだがな……。まあ態度で十分伝わってくるんだよ。あれからガインもすっかり大人しくなってるし、ヘルトの旦那は今も復興作業をやってくれてるしな」
「そうでしたか……。
ところでジルマさん、……これはどうしたんですか?」
エテルナが自身の右腕に巻かれた、大袈裟な包帯に気付き尋ねた。それはジュソーの触手に噛み付かれた場所だ。
「ああ……。何故かそこだけ上手く回復できてなくてよ、薬草で作った軟膏を塗ってるんだ。ヘルトのヨメさんが言うには、評判の薬師が作った特別なやつなんだそうだ」
「まあ、それは……。ではお礼を言わないと――」
そう言ってベッドから出てこようとするエテルナを、皆で必死におさえる。
「エテルナ!頼むから自分を大事にしておくれ!」
リオの怒りにも近い懇願をされ、エテルナはおずおずと布団に潜った。
それからまた数日経ち、エテルナの日常が戻ってきた。だが完全に元通りというわけではなかった。
日に日に右手に力が入らなくなり、物をよく落としてしまうようになった。
ロアンを寝かし付け、軟膏を塗ろうと右腕に手を触れると、肌の質感に違和感を覚えた。
(固くなったゴムの様な……。もしや!?)
寝たばかりのロアン起こして、自身の右腕を見るように言う。
「ロアン、母さんの右腕……どうなってる?」
随分と時間を置いて、震える声でロアンは答えた。
「……腕が、右腕全部が……赤黒い。
ジュソーみたいに……なって……」
その言葉でエテルナは全てを察した。
次の日、エテルナはジルマやリオの他、自身と特に深い交流がある人々を家に呼んだ。
「狭い所で申し訳ないです。でもどうしても今、皆さんにお伝えしたいことがあって」
エテルナの改まった言い方と、ずっと下を向いたままのロアンに皆キョトンとしていると、エテルナはおもむろに右腕の包帯を取り、皆に見せた。
赤黒い肌を見てどよめきが起きる。
「……手短に言います。私はもうすぐ死ぬでしょう」
どよどよとしていた場が、息を合わせたように一気に静まり返る。外の日常と切り離された、別の空間のようだった。




