20. 追憶⑳
「皆逃げて!!魔法が使える人は手伝って!!」
エテルナが叫ぶ。だが人々は、今まで見た事の無い異形の魔物に慄き、ただ恐怖するしかなかった。
レイヤカースが封印されて十年余り、魔物の脅威がすっかり落ち着いてきており、皆それに慣れきってしまっていた。
残念ながら、エテルナに協力できそうな者は誰もいない。
今ジュソーは、何かに引き寄せられるように鶏が沢山いる木製の囲いへと、揺れながら足を引きずって向かっている。
皆嫌な予想をしていると、ジュソーの顔部分からトラバサミのような歯が付いた触手が、次から次へと伸びていき中にいる鶏達を次々と襲っていく。
飲み込む為の器官が無いせいか、肉を一口噛みちぎると、その場に吐き捨てている。
「や、やめてくれえー!!」
飼い主の男の悲痛の叫びと鶏達の断末魔が、背景音楽のように目の前の惨劇を彩る。その演目が終わる頃には、鮮やかな血濡れの羽毛布団が完成していた。
飼い主は目の前の事態を受け止めきれない様子で膝を着き、震えながら横たわる鶏達を眺めていると、なんとその中の一羽が脈動を始める。
生き残りが居たかと嬉しそうに駆け寄ったその時、鶏は嘴から生えた剣山のような歯を剥き出して、飼い主へと飛びかかった。
あわや頸動脈に噛み付かれると思ったその時、別の住民が薪を振り下ろしてその鶏を叩き落し、頭部がひしゃげたそれは、黒い塵となって霧散した。
マルディシオンを飲んで魔物化した人間が死んだ時と同じ現象に、エテルナは青ざめる。
先程の触手が、今度は人に向けられたらと思うと、身震いが止まらなかった。
「ひいぃぃぃぃ!!来るなあぁぁぁ!!」
叫び声にハッと気付けば、先ほどの二人に向かってジュソーがユラユラと近づいて行くのが分かった。
「やめて!目的は私でしょう!!」
エテルナが注意を向けようと叫ぶが、ジュソーは完全に言葉を理解する力を失っているようだ。
今度は炎の魔法を全力でぶつけてみるものの、気を引ける程の威力が出てないのだろう。そよ風に頬を撫でられたかのように見向きもしない。
壊れかけのゼンマイ玩具のような足取りなので、この土地を捨てて皆で逃げるのは簡単だろう。
エテルナに一瞬その考えがよぎるが、そうした所で起きる事態は変わらない。
ここではない何処かで別の人が犠牲になるだけだ。
エテルナはジュソーの左腕にしがみついて引き留めようとするが、力及ばずそのままズルズルと引き摺られていく。
近くに寄ってきた目玉付の触手を引きちぎると、手応えはあまり感じられないものの、ようやくエテルナを狙い始めた。
右側のガントレットを弾き飛ばし、十を超える指を持つ手を露出させ、エテルナの眉間を狙って伸ばして鋭い爪を伸ばしてきた。
エテルナは魔力の流れを感知し、手を離して間一髪で飛び退く。するとジルマが、錆び付いた鞘に入った片手剣を携えエテルナの元へと駆け付けた。
「エテルナ無事か!!」
「ジルマさん!?」
「心配すんな、ロアンはリオが手当してるよ!」
そうではないと止めようとするエテルナの声が聞こえないのか、ジルマは剣を抜くと鞘を乱暴に投げ捨てて、ジュソーに向かって構えた。
剣身部分は錆びてはいなかったものの、ずいぶんと使用感があるものだった。
「これを使うのも久しぶりだな。
何せエテルナと一緒に行くようになってから、全然使わず手入れもしてなかったからな」
剣を構えたジルマの雰囲気が途端に変わる。エテルナも敏感にそれを感じ取っていた。
こうしてエテルナの心配よそに、ジルマとエテルナ対ジュソーの戦いが始まった。
ジルマの身のこなしは手慣れたもので、エテルナは驚くと共に先程まで抱いていた心配はあっという間に拭われた。
だがジュソーの触手と鋭い爪を使った猛攻は、歩みの遅さとはうってかわって凄まじく、二人は攻撃を防ぐのが精一杯だった。
「ぐあっ!!」
どうにか攻撃に食らいついていたジルマだったが、ついに手から剣が弾き飛ばされ、宙を舞う。
くるくると飛んで行った先には藁山があり、そこにサクリと小気味良く突き立つと、いつの間にか姿が見えなくなっていたヘルト一家が、中から慌てて這い出してきた。
それに気付いた周りの住民達が取り囲む。
「何てことをしてくれたんだよ!」
「そうよ!あんな恐ろしいものを村に入れて!!」
「お前達であの魔物をなんとかしろよ!!」
皆口々に怒りをぶつける。
どうしようもできないヘルト一家は、顔を青くして団子のように固まって震えるばかりであった。
「うおお!?」
ジュソーの爪に、危うく輪切りにされそうになったジルマは、足が縺れて尻餅をつく。
「ジルマさん!!」
エテルナの魔法が直撃するものの、決定的なダメージはなく、すぐに回復してしまう。
引きちぎった目玉も、既に元通りになっている。
だが首に関しては一見無傷に見えるものの、斧が刺さったままであり、うなじのあたりから木製の握り部分が威圧感を放ちながら角のように飛び出していた。
エテルナは斧をどうにかできないかとチャンスを伺う。
その時、空振りした爪が近くにあった家の柱に引っ掛かり、大きな隙が生まれた。
今だと急いで駆け寄るが、今度は何本もの牙付きの触手がエテルナに次々と襲いかかる。
この攻撃はエテルナにとってまだ対処がしやすく、上手くかわしつつ時には受け流しながらついにジュソーの背後に回り込む。
一度だけ右腕に噛み付かれはしたものの、食い千切られる前に急いで取り払い、痛みに怯むことなくその角に飛び付いた。
するとジュソーは、それまで微動だにさせなかった上半身を暴れ馬のように揺さぶるので、エテルナは振り落とされまいと持ち手にしっかりとしがみつき、自身に残っている全ての魔力を一気に注入する。
エテルナの魔力に耐えきれなくなった斧が爆発した。
爆風が吹き荒れ辺りは砂煙に包まれる。そして中からジュソーの頭入りの兜が千切れ飛び、コロコロと転がった。
爆風がおさまり、皆固唾を呑んで煙幕のように立ち込める砂煙を見守っていたが、やがてそのカーテンが降り、少しずつ様子が見えてくると、ジュソーの首から下の身体が糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる所だった。
エテルナはその側に、険しい表情のまま微動だにせず立っている。
周りの人々が喜びの声を上げてエテルナに近付こうとしたその時、突然エテルナが吐血する。
どよめきつつ目を凝らすと、ジュソーの左腕が槍のような形となり、エテルナの腹部を貫いていた。




