18. 追憶⑱
閉じられた扉の向こうから、大人達の楽しそうな笑い声が聞こえる。
「なんなんだよ父さんも母さんも。こんな時だけ子ども扱いしてさ」
「何か考えがあるのかもな……。言われた通り、お前らはもう寝ろ」
20歳を間近に控えたミリーの二番目の兄が不満げに言う横で、流れで一緒に追いやられてしまった成人済みの長兄が、皆を寝かしつけようと布団を用意する。
「……アニキは寝ないのか?」
「本くらい読ませてくれよ」
一番上の兄がそう言って、吊るしてあったランタンを木製机に移動させる。
「ああもう、暗いじゃないか」
「もう寝るんだから別にいいだろ」
「ちぇっ、仕方ねえな。
……ほら、ロアンも入りな」
ロアンはミリーと促されるままに布団に入る。
ミリーはそろそろ年頃の為、いつもはリオと一緒か一人で寝ているが、今は心細いのか皆と一緒にいたがった。
「……お休み、ロアン」
「うん……ミリーもね」
いつもと違う匂いの布団の中で目を閉じる。
だがこの家はジルマ達の手作りで隙間だらけの為、隣の部屋から大人達の大きな話し声がよく聞こえる。
ロアンは気になって中々寝付けなかった。
会話の内容は世間話のようだが、ジルマはあの厄介そうな二人と、まるで昔からの友人だったのかと錯覚する程打ち解けている。
酒を飲み交わし、場の空気が解れてきた頃、ジルマは先程とはうってかわって低い声でヘルト夫妻に話しかけた。
「なあお二人さん、ちょっといいか?」
皆話すのをやめ、賑やかだったのが一気に静かになる。
そしてジルマは、住民からヘルト一家への苦情が立て続いている事を、まるで悩みを打ち明けるようにして話した。
「このままだと村の雰囲気が悪くなるだろう。ミリーの事は謝るからよ、これでおあいこという事にしねぇか?
せっかく縁あって一緒にいるんだ、仲良くやりてぇんだよ」
「まあそんな、ジルマさん!顔を上げてくださいな」
ヘルト夫妻が慌てている様子が扉越しに感じ取れた。傲慢な態度しか見ていないので、それがとても新鮮に感じる。
「すまねぇな、分かってもらえたかな」
「ええ、ですがこちらもお願いがありまして……」
「俺にできる事なら協力するさ」
「ありがとうございますわ……。では……」
ガインの母親が言いにくそうな、やけに勿体ぶった素振りをしている。
どんな無理難題を言ってくるのかと、ロアン達は居ても立っても居られなくなり、布団から抜け出して扉に耳をくっつけた。
「あの魔物の親子を村から追い出してください」
皆何の事か理解できない。ジルマ達も同じようで、中々言葉が出てこなかった。
「『魔物の親子』?ヘルトさんよ、魔物なんてこの村には……」
「魔法が使えない呪われたガキがいるでしょう!」
ジルマが喋るのに被せて、ガインの母親がヒステリックに騒ぎ出す。
突然の事で周りは飛び上がる程驚くが、ロアンはそれに加えて自分の事を言われた為に、息の仕方を忘れてしまいそうになる。
しかし騒ぐ声はまだ止む気配がない。キイキイと甲高い鳴き声のような声で何を言っているのかあまり聞き取れなかった。
「あんなの魔物の血を引いているからに決まってる!!そんな気味が悪いのと一緒になんか暮らせないわ!!」
この言葉はハッキリと聞き取れた。
あまりにも耳障りな声で好き勝手言いたい放題で、ついに我慢できなくなったミリーの兄らが、今にも部屋の扉をぶち破ってリビングへ飛び出していきそうになる。
まさにその時、向こう側からバタンと扉が開く大きな音がした。
「ロアンは……ウチの息子は魔物の子ではありません!!」
「……母さん!?」
そう、それはエテルナの声だった。
突然の第三者の登場で意表を突かれたのか、大騒ぎしていた声がピタリと止んだ。。
「……ジルマさん、リオさん。今日はロアンがお世話になる上に突然来てすみません」
エテルナは、急遽お泊まりになったロアンの着替えと歯磨きセットを届けに来たようだった。
しかし、外からも聞こえる程の大きな声での誹謗中傷に、たまらずノックもせずに飛び込んでしまったとの事。
「ロアンは……エレノシュ村で生まれ育った私と、荒野の城塞都市で商売をしているロウとの間に授かった、正真正銘人間の子どもです!」
「何を適当な事を!なら何故あの子どもは、当たり前にできる魔法が使えないのさ!」
多少の沈黙が流れた後、エテルナが静かに口を開く。
「……分かりました。お話します。
ジルマさんとリオさんには、あの時結局話しそびれてましたね……」
それはロアンも始めて聞く母の生い立ちと、父との馴れ初め話だった。
母が守護竜の生贄に選ばれ、レイヤカースとの戦いに身を投じた事、人々の協力と多大な犠牲によりどうにか封印をした事、その後のロウとの日々。
「――私にある加護の力のせいで、平和なはずの世の中が今度は逆に乱れ出した。だから私は力を封印したのです。でも、その時既に私のお腹にはロアンが宿っていました。
その影響で、私の巫女として過ごした日々も封印され、ロアンは魔法が使えない状態で生まれたのです……」
「そうか……、だから誰も知らなかったんだな。あの石像は、エテルナだったんだな」
「ババ様があの時言ってた事がようやく分かったねえ」
ジルマとリオの声は、長年刺さっていた喉の小骨が取れたような、嬉しさと安堵が混じり合っていた。
「ババ様には産むことを反対されていた時もあったけど、やっぱり産んで良かったです。ロアンに出会えたから……。ロアンは本当に可愛くて大切で、私の宝物です」
母のその言葉は、先程まで息を忘れる程のショックを受けていたロアンに、ようやく呼吸の仕方を思い出させた。そして、神が味方についたような、心強い気持ちになった。
「何を言うかと思えば……。そんな嘘を並べて人間に取り入るのはやめなさいな!」
ガインの母親はやたらと高圧的に続ける。
「かつてのレイヤカースとの戦いにはウチの旦那も補給係で参加してますけど、あなたに関する記憶が封印されたからと言って『はいそうですか』とは――」
「うう……!!」
その時、ヘルト氏が頭を抱えて急に苦しみだした。
「あ、あんた!?どうしたの!?」
「あの時の事を……思い出そうとすると……!!」
エテルナにとって、その症状は始めてではなかった。
ロウにペンダントを見せたあの時の、その苦しみ方そのものであった。
「私を直接思い出そうとするとそうなるみたいですね……」
普段のエテルナからは考えられない程に冷徹に言い放つ。
「い、いきなりウチの旦那を呪うなんて!!あなたが魔物だったのね!!
もうこんな恐ろしい村居られない!!」
ドタバタと慌ただしい音が、だんだんと遠ざかっていく。完全に聞こえなくなった瞬間、皆一斉に大きな溜息を吐いた。
ロアン達も安心して全身の力が一気に抜け、一斉にもたれ掛かったせいで扉が外れて壊してしまった。
いつもなら長いお説教なのだが、この時ばかりは笑って許してもらえたのだった。




