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涙と花

作者: うどん卿

 庭先にたんぽぽ色のぬくもりが帰ってきたころ、私は縁側でパイプをふかしながら夕刊を読んでいた。新聞は、いつもとそんなに大差なく、世界は私の知らないところででも私と一緒に動いているのだと、どこかで感じた。

 パイプがさめた頃、隣の賢二郎さんが現れた。

 「いらっしゃいましたか。どうですかな」

 そういう彼の手は、将棋をさす動きをしていた。

 「えぇ、もちろん」

 私は台所へ走りお茶を探した。しかしなかなか見つからない。

 「どうしましたか」

 「いやぁ、お茶をね」

 「いやいや、かまいませんよ私は。将棋をしに来ただけですから」 

 「そうですか。もうしわけありませんね」

 そう言って居間に置いてある将棋盤と駒を縁側に持ってき、再びパイプをあたためる。

 「いやぁ、それにしても今年の冬はきつかったですなぁ」

 賢二郎さんはパチリとさす。

 「そうですね。昔より寒くなったんじゃないですかね。それとも歳のせいか」

 私もパチリとさす。

 「いやいや、なにいってんですか。染井さんなんてまだ働き盛りじゃないですか」

 「教師といっても非常勤じゃぁねえ。この時間にこうやって縁側に座っているくらいですから」

 まだ冷たい風が頬をなでた。

 「いやいや、立派なもんですよ。私は芸術の方はさっぱりですからね。それにまだかいてらっしゃるんでしょう」

 「描いてるといってもうらたりなんだりしなきゃね、家内に怒られるだけです」

 パイプをふかしてパチリとやる。

 「ううむ」

 賢二郎さんの喉から声が出る。そこまでの奇策ではないが、彼のさし方を知っていればこその策であった。私は彼の長考の間、ゆっくりと空を見上げた。青い空は霞がかり、雲はやさしく引き伸ばされていた。空を飛ぶ鳥は空を飛んでいて、でも鳥の上にはまだ空があるのだなと思った。

 「これでどうですかな」

 健次郎さんはパチリとやった。

 「ううむ」

 今度は私が唸る番だった。

 「これはまた攻めましたな」

 「今日は気分がいいんです」

 私は盤を見つめながら、深く煙を吸い込んで出来うる限り細く長く煙を吐いた。

 「これでどうでしょう」

 パチリうつ。

 「なるほど、なるほど」

 お互い今日は気分が良かったのだろう。今日はいつもとはちょっと違った将棋をさした。煙はどこまでも天に登っていくようだった。

 「清さんはお買い物ですかな」

 「いやはや、どうでしょうな。私が帰ってきた時にはもういなかったものですから。案外、近くの公園にいるかもしれませんな」

 「ブランコとかにのってるのですかな」

 「ははは、ありえますな。小さい子の隣でブランコをこいでいるかもしれません」

 「いや、想像するだけで美しい。ひとつ絵に描いてみてはどうですか」

 「いやぁ、それこそ家内におこられてしまいそうですなぁ。これで王手です」

 もう終わりは見えていた。あとはどうしようもなくそこへ向かって淡々と進んでいくだけであった。

 「おっと、それではこれでどうでしょう」

 パチリ。

 「あっ、そうかぁ。これでは」

 パチリ。

 「いやはや、先生にはかないませんなぁ」

 「いやいや、今日は調子がよかっただけです。ちょうど家内も帰ってきました」

 買い物袋をもった清が庭に入ってきた。

 「あら、曽根さんいらっしゃってたんですの。どうも。あっ、ちょっとあなたお茶も差し上げないで」

 「いや、それがね、お茶がどこにあるかわからなくてね」

 「あぁ、私が将棋をやりに来ただけだから結構ですと断ったんですよ」

 「あら、そうでしたの。まだ、いらっしゃるでしょう。今いれますので」

 静は縁側に荷物を置くと、台所まで走っていった。

 「いやいや。賑やかになりましたなぁ」

 「すいません」

 「いえ、喜ばしいことです」

 「えぇ」

 「それより買い物でしたな」

 「え、何がですか」

 「あぁ、いや静さん。公園でブランコじゃなくて」

 「あぁ、そうですね。買い物だったみたいですね」

 静が戻ってくる。

 「どうしたんですか」

 賢二郎さんと私にお茶と煎餅を配りながら聞く。

 「いやね、将棋を指してる時に静さんの話になったんでよ。ねぇ」

 「そうそう」

 「それで、先生が公園かもしれないとおっしゃったのもので、買い物だったねと」

 「あらそうでしたの。私、公園にも行ってましたのよ」

 私はちょっとお茶をこぼしそうになってしまった。

 「おっ、そうでしたか。それではやっぱりブランコに」

 「なんでブランコですか、曽根さん。のりませんよ」

 「あらぁ。ブランコにはのらなかったですか」

 私はお茶をすすりながら、楽しそうに笑う静をみて、これは絵になるなと思った。どのような絵を描こうか、そう思ういながら私は静の顔を眺めていた。


 賢二郎さんが帰り、日が傾いてきた頃、静が晩飯をもってきた。私は落書きをしていた。

 「何の絵ですか」

 食器を並べながら清が聞いてきた。私はお前の絵だよなんて事を言えるはずもなく「あぁ」というだけにとどめた。清はそれ以上聞こうとはしなかった。

 ちゃぶ台には魚と漬物がならんでいた。

 「今日は魚か」

 「えぇ、安売りしてたもんですから」

 「いや、ちょうどそんな気分だった」

 「それはよかったです」

 この町も海までは電車ですぐだが、静はもともと漁師の家で生まれ育っているため魚にはうるさい。そのため今日の魚もとても美味しかった。

 「うまいねぇ」

 「いいところで育ったんですよ、きっと」

 「じゃあ、坊ちゃんか」

 「かもしれませんね。雌ですけど」

 「じゃあ、嬢ちゃんだな」

 「そうですね」

 「お前のもか」

 「私のは雄です」

 「そんなのどこ見たらわかるんだ」

 「あなたには分かりませんよ」

 静が意地悪そうに笑う。

 「いやいや、ほら教えてみな」

 静が少しこっちに身体を寄せる。

 「ここが雌のほうがちょっと丸いんです。それと目が可愛らしいでしょ」

 「ここ、と、目。だめだ、わからん」

 「だから言ったんですよ」

 「いや、わからんなぁ」

 「あなたは自分のことだけやっといたらいいんですから」

 「そうか」

 「そうです。今日は、帰りがはやかったみたいですけど、なにかあったんですか」

 「あぁ」

 と言って私は漬物をぽきりとやる。

 「最初の授業だから、はやく終わらせた」

 「そうですか。どうですか、中学校は」

 「そうねぇ」

 ご飯を食べる。私の好きな炊き加減。

 「元気だねぇ、みんな」

 「そうですか」

 「うん。みんな元気だ」

 そう言って味噌汁をすすった。


 晩飯が終わり、外もすっかり暗くなってきた。私は爪を切っていた。

 「ちょっと、新聞をひいてください」

 食器を運んでいる静におこられる。

 「ごめんごめん」

 今日の夕刊をしき、その上でぱちぱちとやる。今まで自分だったものが自分じゃなくなるというのは不思議なものだ。もしかしたらもとから自分じゃなかったのかもしれない。でも自分でも自分だと思ってしまうほど自分であったのか。

 「今度のやすみ、どっかいこうか」

 台所の静に向かっていう。

 「え」

 水がとまり、しばらくして手をふくながら静がやってくる。

 「なんですか」

 「ん。いや、今度のやすみにどっかいこうよ」

 「あら、どうしたんですか急に」

 私の隣に座る。

 「いや、別に。なにも」

 ぱち。ぱち。

 「いいですよ」

 「あ、ほんと」

 「どこにします」

 「ん。どこがいいかなぁ」

 ぱち。ぱち。

 「どこか、いきたいところがあるんじゃないんですか」

 「いや、そういうわけじゃないんだけど」

 「それじゃあ、海がいいです」

 私は静を見た。静も私を見ていた。その笑みは遠い遠い、遥か遠くの景色だった。

 「うん。海に行こう」

 「はい。洗い物してきますね」

 「うん」

 ぱち。ぱち。ぱち。ぱち。 

 ぱち。      ぱち。

 「うん。海に行こう」

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