彼女との出会い。そして救われた俺の人生。
世界は理不尽だ。生まれた時から人の価値は決まっている。そして俺は底辺だ。ただ生きているだけで、何をするでもなく、何かを生み出すわけでもない。そうして一日が今日もまた過ぎるのだろう。
俺は身支度をしてマンションを出て、いつもの通学路を歩き始めた。やけにせわしなく歩く人々。飛び交い続ける騒がしい音。そのすべてが嫌いだ。
電車の人混みも嫌いだ。そう考えていた時、視線に気が付いた。うちの学校と同じ制服を着ている女子だ。
なぜかじっと俺を見ている。少し気になったが、電車のドアの開閉音とともに流れ出した人混みにのまれ、やっとのことで人混みから脱け出した時には彼女の姿は見えなくなっていた。
高校について少ししてからホームルームが始まった。担任の先生は、いつもよりニヤニヤしていた。彼女でもできたのだろうかと思ったが、違った。
転入生だった。転入生はどうせ、俺のように浮いた状態から、すぐにクラスになじんでしまうだろうから嫌いだ。
まもなくして、転入生が入ってきた。そしてクラス中の生徒が息をのんだ。
転入生がとてつもなくかわいかったからだ。確かに入学したてのクラスにかわいい子は、そうなるのに無理はない。だが、俺が驚いた理由は別にある。
彼女が先ほど俺を見ていた人だったからだ。
彼女は緊張しているのか早歩きで教卓の前まで行き、はにかみながら自己紹介を始めた。
「広阪あかりです。よろしくお願いします」
それから、指示された席にそそくさと座った。
彼女――広阪は休み時間のたびに、湧いて出てきた、他クラスも含める多くの生徒に囲まれていた。そしてなぜか、ずっと一人の俺を見ては、寂しそうな顔をした。
学校が終わって、いつも通り多摩川のほとりに腰をおろした。俺はこの静かな場所で一人になるのが大好きだ。
そして今日も話した人は、授業で質問してきた先生と購買のおばさんだけだったなとふけっていると、後ろから名前を呼ばれた。
「高瀬蓮君だよね?」
広阪だった。しかし、なぜ名前も教えていない俺のことを知っていて、ついてきたのか……。
しかも美少女がこんな俺に何の用なんだ。すでにクラスに打ち解けてカラオケでも行っているものかと思っていた。
「そうだけど。何か用?」
陽キャが、俺のこのひと時まで邪魔するのは許せないと思い、強めの口調で言い放った。
広阪は一瞬驚いたような顔をした後、泣き出しそうな顔になって何も言わずに走り去っていった。
俺は驚いた。あれだけで逃げるように帰っていくとは思わなかったからだ。
だがすぐ、ボスキャラを倒したかのような喜びを感じ、久しぶりに笑った。
次の日からあれだけひどい態度をとったのに、なぜか広阪が俺によく話しかけるようになった。
はじめは嫌だったが、多摩川でのことを謝ってくれたりと、意外と優しいやつだなと感じ、俺の抵抗も三日で終わった。
広阪はどうやら、転勤族の父とともに家族で引っ越してきたらしく、そこは俺のマンションの近くだった。広阪はそのことを知ってから、一方的に一緒に登校するようになった。
その分、直接的ないじめを受けているわけではないが、学校中の生徒が以前よりも白い目で俺を見てくる気がした。
ある日、広阪が何度も多摩川のあの場所に一緒に行きたいと頼み込んできた。俺はあの場所を人に知られるのは嫌だが、すでに知られてしまっているので断らなかった。
放課後、二人であの場所へ行った。ついた後広阪が腰を下ろし川を眺めだしたので、俺もそれに従い川を眺めた。
しばらくして広阪が川を眺めたまま口を開いた。
「学校、嫌い?」
俺は少しの間黙った後、小さく答えた。
「学校も嫌いだけど、……俺はこの世界が嫌いだ」
誰にもこんなことを話したことがないので、そこまで言って俺の感情がふつふつと湧き上がってきた。
「この世界は不平等だ。生まれた時から人の価値が決まっていて、どうあがこうとそれは変えられないんだ」
「変わろうと、本当にした?」
「もちろんしたよ。でも何も変わらなかった」
広阪は、今度はしっかり俺を見て力強い口調で話し始めた。
「確かに、世界は不平等かもしれない。でも、その中でどう自分らしく生きていくかを探すことが人生だと思う。そうすれば、自分のできること、生み出せるものが見つかると思う」
「だから、それがなかったんだって!」
「探すのは義務じゃない。だけど人間には必ずある、何かをする力、何かを生み出す力、不平等を埋める力が。だからこんなところで人生を諦めちゃだめ。それに、人の価値は決まってなんてない。人は、できることとできないことをほかの人と補い合いながら生きているから、価値なんて決まらないよ。人生を自分色に染めるまえに諦めたら、人生終了だからね」
俺は、何も言えなかった。
広阪の言葉が正論すぎるからだ。
そうか。俺は現実から逃げていたんだなぁ。
そう考えていたら、涙が出てきた。悲しい涙ではない。自分のダサさや愚かさ、それを気づかせてくれた広阪への感謝の気持ちが込み上げてきたのだ。
「ありがとう」
俺は涙をこらえながら心からの気持ちを伝えた。
広阪は微笑んだ後立ち上がって、体を伸ばしながら川の方へ近づいて行った。俺も広阪について行った。そして、この先にはぬかるんでいて滑りやすいところがあると思い出した。
俺が声をかける前に広阪はバランスを崩しかけていた。俺は、とっさに広阪の手をつかんで引っ張った。
無事体制を立て直した広阪がなんともないことを確認していた俺に、過去の記憶が蘇ってきた。
小学校に入学したかしていないかくらいの頃、家族で北海道へ旅行した時のことだ。
俺と同じくらいの女の子が、川に落ちそうになった俺を助けてくれた。
その後、俺は彼女と遊んだ。俺は彼女をあーちゃんと呼んでいた。
それくらいのざっくりとした記憶だ。
その記憶から俺は、目の前にいる広阪が顔もほぼ覚えていないあーちゃんだとなぜか確信した。そして俺は後ろから尋ねた。
「あーちゃん?」
振り返った広阪は両目から涙をぼろぼろと流し始めた。
「やっと思い出してくれた……。約束守りに来たよ、れん君」
別れの日に結んだ約束、
「また遊ぼうね――」
俺は激しく胸を打たれた。俺は忘れてしまっていたのに、広阪は会いに来てくれたのだろう。
「ごめん。そして、二度も俺を救ってくれてありがとう」
「私も助けられたし、大丈夫だよ」
そう言って、夕日に照らされて微笑む広阪に俺の心臓がトクンと鳴った。
俺は自分の中にある気持ちを、広阪に伝えたいと思った。だけど、この気持ちが何なのかすらわからない。でも自分の口から言いたいと思った。
「「あの……」」
二人の口を開いたタイミングが重なった。
「俺後でいいよ。先に言って」
視線を合わせられず、うつむきながら俺は言った。
「その……、あーちゃんじゃ子供っぽいから、あ、あかりでいいよ……」
広阪はうつむいた後、上目使いで顔を赤くしながら小さく言った。
「お、俺もれん君じゃなくて、れんでいいよ」
俺の心臓はどんどん加速していき、オーバーヒートするかもしれないと内心思った。
その時俺は、あかりへのこの気持ちが何なのかわかったような気がした。
そして、その気持ちをぶつけようと決心した。
「……あかり、好きだ」
その一言に俺の思い全てを乗せた。俺は、それだけで十分だった。十年越しに約束を守りに来てくれて、さらに俺の人生を救ってくれた。
それ以上、他に望めるはずがないだろう。
それに、こんな美少女が俺のような凡人を好きになるはずがない。
今日の夜は父親の飲んだ、空のウィスキー瓶にジンジャーエールでも入れて、朝までふけってやろうと思った。
しかし、あかりの行動は俺の予想とは違った。
大粒の涙を流し始めたのだ。
「私も好き。昔からずっと、大好きだった」
涙を拭い微笑みながら息継ぎをして、あかりは話し始めた。
「うれしい。れん、これからもずっとずっとよろしくね」
俺の脳は状況に追いつけていなかった。初恋の美少女と付き合うことができるなんて、夢のようだ。信じられない。
そう思っていることが顔に出たのだろう、あかりが不思議そうな顔で聞いてきた。
「私が断ると思ったの?」
「まぁ、あかりはかわいいし、俺とじゃ釣り合わないと思ったから……」
あかりは顔を真っ赤に染めてうつむいたが、何かを決心したのか私が信じさせてあげると言って、俺の両肩を押さえた。
「え、な――」
あかりの唇と俺の唇が触れ合った。同時に、俺はあかりのにおいと幸福感に包まれた。
そして限界まで加速した鼓動の負荷に耐え切れず、俺の心臓はオーバーヒートし、はたらきをやめた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私はどうしたらいいのだろう。いや、何もできないのか。
私はこうしてただ病院の長椅子に座り、れんの無事を祈ることしかできない。
キスをした後、れんが倒れたのだ。救急車では心停止と言っていた。れんは助かるのだろうか。何もできない自分に果てしない嫌悪を感じた。
廊下には私以外の誰もおらず、規則正しく並んだ蛍光灯が何の慈悲もなくただ無機質に光っていた。
しばらくしてから、一人の男性が走ってきた。そして、私の隣に座った。
何分かたってから、手を組んで頭に当てていた隣の男性が口を開いた。
「君が、救急車を呼んでくれたのかい?」
「……はい」
「……そうか、ありがとう……」
そしてまた少しの間二人の間に沈黙が流れた。
「君は、蓮の何だい?」
突然尋ねてきた。
「……彼女、です」
私は正直に答えた。男性はあからさまに驚いたが、何も言わなかった。
私はこの男性がれんの父親であることを察し、名乗ろうと思った。
「私は広阪あかりです」
「私は高瀬次郎、蓮の父親――。あかりちゃんか? 北海道の?」
高瀬さんは、何かを察したようで、れんのことを話し始めた。
「蓮は母さんから遺伝して心臓が悪いんだ。その母さんは八年前に他界したが……」
高瀬さんは少し寂しそうな顔で、天井を見上げた。そして再び、息を吸って静かに語り始めた。
「蓮は母さんが他界してから、頻繁に病院に通わなくてはならなくなったんだ。それから、激しい運動や興奮をも避けなくてはならなくなってしまった。だから、小学校でも中学校でも自然に孤立していったんだ。でも、最近は少し話すようになってきていたんだ。それは、君のおかげなんだろうね。ありがとう」
私はそんな感謝の言葉なんて言わないでほしいと思った。罪悪感というおもりが私にのしかかったからだ。
私が、れんを殺すかもしれない。私のせいで……私がれんにキスしたから、好きだといったから、思い出させたから、会いに行ったから。
そんな思いが頭の中を駆け巡った。
「ごめんなさい……。私のせいです……」
私は震えた声で、そう言った。
「すまない。そんなつもりじゃなかったんだ……」
私は、自分の愚かさを呪った。そして、ひたすらに後悔を感じた。
私は何も知らず、考えずに、自分の欲のために動いていた。
私は、最低な人間だ。いや、人間ですらない。人間失格だ。
「本当にごめんなさい……」
私はうなだれるように、れんのいる病室を背にふらふらと歩きだした。
高瀬さんの呼び止める声は私には届かず、廊下に響き、真っ白な壁に吸い込まれていくのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
不思議な感覚だ。意識があるようでないような……。
もう俺は、死んでいるのかもしれない。
でもできることなら生きたい。
あかりといつまでも一緒にいたい。
死にたくない。
そう思ったとき、温もりを感じた。それは、手からのようだった。
俺はあかりだと思って、目を開き視線を手にやった。
残念ながら、父親だった。
父は俺の手を握ったままベッドの端に頭を置いて眠っていた。あぁ、これがあかりだったらなぁと心底思った。
その後すぐに父が起きた。結局その日は、検査などで一日つぶれてしまった。
俺は、あかりが一向に現れないことを不思議に思って、父に尋ねた。
父は俺が意識を失っていた時に何があったか全て話してくれた。
俺はとても不快に感じた。
そして俺は退院した翌朝、あかりの家の前に行った。
しばらくして、あかりが家から出てきた。平日なのであかりも制服を着ていた。あかりは俺の顔を見て安心した顔を見せたが、何も言わず立ち去ろうとした。
俺はあかりの手を取り、学校ではなく多摩川のあの場所へ向かった。あかりは特に抵抗するでもなく俺に連れられて歩いた。
ついてから、俺は腰を下ろした。あかりも俺に従い腰を下ろした。
そして、あかりは俺が話し始める前に話しだした。
「ごめんなさい。私のせいであなたは死んじゃうところだっ――」
俺はあかりを止めた。そして、今度は俺が話を始めた。
「確かに、俺は死にかけたかもしれない。けど、俺は死にかけたことに何も思っていないし、後悔なんてしていない。むしろ、あかりが俺の彼女になってくれて本当にうれしいって今でも思ってる。だから謝る必要なんてないよ」
あかりは何か言いたげだが、俺はすぐに言葉を紡ぐ。
「それに、俺は二度も俺の人生を救ってくれたあかりに、一生をかけて恩を返すって誓ったんだ。それに、あかり言ったじゃん。これからもずっとずっとよろしくって」
「れんが何も思ってなくても、私は自分勝手な私を許せないの。れんのこと何も知らないのに、私が私のためにれんに会いに行って、死なせてしまいそうになるなんて……私……」
あかりは泣き出しそうな顔でそう言った。
「自分のために誰かに会いに行くことは、ある意味当然だし自分勝手でもないよ。それに教えてないことを知らないのも当然だよ」
当たり前すぎて俺は少し笑って言った。そして今度は真面目な顔で言った。
「俺も自分のこと教えてなくてごめん。だけど俺はこれから、あかりに俺のことを知っていってもらいたいし、俺もあかりのことを知っていきたい。そうやってずっとずっとあかりと一緒にいたい」
あかりは視線を落とし少しの間黙ってから静かに言った。
「ごめんなさい」
「え……」
「違うの。約束、破ったから。あと、ありがとう。私を許してくれて、一緒にいたいって言ってくれて……。私もれんと一緒にいたい」
そう言ってあかりは、頬を薄く染めながら微笑んだ。俺はそのあかりの笑顔を一生見たいと思った。
「あかり、これからもずっとずっとよろしく」
「うん」
多摩川のほとりで、草花をそよがすお昼の心地よい風が、微笑む二人の髪をそっと撫でた。
初投稿で緊張しておりますが、楽しんでいただけたら幸いです。
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