ダンジョンの異変
胸糞注意
放心状態の幹隆をベッドに寝かせる。その瞳には光が無く、何かブツブツ言っているが、何を言っているのかわからない。
「どういうことなのかお聞かせいただけますか?」
「すみません……今は……」
「そう、ですか。ではそのノートの中身は?」
「……こちらに来てからのことを記した日記でした。余り大したことは書いて無くて」
「そうですか」
「あ、でも、ティアさんのことが書いてありました。とても良くしてくれていると」
「え……」
「召喚された方が伸び悩んで、ティアさんが叱られたと。でもティアさんは何も悪くないって憤ってました。あと城を出るときにもティアさんに害が及ばないようにしておこうって」
「……ありがとうございます。それで、あの……」
「あとは、ちょっと……お話しできない内容が書かれていて、それがミキくんにとって、ううん、私にとっても結構重くて。今はまだ私もうまく受け入れられないことで……その、ごめんなさい」
「わかりました……外におりますので、何かありましたら」
「はい」
ティアが出て行ったのを確認すると、幹隆の頭をそっと撫でる。いつまででも触っていたくなる手触りは変わらない。だが、いつもはピンと立っている耳が力なく垂れており、その精神状態がどれだけひどいのか、想像もつかない。
「ミキくん……私、どうしたらいいのかな……」
三年前のあの事故。幹隆が両親を失い、不自由な体に苦労し、それでも皆で支え合って、何とか立ち直ろうとしていた矢先に、こんな所に連れてこられた。それでも「自由に歩ける、走れるよ!」と気持ちを切り替えて、何とか頑張ろうとしていたのに。
あの事故がこの国が行った召喚が原因だったとなると……
「……受け止めきれないよね?……私もなんだかよくわからないよ……」
幹隆の手を両手で握る。涙があふれる。この感情がなんなのか説明できない。
あの事故は、警察発表ではトラックの運転手は即死だったとされていた。運転中に何かの発作が起きて、運転が出来ない状況になり事故が起きたとも――死亡原因が事故によるものか、発作によるものかは伏せられていた。なお、発作に関しては健康にしている人でも急に起こることもあるような物で、どんなに気をつけても防ぎようがないものだったらしい。そんなふうに聞かされていた。だから、本当に不幸な事故だったんだと言い聞かせながら、それでも必死に生きていこうとしていた。
ところが、実際には運転手の死体なんてどこにも無く、忽然と姿を消していたと言うことになる。警察としてはなんとも発表しようが無いから色々と取り繕ったのだろうし、あのときは何も疑っていなかったし、それ以上追求しようとも思わなかった。前を向いて生きていくためにも。
だが、今ここで知ったこと。残酷な……いや、残酷と言う言葉では足りない真実。この国は一体、何度幹隆を苦しめれば気が済むのか。
ぎゅっと幹隆の手を握る。たくさんの狐火――数えてみたら二十もあった――に囲まれて、幻想的な雰囲気すらある。だが、その表情は……人形の方がまだ表情豊かですらあると言えるほど、凍り付いていた。
余り眠れないまま翌朝になっても幹隆の状態は全く変わらず。眠っていたのかどうかさえもわからない、虚ろな目をして、ブツブツと何かを呟いている。
それでも手を引くと歩いてくれるので、食堂へ。だが、椅子に座ってから微動だにしないので、無理矢理口の中に食べ物を押し込む。わずかに口が動いたが、食べるまでに至らず、仕方が無いので、スープにパンを浸して口に含ませた。何もないよりマシ、と言う程度だ。
食事と呼べないそれを終えて部屋に戻ったところでティアさんが封筒を一つ渡してきた。
「これを渡すようにと」
「手紙?」
「はい」
「誰から?」
「その、同じ召喚者付の侍従からです。確か、ユリカと……」
「ユリカ……あ」
松本さんか。封筒を見ると確かに松本友梨香と書かれていた。
「それで……本日ですが……」
そして、悪いことに今日はダンジョンへ行く日である。休もうかと思ったが、騎士からは「歩けるなら行け」と言われてしまい、仕方なく手を引いてダンジョンへ。松本さんからの手紙の内容は気になるけれど、読んでる余裕がないので後回し。何しろ幹隆を歩かせるのに精一杯だ。
今回のパーティメンバーには「ショックなことがあったので」と伝えたが、詳細を伝えることが出来ない。そして引率の騎士は今までで一番不機嫌な顔をしていた。お前達が全ての元凶だ!と怒鳴り散らしたかったが、止めた。その資格があるのは幹隆だけだ、多分。
「……足引っ張るなよ?」
「私が面倒見る。それと、今日は分配いらない。多分迷惑かけ通しになるから」
「まあいいけど」
そんなことを言いながらダンジョンの中へ。そして予想通り、皆の足を引っ張った。何しろ、幹隆は誰かが手を引かなければ微動だにせず、棒立ちのまま。襲ってくれと言わんばかりの状態だ。茜が必死に手を引いて出来るだけ前線から離し、近づいてくる魔物を矢で射かけるが、どうしても動作が一歩遅れる。他のパーティメンバー五名+引率の騎士の視線が痛い。空気は最悪だ。
ダンジョンアタックも三度目ともなると、少しだけ慣れてきて、そろそろ効率よくレベル上げかと思ったのに、今日は最悪だ。連携以前の問題のために全員の消耗が早く、仕方が無いので安全地帯と言われている小部屋――妙にツルリとした岩壁で囲まれた丸い部屋だ――に入り、早めの休憩となった。あの狐獣人、魂が抜けたようになっていて、ハーフエルフの娘が手を引かないと歩こうともしないからな。周りのフォローが大変だ。
あのハーフエルフの娘、茜と名乗っていた。そんなのは学年で一人だけ。去年、俺――佐藤衛――が意を決して告白したのに、何のためらいも無く断った女だ。あの狐獣人のことを「ミキ」と呼んでいたが、その名前に心当たりは無い。何かのきっかけでついたあだ名か?まあいい。どちらも見た目はかなりの美少女だ。恩を売りつつ、迷惑料代わりに少し色々としてもらってもいいだろう。
元々の俺の容姿は中の上だと思う。少し背が低かったが、決して悪くは無かったはずだ。だが、こっちに来たとき、どういうわけか俺は馬の獣人になっていた。ケンタウロスならまだしも、頭と両脚が馬で尻尾付き。こんなの我慢できるか、冗談じゃ無いと思っていたが、どうしうようもないので、少し自暴自棄になっていたのだが、これはチャンスだ。
「なあ、おい……」
「え?」
「お前らさあ……」
Cグループの引率なんて、上からの命令だから仕方なくやるが、少しは役得が欲しいと思っていたところに、見た目だけは良い娘が二人いたのは運が良かったと思う。仲が良いらしくいつも一緒にいるので、毎回引率することにした。他の若手騎士に睨みをきかせれば、そのくらいは簡単にできる。今までの二回、その二人の様子を見ていたが、素人丸出しの動きが笑える。だが、二人とも体つきが娼館の女かと思うほどに良い。目の保養どころか、偶然を装って肘を当てて感触を楽しむなどしてみた。なあに、どうせ亜人だ。このくらいの扱いでちょうどいい。
だが、今日は様子がおかしい。どうも獣人の娘の方がまともな状態ではないようだ。まあ、魔物と戦うなんて経験が無いらしいから、遅かれ早かれこうなるのではと思っていた。少し面倒だが、機を見てあの二人を守るような感じに動けば、二人まとめて食えるか?ん?何だあの馬面野郎、その二人は俺が先に目を付けていたんだぞ?!
いつもよりも早く休憩しなければならない事態を招いてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいのまま、幹隆を座らせ、はあと一つため息をつく。本当にどうすればいいのだろうか。また一つため息をついたところで、今回のパーティの一人――馬の獣人?――が話しかけてきた。
「お前らさあ、一体何がどうなってんの?」
「なにがどうって……」
「そいつ、全然動かないじゃん。何やってんの?」
「そ、それは……」
「だが」
「うん?」
「今日終わったら俺に付き合ってくれるんなら、我慢してやってもいい。ついでに言うなら、お前ら二人とも守ってやるよ」
「は?」
何を言い出してるのこいつ。意味がわからない。
「だからよ、俺がこいつを……」
幹隆の肩に触れようとしたので思わずその手を払いのけた。
「触らないで」
「あ?」
「迷惑はかけないようにするわ。だからそっとしておいて」
何だってんだよ、精一杯やさしく声をかけてやれば、つけあがりやがって。ふざけんな。ムシャクシャして、思わず足元の石を蹴り飛ばした。
素っ気なく断られたようだ。当然だろう、とホッと胸をなで下ろす。まだ今は気力も残っている。声をかけるに早すぎるんだよ、若造が。どうやら相当悔しいらしく、地面の石を蹴っていた。さすがは馬の獣人、蹴り飛ばした石は結構な速さで岩の隙間へ飛んでいった。
ガチン、とぶつかった音。同時に……足元が光り出す。
「な、何だこれは?」
「え?え?」
ガキ共が騒ぎ出す。だが、俺もこんなのは聞いたことが無い。ここのダンジョンはとにかく広く、最初に潜る一層も他のダンジョンに比べると五倍ほどの広さがあるが、長年にわたり探索し尽くされており、罠のようなものが無いことは確認されている。罠がないとわかっているから、ここに戦闘訓練に来るのだ。
「外へ出ろ!」
そう叫んだ瞬間、足元の感覚が消えた。正確に言うと、地面が消え、全員が落下し始めた。
突然足元が光り、引率の騎士が何かを叫ぶのとほぼ同時にふわっとした感覚。直後に落下の感覚。
「え?!何これ?!」
周りを見ると、騎士もパーティーのメンバーも同じように落ちている。下は……ダンジョンのぼんやり光る壁が続いているものの、どのくらいの高さなのか全くわからない。
「ミキくん!」
幹隆はこの状況でも無表情のまま。何がなんだかわからない状況だが、幹隆を守らねば!そう思って茜は必死に幹隆に向けて手を伸ばす。
「ミキくん!……ミキくん!」
必死に手を伸ばす……なんとか……服の袖に手が届いた!必死に握り、抱き寄せる。どうしたらいいかわからない。でも、せめて幹隆と一緒に、そう思った。
「ミキくん、ゴメンね、ゴメンね……私がもっとちゃんとしていたら」
思わず口から出る言葉。ちゃんとしていたらどうにかなっていた事態でも無いのに、自然に口をついて出た。
ぎゅっと抱きしめる。獣人固有なのか、少しだけ高い体温と、なんとも生意気な柔らかさを感じる。心を閉ざしてしまっていても、幹隆は生きている。まだ生きてるんだ!
私ももっと生きたい!幹隆と一緒に生きたい!
絶対に生きて!魔王とか色々片付けて!一緒に日本に帰りたい!
涙が止めどなく溢れてきた。
「離さないから!絶対に!ミキくんを離さないから!」
「……ちょっと苦しい、茜」
ポンポンと頭を叩かれた。幹隆のいつもの優しい叩き方で。
「え?」
「なんだかわからないけど、ちょっと苦しい。あと、ゴメン。色々と」
思わず幹隆の顔を見る。
「ゴメンな」
茜の頭を軽く撫で、そう呟いた幹隆の瞳には、ちゃんと茜が映っていた。
「ミキくん……でも……」
「任せろ……何とかな……いや、何とかする!」
幹隆の表情は絶望していない。幹隆の瞳は何かを確信している。
狐火の浮遊 狐火十個消費
熟練度 0
これを……使う!
「狐火!」
既に二十個出ているが、出せる限り九個出す。これで二十九個。準備はこんなモンだ。
茜を抱きしめ、落下の風圧に少し目を細めながら、下を見る……底が、見えた!
「行くぞ……狐火の浮遊!」
周りに漂う、落下速度についてきてるのがなんとも不思議な狐火が十個、グルグルと周囲を回り出し、幹隆の体に吸い込まれていった。