事故の記憶と転移の結果
――およそ三年前――
ピロリン、と幹隆のスマホがメッセージの受信を伝えてくる。
車の後部座席で寝そべっていた彼は、もそもそと起きてメッセージを確認する。
『今どこ?』
高速道路、という意地悪な返事をしようとしたがやめて、さっき通過したインターチェンジの名前を送るとすぐに返事が返ってきた。
『来週なんだけど……』
メッセージの相手は幹隆の自宅近くのショッピングモールで開催される予定のイベントについて書いてきた。某アイドルグループが来るらしく、それを見たいらしいが、広いショッピングモールなので絶対迷うから一緒に来て欲しいらしい。
ま、いいか、と了承する。
「茜ちゃんか?」
運転席の父が聞いてくる。
「ん?そうだよ。来週こっちに来るときに、なんかアイドルのイベントがあるから連れてってくれって」
「あら、それなら私も行きたい」
助手席からアイドルグループの名を口にした母が答える。ま、このミーハーな母はきっとそう言うだろうと予想していた父と幹隆は苦笑する。
「俺は仕事だから行けないけど、楽しんでくるといいさ」
幹隆達、村田家の三人はお盆休みを利用して母の実家――祖父母は他界しており、伯父さん達、川合家の家族三人だけで住んでいる――へ帰省していた。墓参りと地域で開催される小さな祭りを見物して帰ってくる、毎年恒例の家族行事。だが、中学三年生という微妙な年頃の幹隆はちょっとだけ煩わしさを感じていた。
まあ、中学生にもなるとよくあることだが幹隆の場合、一つ年下の従姉妹、茜が煩わしさを感じる理由の一つだった。小学校の頃はいつもあとを追いかけ回していた妹のように感じていた女の子が、中学生になって急に大人びてきて距離感がつかみづらいというか……そんなこともあって、やや冷めた感じで接していたのだが、向こうはお構いなしに距離を詰めてきた。今年の帰省ではとうとうメッセージアプリのIDを教える羽目になり、さらに来週、村田家に来るときに――これも毎年恒例なのだが――なんだかイベントに連れて行くことが決まってしまった。
危うく『デート』になりそうな所だったが、母も連れて行くと言うことは伯母さんも連れて行くと言うこと。最悪のパターン『二人きり』は回避できるなら問題ない。
「んー、渋滞してるな」
「珍しいわね、この辺で渋滞なんて」
シートの間から前を見ると確かに渋滞しており、車は止まってしまった。
「何かあったのかな?」
父がラジオを交通情報に切り替えようとしたところで幹隆の記憶は途切れている。
「う……あ……」
次に幹隆が気付いたとき、考えたのは「手足が動かせない」「鼻と口に何か刺さっていて声が出ない」「目をなにかで塞がれていて開けることが出来ない」の三つだった。
ピピピピッ!ピピピピッ!ピピピピッ!
突然、すぐ近くでブザー音が鳴る。
バタバタと走る足音が聞こえ、周りに何人かやって来てなんか色々やっている。
「村田幹隆君、聞こえるかい?聞こえるなら左手の人差し指を動かしてみてくれないか?」
男性の声に応え、左手の人差し指をクイッと曲げる。首、肩から手首まで固められているが、左手の指先だけは動くようだ。
「よし。今から目にかぶせてあるものを外すよ。少しまぶしいだろうから、ゆっくりと目を開けて」
もう一度人差し指をクイッとやって目を閉じて待つ。
目を覆っていた何かを外す感触があり、「ゆっくり目を開けて」という声で恐る恐る目を開ける。
電気は消され、カーテンも閉めて薄暗くされた室内。数名の白衣の男女が幹隆を囲んでいた。
どう見ても病室で、彼に話しかけていたのは医者だった。
それから聞かされた内容は幹隆にとって色々と衝撃だった。
あの日、渋滞した車列に大型トラックがノーブレーキで突っ込み、全部で三十台以上が関連する大事故に。幹隆は全身を何カ所も骨折し、生きているのが奇跡と言えるほどの重体で、意識の無いまま運ばれて入院。目が覚めたときは、約三ヶ月が経過していた。
目を覚ましたという連絡を受けて茜たち家族三人が病院へ駆けつけてきた。まだ動かせないので派手に抱きついてと言うことはなかったが、全員が意識を取り戻したことを喜んでいた。
――だが、同時に伯父から、幹隆の両親が亡くなったことを静かに告げられた。
ショックであったが、実感のわかない話にぼう然とするしかなかった。
それから二ヶ月ほどかけて、ギプスが外れ、少しずつリハビリへ。
弱小校ながらもバスケ部に所属し、レギュラーとして頑張っていた自分がここまで動けなくなるとは。それなりに筋トレをして鍛えていて、ちょっとだけクラスの女子受けの良かった腕や足がここまで細くなるのかとショックを受けて、リハビリなんて、とやさぐれかけたが、毎週のようにやってくる茜がいちいち「頑張って!」と励まし、少しでも進歩があると「すっごーい!」とべた褒めするので、何とか頑張れた。
チョロい。
幹隆が一時退院できたのは意識を取り戻してから半年ほど過ぎた、四月も終わる頃であった。
「ただいま……」
伯父達に連れられ、帰宅した彼を迎えた我が家からは「お帰り」の一言はなかった。伯父達は事故のあと、葬式などを済ませ、家の中も整理してくれていた。食品が腐っていたら大変なのでありがたいが、片付けられてがらんとした家の中はとても寂しく、改めて両親が亡くなったことを実感させられ、幹隆は人目もはばからず泣いた。
一時帰宅はそれだけ。幹隆はそれからまたリハビリを続け、不自由さが残るものの、七月の梅雨もそろそろ明けそうな頃にはなんとか日常生活が送れるまで回復した。さすがにほぼちぎれかけた右腕は指先が少し動く程度だし、両脚も動きはぎこちないままだが。
病院でリハビリをする傍ら、学校の勉強も進めていたので、中学に行く必要は無かったのだが、ある程度の運動を習慣づける必要があるとして、学校に通うことにした。
ただし、自宅ではなく伯父達の家から。生まれ育った家は両親の思い出の品を整えた後、手放した。今の幹隆では一人暮らしはほぼ不可能だったし、伯父達から一緒に暮らそう、と誘われたから――幹隆のいないところで茜が強く希望したらしい――だ。
通う先は一番近い学校……小学校だった。学校側が色々配慮し、いわゆる保健室登校の形。近くにある中学校――茜の通う学校だ――から教師が交代でやって来て、課題を出して……と言う日々を送りながら、少しずつ感覚を取り戻していった。
そして高校受験。幹隆が通える――自転車はもちろん、電車・バスによる通学は無理と判断した――距離の学校は一つしか無く、そこそこレベルの高い学校ではあったが普通の生徒同様に受験し合格。そしてなぜか茜も――かなり無理をして頑張ったらしい――合格していた。
高校では体育の授業だけ免除とする他は、普通の生徒と同様に生活することを希望した。当初、学校側は茜と同じクラスにすることを提案したが、二人揃って拒否した。
そんな感じだから幹隆が「何か理由があって一つ年上で、体が不自由」と言うことは知られていたが、事故のことは聞かれなければ話さなかったし、二人が従兄弟同士と言うことに至っては誰も知らない。廊下ですれ違っても他人のフリであるし、教科書を忘れた、などと言って借りに行くこともない。
家に帰ると「勉強教えて」と幹隆の部屋に入り浸るのが常であったが。
そんな訳で幹隆が「ミキくん」と呼ばれて思いつくのは茜だけである。
「茜……にしては少し大きいか?」
「うう……そう言うミキくんもだいぶ見た目が違うんですけど」
「そうだな」
元々幹隆は百八十近い身長だったのだが、今はどう見ても百五十あるかどうか。対して茜は百六十近い身長になっており、完全に逆転している。
「……一緒の部屋にするか?」
「え、いいの?」
「知らない仲じゃないしな」
何となくだが、一人部屋は『勇者候補』に優先的に回されそうだ。では一緒に寝起きしてもいいような同級生に心当たりもない。茜なら、それこそ小さい頃には同じ部屋で寝ていたこともあるし、今は同じ屋根の下で暮らす家族だ。
とりあえず部屋について質問してきた侍女にこう告げた。
「二人部屋、ありますか?」
ティアというその侍女に連れられて三階にある部屋に入る。広さは八畳ほどで広くはないのにベッドを二つ入れているから、かなり狭く感じる。一応、城に大勢招待するときの客室らしく、風呂こそないものの、トイレと洗面はついており、室内の調度品もそこそこ高級なようだ。
(ベッドのシーツとかがだいぶボロいのは俺ら全員を歓迎していないるわけではない、と言うことだろうな)
余計なことを考える幹隆の横で、ティアが説明を続ける。明日は七時から一階の食堂で朝食、八時から別棟にある講堂で座学があり、午後からは騎士団の使用する教練場で実技訓練。一階に大浴場があって、明日から使えるが利用できる時間に注意、とのことだった。
「では私はこれで失礼します。何かございましたらお呼びください」
そう言ってティアは辞していった。事務的で冷たい印象があるが、これも歓迎されていないからなんだろう。勇者候補はもう少し違うんだろうな。
ティアがいなくなると、茜は早速洗面台へ向かい、鏡に自分の姿を映していた。
深い緑色の髪、同じ色の瞳、やや尖った耳、白い肌……
「これってエルフ?」
「いや、エルフはもっと耳が長いんじゃないか?」
実際には本場の――空想世界に本場も何もないが――エルフはそれほど耳は長くない。長い耳のエルフは日本の某アニメが原因らしいので、完全に偏見だ。
「あー、そう言えばさっき才能を調べたときにハーフなんとかって」
「ハーフエルフかな。人間とエルフの間に生まれるらしい」
「へえ」
「と言うか、ファンタジーの話だからな。ホントかどうかは知らないよ」
「ま、どっちでもいいわ。結構この体、スタイルいいし」
色々とポーズを取りながら「どう?」と聞いてくる。日本人基準で見ても結構美人な顔立ちにただの布を巻いたのと変わらない格好はなかなかに際どいのだが、残念なことに幹隆の体は何も反応しない。反応する器官が無いからだ。
「何をしたいんだ?」
「んー、なんか悔しい」
なぜかむくれている茜が幹隆を鏡の前に押しやり、二人してため息をつく。
予想はしていたが予想通り……美少女と呼んで差し支えない顔がそこにあった。頭の上に三角の耳があり、耳と同じ、金色に近い明るい茶色のショートボブに日本人的な顔立ち、そして背丈に見合わないプロポーション――茜以上かも知れない――に足首まで届きそうな太い尻尾。
「なあ茜、見違いでなければ、なんだけど」
「ん、何?」
「犬と言うより狐の耳だよな」
「そうね」
「この尻尾も狐のだよな」
「そんな感じね」
狐の獣人か。才能のアレは聞き間違いじゃ無かったのか。
だが、転移によって体が作り替えられ、事故の影響で満足に動かせなかった体が自由に動くようになったのはとてもうれしいことだった。
だが、種族の違いにより尻尾が生えた。ちょっと意識を向けるとブンブンッと揺れる。
そして、性別が変わったことによって体のバランス感覚がだいぶ違っている。
思い通りに動くようになった体でありながら、なんだか他人の体のような感覚もあり、ちょっと戸惑っている。
「ところでミキくん」
「な……何?」
「才能、なんだった?あ、私は盗賊だった」
「……こ」
「え?」
「き……こ」
「もうちょっと大きな声で……」
「狐巫女」
「はあぁぁぁっ!?なによそれ、この見た目だけでも反則級なのに、その上そんな才能?アレなの、萌えキャラのトップめざしてるの!?」
両頬をつまんで引っ張られる。
「くっそー、なんなのよ、このぷにぷにほっぺは!一日中触ってられそうじゃないの!」
「い、いひゃい」
ベッドにそのまま放り投げられ、後ろから胸を鷲掴みにされる。
「ぐ……私も結構大きくなったと思ったのに、それより大きいなんて!」
「や、やめ……くすぐったい……」
続いて尻尾。
「うわあモフモフ!マフラーにしたい!」
「うひゃあ!」
耳。
「何このずっと触っていたいフニフニ感は!」
「ふにゃあああ!」
全身くまなくいじられた。主に耳と尻尾を――ある程度は自重したらしい。
「ミキくんがこんなに可愛くなるなんてっ!」
「はぁ……はぁ……」
「なんだかすごく悔しい。負けた感じ」
「な、なんの勝ち負けだよ……」
ノロノロと幹隆が起き上がり、トイレに向かう。
「ミキくん」
「何?」
「大丈夫?」
「……座れば大丈夫だと思う。洋式の形に近かったし」
「困ったら呼んでね」
「できるだけ頑張るよ」