穴の底
ぼんやりと幹隆の体が光る……だけ。
「ミキくん……」
「大丈夫……大丈夫だ」
初めて使うが、何が起きたのかすぐにわかった。
茜を抱きしめる腕に少し力を込め、ゆっくりと目を閉じる。集中だ。
すぐに何かの変化を感じ、ゆっくり目を開ける。微妙な変化でわかりづらいが、間違いなく落下速度は落ちている。その証拠に、一緒に落ちた他の連中――悲鳴がうるさい――との距離がドンドン開いていく。
だが、それでも危険な速度での落下だ。今のうちに出来ることをやっておこう。
「茜」
「何?」
「守るから……ちゃんと、守るから」
「え?」
言いたいことだけ言うと、茜を抱きしめる力を少しだけ緩めて体の向きを入れ替える。茜を上にして、幹隆が下。向き合ったままでは無く、茜も上を向くように。
あとはタイミングだけ。
衝撃に備えて少し体に力を入れた瞬間、地面に激突した。
「グッ!!」
「キャッ!」
さすがに落下の衝撃で声が出ない。痛みと言うよりも全身が熱い。だが、落下速度は相当抑えられたらしく、なんとか生きてる。だが、意識が飛びそうだ。
狐火の癒やし 狐火五個消費
熟練度 0
声が出ないが、使うように意識すると、狐火がグルグルと回り、体に吸い込まれる。
「ぐあっ」
折れてどこかに突き刺さっていた骨がグリッと動いたような激痛にうめく。
村田幹隆
狐巫女 レベル9 (76/90)
HP 1/90 重傷
MP 0/90
……もう一回。
また火が吸い込まれ、激痛に身もだえる。
HP 2/90 重傷
あと一回。
HP 3/90 軽傷
「ミキくん!!」
跳ね飛ばされた茜が、なんとか起き上がってこちらに這ってきている。無事だった、良かった、と幹隆は気を失った。
ゆっくりと目を開けると、こちらをじっと見つめる茜がいた。
「気がついた?」
「あ……ああ」
「どこか痛いところは?気分はどう?」
「全身がまだ結構痛い。でも、気分は……世界一寝心地がいい枕のおかげで天国だね」
膝枕っていいね、そう思って起き上がろうとしたが、無理だった。体のあちこちが痛み、その痛みのせいで強張ってしまっていてうまく体が動かない。
MP 33/90
狐火を三つ出す。これで七つになったので、狐火の癒やしを使う。じんわりと体の奥が温まるような感覚が心地いい。
HP 12/90
「よっと……ん、ありがと」
茜の手を借りながら、体を起こし、少し動いて壁に背を預けるようにして座る。少しふらつくのは……ああ、結構出血したんだな。服が赤黒く染まっている。
「ふう……」
「大丈夫?なんかまだ顔色が悪いけど」
「もう少し休めばなんとかなる……と良いな。茜は大丈夫か?」
「ん、おかげさまで。ちょっとぶつけてアザになってるけど、このくらいなら」
「そっか。良かった」
口ではそう言うものの、ちっとも良くない。茜に怪我をさせてしまうなんて。と言っても、この状況でちょっとアザが出来ました程度なら上出来か、と上を見上げる。
「どこから落ちてきたんだ?」
「全然上が見えないよね」
上を見上げても天井が全く見えない。それほどの高さの縦穴。よく生きていたものだと改めて狐火魔法に感謝する。
「ポーション、二本使っちゃったんだよね」
「あの騎士が持ってた奴か?」
「うん。ミキくんが死んじゃうかもって飲ませた」
「ありがとう……って、どうやって飲ませた?」
「秘密」
聞かないでおこう。
茜のそばには騎士や他の連中の武器と防具に背負っていたバッグが積まれていた。全部血まみれで。
そして、全ての死体が消えている。
ダンジョンで死ぬと一定時間経過後、荷物と共にダンジョンに吸収される。それは魔物も人間も関係なく。おそらく、茜はひどい状態の死体から荷物を剥ぎ取ったのだろう。大変だったろうに。
「茜」
「何?」
手招きすると寄ってきたので、頭を撫でる。いい子いい子。
「な、ななななっ……!ミ、ミ、ミミミミミミキくん!」
「ありがとう。荷物集めるの、大変だっただろ?」
「うあ……うん……あの……」
「ん?」
「もうちょっと……」
「いいよ」
俺があの日記でショックを受けてもずっとそばにいてくれた茜。感謝、感謝だ。しばらくの間、寄り添うようにしながら茜の頭を撫でていた。なんだか俺も落ち着く。
「ミキくん」
「ん?」
「体、大丈夫?」
「そうだな……もう少し休みたい」
「うん……寝てていいよ」
そう言って、太ももをポンポンと叩く。膝枕ですか……ではありがたく。
次に幹隆が目を覚ました時、また茜と目が合った。
「お目覚め?」
「うん……もしかしてずっと?」
「そうだよ」
「重くなかった?」
「ミキくんの可愛い寝顔見てたら気にならなかったよ」
「……そうですか」
聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる。
改めてステータスを確認する。
村田幹隆
狐巫女 レベル9 (76/90)
HP 61/90
MP 90/90
STR 9
INT 9
AGI 9
DEX 9
VIT 9
LUC 9
よし、MPが全快している。何はなくとも狐火を九個召喚。これで十一個だ。
「ミキくん?」
「狐火、色々使えるみたいだから出来るだけ呼び出しておこうと思って」
「ふーん」
さて、色々と気になるのだが……
「ここ、魔物は来なかったのか?」
「うん、一度も見てないよ?」
「安全地帯なのか……?」
「ここまで落とされたら安全も危険も無いと思うけど」
「だよなあ」
周囲を見る。岩、岩、岩。三百六十度磨かれたようにツルリとした岩肌しかない。
「どこかへ出る穴とか無いのかな?」
「それなんだけど……あの辺にあるような気がする」
茜の指さす方向……確かに段になっているように見えるが……
「ミキくん、見えた?」
「……見えた。確かに穴がある」
反対側の壁に茜が両手をつき、肩の上に幹隆が乗って確認。幹隆的には茜の上に乗るなんてと思ったが、背の高さと体重的に幹隆が乗ることになった。
さてどうしようか。
「まず明らかなのは、ここにずっといるのは不可能だと言うこと」
「そうね。騎士が持ってた保存食も、ちょっとしかないし」
「外に出るためにはあの穴からと言うことになる、でいいかな?」
「いいと思う。他に出入り口になりそうな穴、見当たらないしね」
「あの穴から出るとして、ここはどのくらいの階層だ?」
「うーん……落ちてきた高さがわからないけど、十階層以上はあるんじゃない?」
「だよなあ」
「魔物、強いのがいっぱいいるよね?」
「多分な」
だが行くしか無い。
まずは荷物をバラし、使えそうな物だけをバッグに詰めてまとめていく。特に騎士の防具はかなり良い品のようなので、持っていく物としてまとめる。
そして、ロープと少しばかりの道具を持ち、幹隆は壁の上、穴があると思われるところの反対に立ち、上を見つめる。
「ミキくん、いいよ」
「ああ」
ちょうど真ん中に茜が立ち、両手を組んで膝の高さに。
「狐火!」
準備している間に回復した分、一個召喚。これで十二個。
「行くぞ……狐火の浮遊」
幹隆の体に狐火が吸い込まれて体全体がぼんやりと光ると、茜に向けて走り出す。そのまま茜の両手の上に片足をかけ、茜がグイッと持ち上げるタイミングに合わせて思い切り高くジャンプ。浮遊のおかげで少しだけだが高く飛べた。あとはゆっくりとコントロールして、何とか段の所にしがみつく。
「ふぬぬ」
「頑張って!」
つるつるとした岩肌には指を引っかけられるところがないのでかなり苦労したが、なんとか段の上に転がり込んだ。
「ふう」
高さは十メートル以上、オーバーハングしている上に手をかけられそうな突起もないのでそのまま登るのは無理な状態だ。だが、登れないなら飛べばいい。飛ぶという発想を実現できるかどうかが鍵だけど。
「さて、穴は……」
縦横一メートルほどの穴に入ってみる。腰をかがめないと入れない狭さだが、五メートルほど行ったところで、通路に出た。ダンジョンの中の通路……よし。
「ミキくーん」
「おっと」
呼ばれて慌てて戻る。魔物がいきなり出てきてもマズいし。
段の上から下を覗き込むと、茜が手を振っていた。
「どうだった?」
「穴からダンジョンの通路に出られそうだ」
「おー」
騎士が背負っていたバッグにあった、地面に打つペグを出して、岩に打ち付けて簡易足場にする。そして持っていたロープを解いて下へ投げ下ろすと、茜が荷物をくくりつける。ゆっくりと持ち上げて、またロープを投げ下ろす。途中で騎士の盾を穴に立てかけたらいい感じにフタのようになった。これで、ここにいてもいきなり魔物に襲われる心配はなさそうだ。
そして最後は……
「ぐぐぐ……」
「が、頑張って……」
荷物はそれぞれ十キロ前後に分割できたが、茜はその体重がそのまま。必死に壁に手足をかけてよじ登ろうとするが、あまり効果は無く、幹隆は必死に引き上げた。全身汗びっしょりの上に、両手足がぷるぷる震えている。
「はあっ、はあっ……」
「ゴメンね、重かったでしょ?」
「……茜の今の身長なら普通だろ。気にするな……でも少し休む」
「うん……使う?」
ポンポンと。
「ありがたく」
「えへへ」
茜も非の打ち所がないような美少女になった幹隆の寝顔を見放題なのでWinWinの関係なのだ。
数時間休み、幹隆が回復したところで、茜が封筒を差しだしてきた。
「ミキくん、これ。今日出発する直前に渡されたんだけど」
「手紙?」
「松本さんからの……」
「え?」
「先に中、読んじゃったけど、その……」
「……ラブレターじゃないなら気にするな」
そもそもラブレターだったら破かれてると思いますが。
「えーと……」
突然手紙を書き残してごめんなさい。二人にはきちんと伝えておきたいと思ったので。
もう私、限界です。耐えられません。だから、ここを出ていきます。
「出て……いく?」
手紙の内容はこうだった。
ケンタウロスになった自分の体が受け入れられない、と。
当然のことだが、ただの女子高生がジェイソン・ス○イサムになるだけでも、相当なショックがあるだろうが、全体像はケンタウロス、下半身が馬である。そして、馬だから当然何も身につけない。常に全開。それがケンタウロスである。一部の男子生徒達はその姿を見て自信喪失したとかしないとか。幹隆はそれ以前に失っていたからある意味諦めていたので特に何も感じなかったが。
それだけでも精神的にかなり来るだろうが、そこに加えてトイレ問題である。幹隆は尻尾を抱えれば解決できたが、ケンタウロス……馬は基本的に外で自由に、である。人の目は気にしたいところではあるが、した後に紙で拭くと言った行為が不可能である。お嫁に行けないとかそう言う次元を飛び越してしまっているのだ。
もちろん、苦労しているのは松本だけではないが、Cグループは諦めて流されるだけの集団になりつつある中、幹隆と茜は何となく和気藹々とやっていて楽しそうで……癒やされた、と。
「これからどうするかは決めていませんが、二人とも元気で。日本に帰れたら、私の両親には、もう帰れなくなったと伝えてください……か」
手紙を閉じ、なんと無しに上を見上げる。
「ミキくん……」
「ああ。色々と考えなくちゃならないことが増えた。どうしたらいいか全然わからないことばっかりだ」
「うん」
「だが、今はここから出ることだけを考える。王宮の連中をぶっ飛ばしたいとか、魔王がどうとか、日本に帰るとか、そう言うのはここを出てからの話!」
「うん!」
一度ここに引き上げるためにまとめた荷物を解き、それぞれが装備する物、持ち歩く物に分け、持ち歩く物はまとめてバッグに詰め込んでいく。
幹隆は騎士の鎧の一部を身につけることにした。兜はそもそも耳が圧迫されてかぶれなかったが、胸当てと籠手と脛当てを装備。サイズが全然合わない分は衣類――比較的マシな奴を残していた――を詰め込んだ。そして、盾と棍を手に持ち、騎士の持っていた立派な剣は背中に引きずることにした。
茜は幹隆が装備しなかった……と言うか出来なかった部位を身につけた。あの騎士の兜なんてかぶりたくないが、今は『いのちだいじに』だ。武器は弓矢だが、矢の補充が絶望的なので短剣と投げナイフも用意。
「なんかさ……」
「うん?」
「茜は結構似合ってるよ。こう、反乱軍の兵士が相手の装備を奪って潜入工作します、みたいな感じで」
「そう?ありがと」
「それに比べて俺……ガン○ムって書いた段ボールかぶった外人のコスプレみたいなんだけど」
「ぷぷっ、そう言われれば……ぷはっははははっ」
ツボにはまったらしくしばらく茜は笑い転げていた。
「さて、行くぞ」
「うん!」
基本的に前衛を幹隆が務める。この騎士の盾は結構良いもののようなので、姿勢を低くして構えれば幹隆の全身を覆い隠せる。これで相手の攻撃を防ぎつつ、棍を振り回す。そして後ろから茜が攻撃する。今のところ、これ以上の作戦が思いつかない。
ゆっくり慎重に穴を進み、通路へ出る。左側はすぐに行き止まりなので右側を……
「うわああ!!!」
「ひょえええ!!!」
いきなり骸骨が剣を振り下ろしてきた。




