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フラグ管理は抜かりなく

 聖エリザベート学院は王宮に隣接し、その建立に初代国王の妻が関わったとされる由緒正しい教育機関だ。サンドリヨン王国の貴族家では、ここを卒業して初めて一人前と見なされ、そうでなければ家を継ぐのも結婚をするのも認められないことが多い。そのため、生徒のほとんどは貴族の子女である。多くの者は四年間の教育の後、卒業試験に合格して、晴れてここから巣立っていくのだ。


 エリオットは聖エリザベート学院の三年生だった。しかし、学院の授業は退屈だ。何せ、エリオットがみんな知っていることを教師が話すのをもう一度聞くだけなのだから。復習と思えば良いのだが、つまらないものはどうしようもなかった。

 だが今日は、退屈などと言っていられない事態が発生した。


 エリオットが、その日の最後の授業を受けていたときだ。王国の地理についての板書を書き写すのに飽きたエリオットが何気なく窓から外を眺めていると、誰かが学院の庭を横切っているのが目に留まった。見覚えのあるピンクの髪。エリオットは素早く立ち上がった。


「すみません。気分が優れないので、医務室へ行きます」

 エリオットは教師の許可も取らずに、教室の外へ出た。その俊敏さときたら、どう考えても体調の悪い者ができるような動きではなかったが、突然の事態に、誰も止める暇など無かった。


(間に合え……)


 階段を一段飛ばしで駆け下りながら、エリオットは焦っていた。エルティシアの用事で学院にヘレナが来ることはある。だがここは、男子の校舎だ。それなのにヘレナがこんなところにいる理由は一つしか思い浮かばなかった。


 庭に出たエリオットは、躊躇わず厩舎のある方へ向かった。柔らかい土を敷き詰めた乗馬の訓練場が見える。馬に乗る生徒たちの間を、エリオットの視線が行き来し、ついに目標の人物を見つけた。


(遅かった……!)


 エリオットは悪態をつきたくなった。訓練場の隅の方でヘレナが話していたのは、シャルルだった。


 今月のこの時間帯に、シャルルが乗馬の授業を受けるという話は、エルティシアから聞いて、エリオットも知っていた。ヘレナも同様だったのだろう。抜け目の無い子だ。


 二人が鉢合わせるのを阻止はできなかったが、まだ諦めるわけにはいかなかった。エリオットは訓練場に乗り込むと、仲良く話すヘレナたちの間に割って入った。


「やあ、エリオットじゃないか」

 いきなり会話を遮られてシャルルは驚いたようだったが、相手が誰か分かると、相好を崩した。


「もう授業は終わったのかい? 僕は今、乗馬の練習中なんだ。でも、何だか馬って怖くて……」

「ヘレナ」

 エリオットはろくに相槌も打たず、ヘレナの方を見た。


「こんなところで油を売っていたらダメだよ。姉上には黙っておいてあげるから、早く屋敷へ帰るんだ」

「で、でも……」

 予想外の邪魔者に、ヘレナの方も驚いていた。困った様子のヘレナに、エリオットは素早く畳みかける。


「ドレスのシミ抜きと、修繕は良いの?」

「……そうでした」

 ヘレナの顔が青ざめた。ドレスが破れてしまったことをエルティシアはまだ知らない。元はと言えばアイリスのせいなのだが、そんな言い訳が通じるエルティシアではなかった。さっさとドレスを直して、何食わぬ顔をしている方が賢明というものである。

 そのことはヘレナも分かっているのだろう。シャルルとエリオットに頭を下げると、訓練場から出ていった。


「ヘレナさん、結局何の用事でここへ来たんだろう?」

 シャルルは呑気に首を傾げた。まったく……とエリオットは頭を抱えそうになる。


「シャルル様、ヘレナのこと、どう思っていますか?」

「え? うーん……面白い子、かなぁ」

 シャルルは臆面もなく答える。エリオットは心の中でガッツポーズをした。まだシャルルはヘレナに恋をしていない。充分巻き返しは可能だ。場合によっては、三角関係などというややこしいことになる事態も覚悟していたので、安堵する。


「シャルル様、分かっているとは思いますが、シャルル様の婚約者は僕の姉上ですよ」

 だが、エリオットは念押しをしておくことにした。


「あまり他の女の子と仲良くすると、姉上は嫌な気分になるのではないでしょうか」

「確かに……そうだね。そんなこと、考えたこともなかった。流石エリオットはお姉様のこととなるとよく気が付くね」

 シャルルは感心したように言った。「それだけじゃありませんよ」とエリオットは返す。


「もしシャルル様が姉上でなくヘレナを妻にしたいなどと考えるようになったら……」

「つ、妻!?」

 シャルルは、まるで今し方、目の前をサイの群れが横切って行ったような驚き方をした。その反応に、エリオットは満足して続ける。


「きっと王室中の人から反対されますよ。シャルル様はいずれ王位を継ぐ方なのですから。そんな人の妻に平民がなるなんてって……。その点、姉上なら完璧に釣り合います。何せ名門ローゼンベルク家の出ですからね」

「あれ……? でも君のお母様は確か、あんまり身分が高くなかったような……」

「……はい、そうですよ」

 エリオットは少し眉を曇らせて頷いた。


 エリオットの実母、カサンドラは、しがない小貴族の生まれだ。本来なら、ローゼンベルク家の当主の妻として相応しくないと見なされるだろう。だが、学院時代に講堂で歌っていたカサンドラの美声に、エリオットの父のヒューゴが惹かれたことがきっかけで、二人は恋人同士となったのだ。卒業した二人は結婚したが、カサンドラはエリオットがまだ三歳の頃に亡くなってしまった。


「父上は、どうしても母上が良かったのでしょう。でも……そういう特別な理由がない限り、わざわざ身分が高くない人を妻にする必要はないと思います」

「そうか……。君のお父様は、お母様のことがとても好きだったんだね」

「はい。父上は絵を描くのが趣味でしたからね。母上も芸術的な感性が優れていたようですし、気が合ったのだと思います」

「へぇ、絵を」

 シャルルは興味をそそられたようだが、エリオットは苦笑してしまう。


「と言っても、下手の横好きですよ。誇張表現しすぎた肖像画とか、頭と尻尾の区別が付かない犬の絵とか……」

 思い出しながら、エリオットは暗い気持ちになってきた。もう屋敷には父の絵は一枚も残っていないのだ。父の死後、家に押しかけて来た叔母が、「変な絵」と言いながらみんな焼いてしまった。「画商に見せたって『これは値段が付けられませんな』と鼻で笑われたよ」と叔母が文句を言っていたこともエリオットは知っている。


「あっ、ごめんね。エリオット。お父様の話なんて」

 エリオットの内心を誤解して察したらしいシャルルが謝ってきた。


「もう四年経つけど、やっぱり寂しいよね。僕もおばあ様が亡くなったとき、すごく悲しかったよ」

 シャルルがどうにか慰めようとしていると、終業の鐘が鳴った。それは、今日の授業が終わったことも意味している。


「行こう、エリオット」

 シャルルがエリオットの肩をポンポンと叩いた。二人は訓練場を後にする。


「お茶でも飲もうか? 少しは気分が落ち着くと思うよ。……あれ?」


 結構ですとエリオットは断ろうとしたが、シャルルの目はこちらを見ていなかった。『今週の特ダネ! ベルナ家令嬢、十八番目の恋人と破局!』という見出しがでかでかと載っている学園新聞の張られた掲示板の近くにある、馬車置き場の方に視線が向いている。

 そこにはすでに帰ってしまったはずのヘレナがいた。体の大きい男と話して……いや、絡まれている。エリオットは動揺した。


「誰だろう、あの人。何だかすごく怖そう……。それにヘレナさん、どう見ても嫌がっているよね?」


 シャルルはヘレナを助けに行きたそうにしたが、男の様子に二の足を踏んでいた。がっしりした肩幅と首回り。腕も足も丸太のように太く、かなり筋肉質だ。それだけでも威圧感を覚えるが、顔立ちはその比ではない。潰れたように広がる分厚い唇、泥団子を押し付けただけと形容するしかない形の鼻、目はギョロギョロしていて、いかにも残忍そうな眼光を宿している。ブルーノ・フォークナー。ローゼンベルク家と並ぶ大貴族、クリアリー家に仕える下男だ。


 エリオットとブルーノは面識がなかった。にもかかわらず、エリオットが彼のことを知っていたのは、一重にヘレナの日記のおかげだった。六週目で、酔狂なことにヘレナはわざわざバッドエンドを選んでいた。そのときに活躍するのが、このブルーノだ。


 ブルーノは以前からヘレナに思いを寄せていた。その思いは歪んだ思考を彼に植えつけ、ある夜、ブルーノはローゼンベルクの屋敷にこっそり忍び込む。そこでブルーノは屋敷に油をまいて火をつけ、燃え盛る建物の中でヘレナの首を絞め、その後自刃。次の日、ようやく火が消えた屋敷からは家人の他に、一人の少女を抱きしめた見慣れぬ男の遺体が見つかった……。 


 こうしてはいられなかった。エリオットは「人を呼んできた方が良いかな……?」と弱々しく尋ねてくるシャルルを放って、脇目も振らずヘレナの方に駆け寄った。


「その子はうちの使用人だ」

 エリオットはブルーノを睨み付けた。


「彼女はお前に用はない。分かったなら、立ち去れ」

「ああ……ローゼンベルクの坊ちゃんですか」

 ブルーノの声はねばねばしていて、品のないものだった。


「いえ、大したことじゃないんですよ。少し挨拶をね……」

「立ち去れと言っているんだ」

「すみませんね、でもこちらの話ももう少しで終わりますので」


 何だかんだと言って踏み止まろうとするブルーノに、エリオットは苛立った。ここはヘレナを連れて無理に逃げてしまう方が良いのかもしれない。この男は追いかけてくるだろうか。


「おい」

 突然聞こえてきた冷たい声に、エリオットははっとなった。


「何をしている」


 少年が腰に手を当てながらブルーノに突き刺すような視線を向けていた。赤い髪が印象的なプライドの高そうな知的な顔立ちをしている。彼に関しては前からエリオットも良く知っていた。ニルス・フォン・クリアリー。クリアリー家の嫡子だ。


「これは……坊ちゃん」

 自らが仕える家の者の登場に、さしものブルーノも縮こまってしまったようだ。声が尻すぼみになっている。


「ローゼンベルクの者に言い寄ったりなどして、恥を知れ。栄光あるクリアリー家の名を汚すつもりか」

「も、申し訳ありません……」

 ブルーノに説教するニルスの言葉を聞いて、エリオットは失笑しそうになった。ニルスも攻略対象の内の一人なのだ。ヘレナは七週目で彼と結ばれている。


「目障りだ。失せろ」

「は、はい」

 ニルスの命令に逆らうほどブルーノは愚かではなかった。あんなにグズグズ居直ろうとしたのが嘘のようにあっさりと引き下がる。


「勘違いするなよ」

 ブルーノが行った後で、ニルスはエリオットたちに傲岸に言い放った。


「お前たちを助けてやった訳じゃない。クリアリー家の名誉のためだ」

 捨て台詞を残して、ニルスも去っていった。ローゼンベルク家とクリアリー家は古くからの仇敵同士なのだ。ニルスにとってはローゼンベルクの関係者の窮地を救ったなどと、耐えられない事態だったのだろう。もっとも、エリオットはそのようなこと、どうでも良いのだが。


「ふ、二人とも無事で良かったよ」

 遠巻きに見ていたシャルルが泣きそうな顔になりながらこちらに来て、情けなく言った。


「ニルスまで来るから、本当に喧嘩になるんじゃないかと……」

「上手くまとまって助かりました。それでは、シャルル様、今日はここで失礼します。僕はヘレナを送って行くので」

 シャルルとヘレナを近づけておくことに危機感を覚えたエリオットはすかさずそう言って、ヘレナの肩を抱いてローゼンベルク家の馬車が止まっている方に足を進めた。「またね」というシャルルの声が後ろから聞こえる。

 

 エリオットはほっと胸を撫で下ろした。これで、シャルルとのトゥルーエンドとブルーノとのバッドエンドを遠ざけることに成功したと思った。




 二人を乗せると馬車は出発した。ヘレナはすぐに「ありがとうございます」と言って頭を下げてくる。「気にしないで良いよ」とエリオットは返事する。


「君に何かあったら僕も困るからね」

「そうですか……」


 エリオットの言葉をどういう風に受け止めたのか、ヘレナは神妙そうな顔になる。そのまま黙り込んでしまった。エリオットも何を話して良いか分からず、少し困った。


 いつもエリオットは登下校の馬車の中では勉強をしているのだ。だが、今は手ぶらだ。それに二人きりでいるときに、相手が自分と全然関わりのないことを始めたら、ヘレナは不快に思うかもしれなかった。ヘレナに攻略してもらうためにも、そんなことはできない。


「あの、エリオット様……」

 エリオットは何か話題になりそうなことを考えていたが、先に口を開いたのはヘレナの方だった。


「もうすぐ学院で舞踏会がありますよね」

「ああ、創立記念の?」


 聖エリザベート学院では毎年、創立記念日に学院内の大ホールで舞踏会を開いていた。生徒だけではなく卒業生も集まるので、自然と国中の貴族家が集合する日のようになっている。


「あの……その舞踏会って見学とかできますか? えっと……私……」

「行きたいの?」

 エリオットは驚かなかった。創立記念舞踏会はサンドリヨン王国にとっても一大イベントだが、それはゲーム的に見ても同じことだったからだ。どのエンディングに行き着くとしても、ヘレナは絶対に舞踏会に出席することとなっているのである。誘われたり、こっそり潜り込んだりとその方法は様々だが、とにかく何らかの形で参加するのは間違いないのだ。


「いいよ。……ただし、僕のパートナーとして出るなら、だけど」

 ならば攻略対象としてエリオットがするべきは一つだった。ヘレナと舞踏会に出る。それ以外に考えられない。


「エリオット様の?」

 ヘレナは驚いたようだった。


「どうして……ですか?」

「僕が君と出たいからだよ」

「は、はぁ……」

 ヘレナは曖昧な返事を返した。さあ、どう続けるとエリオットは緊張の面持ちで答えを待つ。


「分かりました」

 やがてヘレナは、エリオットが渇望した答えを出した。仕方無くという風に聞こえなくもない口調だが、この際、そんなことはどうでも良い。


「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 エリオットは勝利の喜びに浸りながら笑顔で頷いた。

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