再起への道程
ミランダとアイリスが辺境にある城砦に幽閉されることが決まったのは、屋敷に警邏隊が乗り込んで来た日から、しばらく経った頃のことだった。
大臣を買収した件について、二人は何も知らないと主張したようだが、こう証拠がいくつも出揃った状態では、彼女たちの弁明に信憑性を見出す者などほとんどいなかった。
それに、数少ない擁護者も、品評会の審査員への贈賄が事実だったと発覚すると、ミランダたちが無罪だということを真剣に考える気が失せてしまったようだ。審査員たちが警邏隊に連行され、自らの罪を認めたのは、ミランダとアイリスが縄目に掛けられてから、数日後のことだった。
また、スミス・ウィークリーに載っていたウィリアムの証言通りに、ローゼンベルク家の庭から埋められた公印が見つかったことや、その近くからも、例の強盗に盗まれたはずの宝石や置物が出てきたこと、他にもクリアリー家の当主のダニエルが様々な貴族を扇動して王に直訴したことも、ミランダたちにとってマイナスに働いた。そういったいくつもの不利な出来事が重なった結果、彼女たちが辺境送りとなったのは、当然の成り行きだった。投獄されなかったのは、二人が貴族だったおかげである。
もちろん公印や貴重品類を埋めておいたのは、エリオットの指示で動いたクロウであるが、そんなことは誰も知る由もない。フォーレスト大臣も更迭され、後任は宮内副大臣であったハリスが務めることが決定していた。
ユリアは、ローゼンベルク家に何十人とスミス新聞社の記者を連れ込んで、エリオットたちだけでなく、料理人から庭師に至るまで、屋敷中の者に取材を行った。叩けば埃が出るとは、まさにこのことだろう。いや、叩かずとも軽く触れるだけで、塵芥の山が出来上がるほどだった。ミランダとアイリスの横暴な振る舞いに辟易していた屋敷の者は、ここぞとばかりに悪口雑言を並べ立て、今までの鬱憤を晴らしたのだ。
あらゆるところから「呪えるものならそうしてやりたかったですよ」「あの人たちは人の皮を被った悪魔なんです」「今回の件だって、自業自得ですよね」等々の、本人たちが聞いたら激怒しそうな証言が吐いて捨てるほど出てきた。そのため、取材が全て終わるのに丸三日もかかったほどだ。ユリアは、それらの証言をもとに何回かの特集記事を組み、そのたびにスミス・ウィークリーは飛ぶように売れていった。
ミランダたちの不正が暴かれて以降、世間は彼女たちのことを、大臣を買収するだけでは飽き足らず、それが失敗した場合に備えて審査員までも飼い慣らそうとした、狡猾な悪女だと認識するようになったようだ。それに加えて、強盗に押し入られたように見せかけ、あまつさえ自分たちは家宝の指輪や宝石類を盗まれたり、公印を壊されたりした被害者のように装うことさえしたのである。
皆の怒りは爆発し、一時はローゼンベルク家の屋敷に石が投げ込まれたり、不審な小包が届いたり、怪文書が出回ったりもした。
人々のローゼンベルク家への当たりは、スミス・ウィークリーの最新号が出て、ミランダたちの屋敷での専横っぷりが白日の下に曝されるたびに酷くなっていった。だが、そういった嫌がらせが収束に向かったのもまた、スミス・ウィークリーのお蔭だった。




