悪役令息、ジョブチェンジします!
「あら、エリオット遅かったのね」
息も絶え絶えで部屋へとやって来た弟の姿を見て、エルティシアは目を丸くした。
「それで、どう? 上手く隠してきてくれたかしら?」
「隠す……?」
エリオットは一瞬何のことだか分からなかった。だが、自分の服の内ポケットの中にある、ハンカチに包まれたロケットの存在をすぐに思い出して青ざめた。
「とんでもない!」
エリオットは叫びかけた。
「ダメですよ、姉上。ダメです! これ以上ヘレナをいじめて破滅フラグを立てないでください!」
「ふら……? 一体何のこと?」
エルティシアはぽかんとした。エリオットは構わず、「いいですか、姉上」と真剣な声を出した。
「ここはゲームの世界なんです。そして、主人公はヘレナなんですよ。彼女酷い目に合わせると、その報いに破滅します」
「……?」
エルティシアはエリオットの言ったことの半分も理解できていないようだった。それどころか心配そうな顔までしてくる。
「エリオット、あなた何だか変よ。きっと疲れているのね。今日も夜会の直前までたくさんお勉強していたもの。もう休んだ方が良いわ」
「僕は正気ですよ」
エリオットは一呼吸置いて、どうやって姉を説得しようか考えた。彼女が理解できないのも無理はないのだ。いきなり自分がゲームの登場人物だなどと言われたって信じる者などいないだろう。ここは、確たる証拠を見せる他ない。
「姉上、ヘレナの部屋に行きましょう」
「ロケットを見つけに? だめよ、誰かに知らせてからでないと。騒ぎは大きい方が良いでしょう?」
「そうじゃありません。とにかく来てください」
弟の鬼気迫る様子にエルティシアはたじろいだ。何か逆らってはいけないものを感じたのだろう。「良いわ」と訝しみつつも頷いてくれた。
(あのセーブデータだ)
エリオットとエルティシアはヘレナの部屋へ向かって移動を開始した。
(あの本を姉上に見てもらおう。そうすれば、僕の言っていることが正しいって分かってくれるはずだ)
だが、十歩と歩かない内に二人は呼び止められた。使用人頭のマリーだった。
「坊ちゃん、お嬢様。大変です」
「悪いけど、こっちの用事より大変なことなんて無いと思うよ」
エリオットはイライラしながら返した。どうせウィリアムが、お気に入りのワインがもうセラーに無いとかで騒いでいるのだろうと思ったのだ。だがマリーは、驚いたことに「一大事が起きたのです」と、エリオットを無視した。
「エリオット!エルティシア!」
廊下の向こうから背の高い男性が走り寄ってきた。姉が嬉しそうな声を上げる。やって来たのは少し前に夜会から帰って行ったはずのシャルル王子だった。エリオットはマリーの言う「一大事」が何かを瞬時に察し、懐から絹のハンカチを取り出した。
「二人とも聞いてくれ」
シャルルは引き返してきた訳を説明しようとした。しかし、それより早くエリオットが彼の手にハンカチの中身を押し付けるようにして渡してしまったので、その機会は失われた。
「僕のロケット!」
手の中のものを見るなり、シャルルは歓声を上げた。
「ありがとう、エリオット! 君が見つけてくれたんだね! これは亡くなったおばあ様の形見でとても大切な……」
「良かったですね」
エリオットは気もそぞろで返した。早く姉に例の本を見せなければならないのに、何て間が悪いのだろう。感激のあまり自分に抱き着いてくる王子に、エリオットはもう少しで舌打ちしそうになった。
だが、転んでもタダで起きるようなエリオットではない。
「それ、姉上が見つけてくれたんですよ」
キラキラした目で自分を見つめていたシャルルが、意外そうに「え?」と言った。
「そうですよね、姉上」
同じく呆然としていた姉は、はっとなって「え、ええ」と言った。シャルルは「そうだったのか……」と呟いて、今度はエルティシアの方に視線を向けた。
「ありがとう。助かったよ」
「それは……お役に立てて何よりです」
華やかな笑顔を向けられたことに、姉は心が躍っているようだったが、素直に喜べていなかった。何故ヘレナの部屋にあるべきものをエリオットがまだ持っているのだと疑問に思っているのだろう。
「マリー、シャルル様を正面玄関まで送って行ってあげて」
エリオットはこれ以上邪魔が入らない内に素早く申し付けた。
「シャルル様、申し訳ありませんが、こちらで失礼させていただいても?」
「ああ、もちろん。悪かったね、急に押しかけて来たりして」
シャルルは気にした素振りも見せなかった。そのまま、マリーと一緒に来た道を戻っていく。シャルルの姿が見えなくなると、エルティシアは、エリオットに詰め寄った。
「あれで良かったんですよ」
エリオットは、辛抱強く言った。
「ヘレナに疑惑を掛けたところで、シャルル様が信じなければそれまでです。そうなったら、嘘を吐いた姉上の立場が悪くなってしまうでしょう」
「シャルル様には、私が嘘を吐いたなんて分かりっこないわ」
「確かに分からないかもしれませんが、それと姉上の言葉を信じるかは別問題です。部屋からロケットが見つかっても、ヘレナはそんなものは知らないと言うでしょうし、シャルル様がそれを信じたら……」
「私の言うことは信じなくて、あの子の言うことは信じるって言うの!?」
エルティシアは、怒りの形相を浮かべた。
「そんな訳ないでしょう!」
「それが、あるんですよ。……多分」
エリオットは、ここがヘレナにとって十二回目の世界に当たると知っていた。『Cinderella♡kiss』のヒーローの数は、全部で十人。ヘレナは、誰かと結ばれるトゥルーエンドや誰とも結ばれないノーマルエンドの他に、ご丁寧にも、バッドエンドまで経験している。しかも、ヘレナにとってのバッドエンドなのに、何故か姉たちも酷い目に遭っているのだ。
周回プレイを前提としているヘレナは、どうやら美味しいものは、最後まで取っておく主義のようだった。今回は最後のルートだ。ここで、彼女はサンドリヨン王国の王太子、シャルル・フォン・アークラントを攻略する気でいるに違いなかった。何せ、このゲームのメインヒーローは恐らくシャルル王子なのだ。他に誰がいるというのか。あの華やかな容姿は、パッケージの中心を飾るのに相応しいだろうとエリオットは思っていた。
「姉上、ヘレナはシャルル様と仲が良いんです」
エリオットは、今のエルティシアにも分かりやすいように説明した。
「シャルル様はきっと、ヘレナを庇いますよ。そうなったら、姉上の印象が……」
「もう沢山よ!」
おもむろに、エルティシアは金切り声を上げた。エリオットはびっくりして固まってしまう。
「エリオットもそんなこと言うの!? シャルル様は、私のことなんか眼中に無いって! 私みたいなブスは、好かれないだろうって」
エルティシアの黒い目は潤んでいた。エリオットは慌てて「違いますよ」と言った。だが、何の効果も上がらない。
「違わないわ! そう思ってるんでしょう! エリオットだけは、私の味方だと思ってたのに!」
エルティシアは、ついに声を上げて泣き出すと、そのまま自室へ向かって一直線に走り去ってしまった。ドアがバタン、と乱暴に閉められる音に我に返ったエリオットは、急いで扉越しに「姉上!」と叫んだ。
しかし、エルティシアは、たった一言だけしか弟と会話したくないようだった。「あっち行って!」と発したきり、エリオットがどんなに腐心して語りかけても、姉はうんともすんとも言わなかった。
(どうして……)
結局エリオットは重い足を引きずって私室へ帰るしかなかった。最悪だ。姉と喧嘩をするのは初めてだった。どうやったら機嫌を直してくれるのかなんて、見当もつかない。
自室に戻る前にあの本をヘレナの部屋から持って来て、姉に見せようかとも思った。だが今のままでは、本を渡すどころか、会ってくれさえしないだろう。
一体どうすれば良いのか。自分はただ姉を助けようとしただけなのに誤解され、泣かせてしまった。何て酷いことだろう。
が、ある可能性に気付いて、エリオットは衝撃を受けた。まさか、これも転落への一歩なのかもしれない。
(そうだ、破滅の仕方は一つじゃない……)
夜逃げや死亡以外にも、今まで信頼していた人に裏切られたと思い込み、心に深い傷を負ったまま生涯を終えるというエンディング。地味かもしれないが、これだって立派な悲劇だ。エリオットは生きた心地もしなかった。ここからどうやって軌道修正しよう。
(いったん状況を整理しないと……)
まず、ここは乙女ゲームの世界で、その主人公はヘレナ。彼女に危害を加えることは、それすなわち破滅を意味する。世界は彼女中心で回り、自分は脇役だ。脇役がどれほど努力しても、そこに主人公が絡んで来なければ世界には何の影響も与えられない。つまり、ここでただエリオットが姉と仲直りしても、彼女は別の方法で身を滅ぼす可能性が高いということだ。
(別の方法……シャルル様と破局すること?)
どう考えても一番可能性の高い未来はこれだ。シャルルがヘレナを好きになり、姉には見向きもしなくなる。婚約は破棄され、悪の令嬢は報いを受けた……。
(どうしよう……)
手っ取り早いのは、姉を悪役の座から引きずり下ろすことだ。しかし、そう簡単にはエルティシアは、ヘレナをいじめるのをやめないだろう。無理に止めれば、それはそれでエルティシアがおかしくなってしまう。
なら、どうにかしてヘレナの認識を変えるしかない。姉が破滅するのは、ヘレナにとってエルティシアやこの家が負の存在だからだ。それをどうにか転換させる。エリオットの頭の中に、エルティシアとヘレナが自分を挟んで立っている図が浮かんできた。エリオットは父の残した言葉を思い出す。家族としてヘレナを迎えてあげてほしい……。
瞬間、エリオットは素晴らしいことを思いついた。自分がヘレナを妻として迎えれば良いのだ。自分は次期当主だ。ヘレナがローゼンベルク夫人となってしまえば、この家は彼女のものということにもなり、ある程度は思うままになる。つまり、負の存在ではなくなる。また、姉はシャルルと結婚することができる。彼女が嫁に行ってしまえば、ヘレナをいじめる者は、その頃にはもう誰もいない。すなわち、エルティシアは破滅しなくて済むのだ。考えれば考えるほど完璧な計画だった。エリオットは、ぐったりと身を預けていたソファーから跳ね起きると、姿見の前に直行した。
エルティシアが母に似たのなら、エリオットは、美男ともてはやされた父の容姿を受け継いでいた。涼やかな緑の目はいつでも濡れたように輝き、柔らかい金髪が朗らかそうな印象を与える。まだ幼さの残る顔立ちだが、それが甘えているようで相手の警戒心を無意識に解いてしまうようだ。身長があまり高くないことも関係しているのかもしれない。だが、姉曰く、エリオットの本当に魅力的な表情は、悪だくみをしている時のものらしい。目元にアンニュイな影が落ちるのが、幼いはずの容姿を一気に艶のあるものへ変えてしまうのだとか。
(姉上……)
二目と見られないような容姿ならヒーローの一人にはなり得ないかもしれないが、これなら、まあいけるだろうと思った。攻略対象のラインナップからするに、ヘレナは守備範囲も広そうだし、そう心配する必要もなさそうだ。何はともあれ、父に感謝しなければならない。
(僕は必ず、姉上を助けてみせますよ)
その夜、エリオット・フォン・ローゼンベルクは、悪役から攻略対象の一人へと華麗なる変身を果たすと決めたのだった。




