灰かぶり姫、ジョブチェンジします!
ある夜、夢を見ていた。血の繋がらない家族からいじめられている少女が、魔法の力で舞踏会に行き、そこで素敵な王子様に見初められる夢。十二時の鐘の音と共に魔法は解けてしまったけれど、女の子の落としたガラスの靴を片手に、王子様は迎えに来てくれた。
私は、そんな光景をうらやましく思いながら見ていた。自分にもそんな奇跡が起きれば、どんなにか素晴らしいだろう。
――それならね、お前にチャンスをあげよう。
夢か現か、そんな声が聞こえた気がして、ヘレナは目を覚ました。ふと、机の上に見慣れぬ本が置いてあるのに気が付く。それを手に取った瞬間、ヘレナは全てを理解した。ここは『Cinderella♡kiss』という乙女ゲームの中だ。しかも、主人公はこの私とくる。
(それなら、絶対に幸せになれるじゃない……!)
ヘレナは一人で舞い上がった。どうやらセーブデータを見る限り、自分は何周もして、様々な男性と結ばれているらしい。しかし、残念なことに、それらの記憶はなかった。だが、ヘレナは何の心配もしていなかった。もうバッドエンドは経験済みのようだし、まさか二度もそんな目に遭わされるとは思えない。誰かと結ばれる以上は、絶対ハッピーエンドが待っているはずだ。だって、自分はこの物語の主役だから。主人公は最後には必ず幸せになる。そういう存在だと、ヘレナは疑っていなかった。
セーブデータが自室に現れてからしばらくして、どうやら今回の攻略対象はシャルルではないかとヘレナは思い始めた。何故か、彼と話す時間が多くなり、ばったり会うことも増えたのだ。
王子様の恋人になる。あの夢と同じだ。素晴らしい展開だと、普通は思うだろう。しかし、これはヘレナにとって大問題だった。というのも、ヘレナは別にシャルルのことが嫌いではなかったし、むしろ素敵な人だと感じてはいるのだが、彼は自分が仕える貴族家の令嬢、エルティシアの婚約者だったからである。
ヘレナは使用人を除く屋敷中の人からいじめられていると言っても過言ではなかったが、特にエルティシアからは目の敵にされていた。そんな自分が彼女の婚約者と仲良くなったりなどすれば、どんな目に遭うか、考えるだけでも身震いがした。ましてや結ばれるなんてとんでもない。
だが、そんなこんなで悩んでいる内に、おかしなことが起こった。
――今日も可愛いね、ヘレナ。
きっかけは、そんな一言だったように記憶している。そのときのヘレナは褒められた嬉しさよりも、驚く気持ちの方が勝っていた。だってそうだろう。その発言は、他でもない、エリオット・フォン・ローゼンベルクのものだったのだから。
ローゼンベルク家の長男、エリオット。姉たちと違って、直接自分をいじめてくることはなかったが、その代わり、助けてくれることもなかった。
しかし、そうでなくともヘレナはエリオットのことが苦手だった。他人にも自分にも興味が無さそうで、何となく冷たく見えたのだ。例外は、彼の姉のエルティシアだけだ。エリオットは、いつでもエルティシアを気に掛け、優しく接していた。だが、その思いやりが他者に向くことはほとんどない。彼にとって、姉以外の人間は、皆等しくどうでも良いのだろう。
ヘレナはそう感じていたというのに、あの発言は一体何事なのか。最初、ヘレナは彼が何か企んでいるのだろうと疑っていた。だが、そんな心配をしている間に、別の――もっと大変な問題が起こった。例の本、つまりセーブデータが紛失してしまったのだ。
その日以来、ヘレナは自分でも驚く程失敗することが多くなり、色々なことが上手くいかなくなった。そのせいで、何をするのにも慎重にならざるを得なくなってしまったのだ。
ヘレナには分かった。今の自分にはセーブやリセットという、他の誰も持ちえない素晴らしい裏技が使えなくなってしまったのだ。もちろん今までだって、自分の意志でそんなことはできなかった。それでも、画面の外の住人は、その技を駆使して、自分を最適な方向へと導いてくれていた。だからヘレナは何でもサクサク進められたし、大したミスもせず、まずいことを口走ることも無かった。まるで神に導かれるがごとく、順調に進んで来られたのである。しかし、これからは違うのだ。自分は神の加護を失ってしまった。
(これは何かの不具合?)
ヘレナはそう思った。バグのようなものが発生して、セーブデータが消失してしまったのではないかと。いつか治ることがあるのだろうか。
そして、これもまたバグの影響なのか、エリオットは益々おかしくなってしまった。とは言え、悪い方向にではない。彼はヘレナに優しくしてくれるようになっただけではなく、自分と結婚してほしいなどと言い出したのだ。
もしかして、これは隠しルートというやつなのだろうか。もしくは、没ルートか? 本来なら選択が出来なかったルートが、バグのせいで選べてしまえるようになったのかもしれない。ということは、自分が今回攻略するのはエリオットだということなのだろうか。
しかし、そう思ってみたところでさほど嫌な気持ちが湧いてこないことに、ヘレナは戸惑っていた。
最初にローゼンベルク家に来たときは、彼ときょうだいになりたいと思っていた。しかし、悲惨な生活の中で、自分はいつの間にかその夢を捨ててしまっていた。もうどうやっても、この人と仲良くすることなどできないのだろうと諦めていたのだ。だからなのだろうか。彼と親密になっても良いと思えてしまえるのは。
だが、これは乙女ゲーム。親密になるとはすなわち、彼と恋愛関係になることを意味する。きょうだいではなく恋人だ。そのことを自分は受け入れられるのか。