偶然と必然
「一体どなたですの?」
ミランダは今にも卒倒しそうであった。
「押し入ってきたのは、どんな方でしたか?」
「し、知らない人です。ミラ……奥様」
ヘレナが、まだ血の気の引いた顔で言った。それでも、多少はショックも薄まってきたようである。ミランダのことを、きちんと『奥様』呼びするのも忘れなかった。ヘレナは本人がいない所では、ミランダのことを名前で呼んでいるのだ。彼女なりのささやかな抵抗だろう。
「男の人でした。背が高くて……ええっと……」
ヘレナはいくつかの特徴を上げたが、そのいずれも、あってもなくても変わらないような内容だった。到底、犯人の手掛かりには繋がりそうもない。ミランダは眉間に皺を寄せながら「もう結構です」と苛立った声を出した。
「まったく……守衛は何をしていたのでしょう。とにかく、庭を探させましょう。まだその辺りに隠れているかもしれませんもの」
「後は届け出が必要だね。盗まれたもの、壊されたもの……」
ミランダとアイリスは頭を抱えつつも、やるべきことを淡々と考え始めた。その横では、すっかり戦力外と見なされているウィリアムが、手持ち無沙汰そうに体を揺らしている。
「もう下がって良いですか?」
深刻そうに話し合いをするミランダたちに、エリオットは平然と尋ねた。アイリスが「どこへなりとも行っちまいな」と忌々しげに言う。
エリオットはヘレナの肩を抱いて立ち上がらせた。そのまま二人で退出する。それと同じタイミングで、庭を捜索するように命じられた使用人が、せかせかと部屋から出て行った。
「あの、エリオット様。ありがとうございました」
廊下に出た後、ヘレナはエリオットに礼を言った。
「私は怖くて動くこともできなかったのに、エリオット様は立ち向かって行かれて……。お強いんですね」
「別に、そんなことないよ」
エリオットは肩を竦めた。ヘレナは、今度は赤くなった。
「でも、急に抱きしめられて、びっくりしました……」
「……ああ、ごめんね。嫌だった?」
あれはエリオットも無意識だった。ヘレナは「そんなことは……」と言いかけて、益々頬を紅潮させる。
「その、えっと、わ、私、失礼します!」
耐えられなくなったのか、ヘレナは小走りで去って行った。
「……照れ屋だね」
エリオットは苦笑いした。自分で聞いておいて、ヘレナが首を縦に振ったらどうしようと少し不安だったのだ。
エリオットも自室へ戻った。机の上に置いたままになっている、書きかけの手紙にペンを走らせる。
ふと、室内に自分以外の気配を感じて、エリオットは振り向いた。
「我が主、申し訳ありませんでした」
いつの間に入って来たのか、床に膝をついていたのはクロウだった。
「私がついていながら、貴方様にお怪我をさせるような真似を……。不徳の致すところです」
「これのこと?」
エリオットは、右手をヒラヒラと振ってみせた。赤みはすでに引いている。
「気にしなくて良いよ。もう痛くないし。書き物をするのにも、不自由はないからね」
クロウの発言は、まるであの場に彼が居合わせていたようにも聞こえるが、エリオットはそのことについては言及しなかった。あの盗人の正体はクロウだと、エリオットは知っているのだから当然だ。もちろん、彼がそんなことをしたのは、エリオットの指示によるものである。
「そんなことより、肝が冷えたよ。君、とっさに僕のこと、助けようとしたでしょう?」
クロウがあのとき手を伸ばしたのは、散らばった宝石を掻き集めるためなどではなく、床に倒れ伏した自分の主人を助け起こそうとしてだろうと、エリオットには分かっていた。クロウも反論する気はないようだ。平気な顔をして「はい」と答えている。
まったく、もう少しでボロが出るところだったのに、彼にとってはエリオットが怪我とも言えぬ怪我をしたことの方が重大事らしい。懐から持ち運びのできる応急セットを取り出して、「失礼いたします」と言って、エリオットの治療を始めた。
「あれは?」
グルグルに包帯が巻かれた手を見つめながら、エリオットは尋ねた。「こちらに」と、クロウが麻の袋を渡してくる。
エリオットは中身を確認した。目当てのものがきちんと入っていて、胸を撫で下ろす。
エリオットには、どうしても手に入れなければならないものがあった。だから、クロウを書斎に忍び込ませ、ひと騒動起こさせた。掃除の時間を狙ったのも、意図的なものだ。自分以外にも目撃者がいた方が良いと思ったのである。
結果的には、作戦は成功した。唯一の誤算は、室内にいたのがヘレナだったということだけだが、何の障害にもならなかった。予想外のことが起きて少し焦っていたのだが、目的はしっかり達成できたので、良しとするべきだろう。怖がらせてしまったヘレナには申し訳ないが。
「これで準備万端だね」
エリオットは、書きかけの手紙をチラリと見て、口の端に笑みを乗せた。




