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どうやらここは乙女ゲームの世界のようなので、悪役令息の僕がするべきことは一つです

 義母の内心などというどうでもいいことを考えている内に、エリオットは使用人の居住棟に着いた。本館の方と違い、壁には一枚の絵画も掛かっておらず、煌びやかなシャンデリアも見当たらない。小さな燭台が照らすヘリンボーンの床に靴音を響かせ、エリオットはドアにヘレナの名前が書いてあるネームプレートの掛かった部屋に辿り着いた。

 小さな片開きの扉を開ける。屋敷の設計者は、使用人のプライバシーには無関心だったようで、鍵は付いてすらいなかった。室内は、狭めのワンルームだ。初めて訪れる下働きの者の部屋は、エリオットの目には新鮮に映った。


(さて、どこが良いかな……)

 エリオットは部屋の中をぐるりと見回した。上に乗ったら軋んだ音がしそうなベッドの下か、穴の開いた薄っぺらいカーテンの後ろか……。


(うん……?)

 あちこちに視線を向けていたエリオットの目が、あるものを捉えた。部屋の中央に置かれている、古びた小さなテーブルだ。正確には、その上に乗っている一冊の本だった。


(日記?)


 特に確証も無いのだが何となくそう思った。そして、つい、にんまりしてしまう。これは姉に良い土産ができた。エルティシアは、この日記帳をネタにヘレナをいじめることで、益々日頃の鬱憤を晴らすことができるだろう。エリオットは意気揚々と、そのピンク色の本を持って帰ろうとした。だが、その前に好奇心のようなものが湧き出てくる。というよりも、強迫観念に近い何かを感じた。何故だか、自分は今ここで、この日記を読む必要があるように感じたのだ。

 エリオットは、その根拠の分からない衝動に従った。『Cinderella♡kiss』と表題された本のページをめくる。




 最初の日付は四月一日となっていた。二か月程前のものだ。朝食を出したら嫌いなものが入っているとエルティシアに叱られたこと、装飾品を用意し忘れてミランダに嫌味を言われたこと、役立たずとアイリスに笑われたこと……。ロクな思い出がない。唯一良かったことと言えば、エルティシアの使いで教会に行ったときに、聖職者見習の青年、ミハイル・フォン・アーチュリーに優しくされたことくらいだった。


 四月二日。ヘレナはまた教会に行っていたようだ。そして、昨日の青年、ミハイルと偶然会っている。いや、日記の中に書かれたヘレナの言葉を借りるなら、「あなたに会いたくて来ました」だ。それに対して、ミハイルは赤面して「ありがとうございます」と言っている。意味深な反応だとエリオットは思った。


 四月二日、三日、四日……ヘレナは毎日のように教会に通い、二人はどんどん親密になっていく。こんなに頻繁に訪ねて来るなんて、流石にうっとうしがられそうなものだが、ミハイルは、何とも思っていないらしい。それに、何だか変な記述も多い。ヘレナは「自分は敬虔な神の僕です」とミハイルに述べたようだが、エリオットは、彼女が神に祈っている姿など、一度も見たことがなかった。この部屋にだって、聖書の類は置かれていそうにない。もしかしてヘレナは、この純朴な青年に気に入られようと、適当なことを言っているのではないかとエリオットは鼻白んだ。


 五月十八日になるとヘレナはついに、自分がローゼンベルクの家で虐待されているのだと告白した。エリオットは、ぎょっとしてしまう。なぜ彼女は、こんな複雑な問題をそんなにあっさりと、たった一か月前に会ったばかりの青年に話してしまったのだ。

 ヘレナは言わば、お情けでローゼンベルク家に置いてもらっている身だ。下手なことをすると、追い出されてしまうかもしれないとどうして分からないのだろう。……いや、そんなことも無かった。「そんな酷いこと、許せません!」と憤るミハエルに対し、ヘレナは「でも私、四年前に母を亡くして、他に身寄りがないんです。父の顔さえ知らなくて……」と返していた。きちんと理解しているではないか。まったく、何がしたいのだか。

 そんなことより、エリオットはこの青年がローゼンベルク家にとって少々不都合なことを知ってしまったという事実の方が気になった。一応裏から手を回して、握りつぶしておくべきだろうか。ローゼンベルク家の家名が損なわれることは大した問題だと思わなかったが、姉に『いじわるな令嬢』という噂が立ってしまうのは不快だ。


 五月十九日。ヘレナが教会に行くと、ミハイルは神に祈りを捧げていた。「何を祈っていたんですか」とヘレナが聞くと、ミハイルは「あなたの幸せを」と答えた。そして「卑劣なローゼンベルクの者には天罰を」と付け足す。聖職者に片足を突っ込んでいるくせに、恐ろしいことを言う男だ。しかもヘレナはそれに対して「ありがとうございます」と礼など言っているではないか。従順なふりをして仕えながら、こんな腹の黒いことを考える娘だったとは。エリオットは、過去に彼女に一度でも同情したことがあるのを後悔した。


 エリオットはなおも日記を読み進める。やがて、六月二十三日のページまで来た。今日の日付だ。しかし、おかしなことにエリオットは気付いた。日記には、ヘレナはミハイルと二人で、郊外にある墓地の掃除の手伝いをしたとある。だが今日のヘレナは、夜会の準備のために一日中ローゼンベルクの屋敷にいたはずだ。まさか、こっそり抜け出したのかとも思ったが、そんな話は聞いていない。こんなこと、姉が知れば喜んで飛びつくだろうから、間違いは無かった。それに、この「遅くに屋敷に戻って来てミランダに叱られた」という記述。遅い時間に帰って来たのに、一体いつ、今日の分の日記など付ける暇があったというのか。腑に落ちないことだらけだ。胃がザワザワするような落ち着かない感覚がする。

 それは、次のページをめくった時に、いよいよ酷くなった。

 

 六月二十三日の次は六月二十四日。当り前だ。エリオットにとっては明日に当たる。当然、何が起こるかなんて分からない。

 だというのに、だ。ヘレナの日記には、びっしりと文字が書き連ねてあった。二十四日は教会に行って、ミハイル様と昼食を食べながら、学院で開かれる舞踏会の話をするの。そうに決まっているでしょう? 今にも日記帳から、そんなことを言うヘレナの声が聞こえてきそうだった。


(もしかしてこれは去年の記述なのか……?)


 エリオットは何とか理屈をつけようと試みた。もしくは、何もかもヘレナの妄想なのかもしれない。しかし、この妙な胸騒ぎは何なのだ。エリオットは気分を落ち着けるために一旦目を閉じた。しかし、脳内によく分からない映像が流れ込んで来たので、すぐに目を開けてしまった。見たこともない部屋で、女らしき人物が、箱のような変わった物体をいじっているのだ。


 エリオットは混乱したまま次々ページをめくっていく。夏が過ぎ、秋に入り、冬がやって来た。エリオットはもうすぐこの日記は終わるという、またもや根拠のない確信を抱いた。

 そしてそれは当たっていた。三月の終わり頃のページを開いたまま、エリオットは凍りつく。


「ヘレナさん。もうあなたの幸福を神に任せたりはしません。これからは、私があなたを幸せにします。どうか私と来てください」


 ミハエルはいつになく情熱的だった。ヘレナは迷いもなく首を縦に振る。ミハエルは聖職者になるという夢を捨てて、ヘレナと駆け落ちした。しかし、二人とも後悔している様子はない。幸せそうなキスまでしている始末だ。


 だが、エリオットが呆然としてしまったのは、ヘレナが家を出て行ったからではない。その次の三月三十一日の日記の内容が問題だった。


「ヘレナが出て行った後、ローゼンベルク家の者は一家揃って旅行に出たところ、乗っていた馬車が谷から転落。助かった者は一人もいなかった。清らかな聖者の祈りが通じ、天罰が下ったのだ」

 

 要約するとそんなことが書いてあった。エリオットは眩暈がした。転落事故? 誰も助からなかった? つまり……姉も?

 

 衝撃が受け止めきれない。だが、どうしてか、手はページを更に進めるのをやめてくれなかった。

 

 次の日付は四月一日だった。ヘレナは何故か出て行ったはずのローゼンベルクの屋敷にいて、谷から落ちて死んだはずの家の者も皆生きていた。しかし、エリオットは、それを不思議に思わなかった。


 今度ヘレナが仲良くし出したのは、今、巷で話題の吟遊詩人ピート・エクシスだった。飄々とした流れ者をヘレナは持ち前の純真さで繋ぎ止める。「ローゼンベルク家の人たちには感謝しています。だって、他に行くところなんてないから」という台詞まで飛び出す始末だ。

 ピートはいつしか彼女に心を奪われ、ついに美しい旋律に乗せて愛を告白する。ヘレナはピートの旅に着いて行った。行く先々でピートの作った歌は評判になる。悪辣な貴族にいじめられていた女の子がちょっとしたきっかけで成功を掴むという内容だ。やがてその貴族のモデルがローゼンベルク家であるという噂がどこからともなく立つようになる。それを知った王国民はローゼンベルク家に失望。エルティシアの婚約は破棄され、家は凋落していく……。


 四月一日。ヘレナは王国きっての剣の名手、ハロルド・サザーランスと出会う。恋仲になった二人は結婚。しかし、ヘレナの境遇を知ったハロルドはローゼンベルク家を許せず、互いの名誉を掛けた決闘を申し込む。ローゼンベルク家は凄腕の傭兵を雇って対抗しようとしたが敗北。家名が損なわれたことを恥じた一家は、夜逃げしてしまう。


 その次のヘレナは誰との未来も選ばなかった。自力で家を出奔。後に彼女は手記を出す。自分の半生を綴った本だ。それはベストセラーとなり、やがてローゼンベルク家は……。

 



「……」

 日記を読み終えたエリオットは静かに本を閉じた。彼は、もう先程までのエリオットではなかった。自分が何者なのか、理解してしまった。


(ここはゲームの世界か)


 本には……セーブデータの中には、一言もそんなことは書かれていなかった。だが、エリオットには分かってしまったのだ。

 ここは乙女ゲーム『Cinderella♡kiss』に登場する世界。貴族の家に仕える主人公、ヘレナは、作中で出会う様々な男性キャラクターとの好感度を上げていき、最終的に誰を選ぶか……もしくは選ばないのかを決める。そして自分、エリオット・フォン・ローゼンベルクは悪役で、最後は必ず没落の憂き目に遭う。そんな筋書きだろう。


(冗談じゃない!)

 エリオットは憤った。自分が酷い役回りだからではない。家の没落も関係なかった。エリオットはエルティシアのことしか考えていなかった。どうして姉が、婚約破棄されたり、事故死したりしなければいけないのか。これではあまりに悲惨過ぎる。代わってやりたいくらいだが、一緒に没落していく定めの自分の立場も似たようなものなのだ。


(姉上を守らないと……)

 エリオットは必死で考えた。ひとまず、この世界の真実を姉に話すところからだろう。何せ、この『Cinderella♡kiss』の主人公はヘレナなのだ。ここが彼女中心で回っている世界であると何とか認識してもらわなければならない。

 エリオットは、逸る思いでヘレナの部屋を出た。

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― 新着の感想 ―
[一言] ゲームが普通に存在する世界観なんですか? 日記だけ読んで予言書かなにかだと思う可能性はあっても日常的にテレビゲームに触れていない人間がこの日記だけを読んでゲームの世界と理解するのは話が飛躍し…
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