夜の闖入者
審査の日は、徐々にだが、確実に近づいて来た。ホールへ足を運ぶ人数が次第に増え、下がっていく気温と反比例するかのように、日増しに熱気が高まる。
事件が起こったのは、そんなある夜のことだった。
めっきり涼しくなった廊下を、エリオットは歩いていた。ふと、誰かが向こうからやって来るのに気が付く。使用人のライザだ。この時間帯の彼女は、書斎の掃除をしているはずなのにと怪訝な気持ちになって、エリオットは声を掛けた。
「エルティシア様に頼まれたんです。スフレを作って来てって」
ライザはそう答えた。彼女の作る絶品のスフレは、エルティシアの好物なのだ。
「じゃあ、掃除の方は?」
エリオットは尋ねたが、返事が返ってくる前に、鋭い悲鳴が聞こえた。書斎の方だった。
(今の声は……!)
エリオットは愕然となった。そのまま、一目散に書斎へと駆けつける。勢いよくドアを開けると、果たしてそこにいたのはヘレナだった。
荒らされた書斎の床に力なくへたり込みながら、ハタキを手にガクガクと震えている。その目が見据えているのは、片手に大きな袋を持ち、もう片方の手に短剣を握った大男だ。覆面をしていて、顔は分からない。
「待てっ!」
息を呑んでいたエリオットは、男が開いた窓の方へ近づいていくのを見て、はっとなった。急いで駆け寄り、男の腕を掴む。しかし、男はエリオットの想像以上の力でそれを振り切る。その拍子に袋が宙を舞い、エリオットの手の甲に当たった。
「……っ」
重たい音がして、袋の中身が床へ散らばる。目も眩むような宝石の数々だ。尻餅を付いたエリオットの周囲にまき散らされたそれを拾おうとしてか、とっさに男が膝をついて手を伸ばしてきた。
「何の騒ぎですか!?」
入口の方から声がした。振り返ると、物音を聞きつけてやって来たであろうマリーが立っている。
室内にいる見慣れぬ男に、床に座り込むエリオットとヘレナ。散乱した宝石と男の刃物に視線を滑らせたマリーは、すぐに状況を把握した。
「だ、誰かっ!」
マリーは顔面蒼白になって声を張り上げた。
「誰か来てくださいっ! 書斎に泥棒が!」
屋敷中に響くような甲高い声に、男は引き際を察したらしい。宝石を拾うのを諦めると、一目散に窓めがけて走って行った。その足元から、バキッと乾いた音がする。男に踏まれて原形を留めないほどに粉々になってしまった、象牙で出来た小さなオブジェのようなものが窓の下に転がっていた。
「ヘレナ、大丈夫?」
少し赤くなった右の手の甲をさすりながら立ち上がったエリオットは、ヘレナと視線を合わせるように、彼女の傍に屈んだ。
「は、はい……」
ヘレナはまだ震えていた。ハタキを握る指先が、力の入れ過ぎで真っ白になっている。
「わ、私、掃除をしていたんです。そしたら、鍵が掛かっているはずなのに、窓からさっきの男の人が入って来て……。私に、金目のものを出せって言うんです。そんなの持っていないって答えたら、棚を探し始めて……。わ、私、誰かに知らせなきゃって。でも部屋から出ようとしたら、あの人は短剣を取り出して、う、動いたら殺すって……。私怖くて……悲鳴を上げて、それで……」
ヘレナは何が起きたのかを懸命に、何度もつかえながら話してくれた。途中から涙ぐみながらもなお語ろうとする様は何とも健気で、エリオットは思わずヘレナを抱き寄せた。
「もう大丈夫だよ」
エリオットはヘレナの背をさすった。
「ごめんね。怖かったよね」
「……何でエリオット様が謝るんですか?」
ヘレナが目を瞬かせた。だが、ちょうどそのとき、こちらへ駆け寄ってくる大勢の足音が聞こえてきたおかげで、エリオットは言い訳を考えずに済んだ。