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戸惑い

 エリオットが屋敷の中に入ると、仁王立ちしたミランダが出迎えてくれた。


「何ですの、これは」

 ミランダはエリオットの目の前で、一枚の紙を苛立たしげに振った。


「今週のスミス・ウィークリーの号外ですね」

 エリオットは冷静に答えた。こちらの事態の方は予測済みだ。エリオットの態度が挑発的に見えたようで、ミランダは顔をしかめる。


「酷いことになったもんだねえ」

 玄関ホールでの騒ぎを聞きつけたであろうアイリスも、愛人のウィリアムと共に屋敷の奥から顔を出してきた。


「一体何を考えてるんだい? こんな愚にもつかないことを散々に書き立てられるなんて」

「『エリオット様が学院を卒業されたら、私たちすぐにでも式を挙げるんです』」

 ウィリアムは記事の一部を音読した。エリオットは号外の方はまだ読んでいなかったが、どうやら大体は学園新聞と同じことが書いてあるらしい。


「あの小娘がこんなことを……。思い上がりってやつかねえ」

「あんたにはもっと相応しい娘を宛がうつもりだよ」

 アイリスが眉を吊り上げる。エリオットは事も無げに「アイリスさんの道具に相応しい相手でしょう」と言い直してやった。


「それに、そこに書かれていることの内、ヘレナが喋ったものは一つもありませんよ。全部記者たちの想像……というよりでっち上げです」


 エリオットはミランダの方を見て薄く笑った。何も言わない内から彼女の頬が赤くなったのは、エリオットの顔が一瞬ヒューゴと重なって見えて、動揺したからだろうか。


「知っているとは思いますけど、新聞なんていつも大げさなんですよ。例えば、ミランダさんが『家柄と自身の美貌を鼻にかける高慢な娘である』って言われていたみたいに」

「なっ……」

 今度はミランダの顔が青くなった。


「あなた……それをどこで……」

「さあ、何の話でしょう」


 エリオットはとぼけてみせた。クスクスと笑いながら選ばれなかった女神を置き去りにして、部屋に向かう。アイリスが「何の話だい?」とミランダに訝しげに尋ねていた。




 しかし、義母をやり込めてやったという楽しい気分もそこまでだった。自室に着いた途端、影のようにクロウが近づいてくる。


「あの男は、スティーブン・バイロンという名前です。住所は不定。普段は広場のベンチで寝ています」


 いつもながらに彼の情報収集能力は素晴らしい。本当は、最初から何もかも知っていたのではないかと疑ってしまいたくなるほどだ。


「それで、本当なの? ヘレナの父親っていうのは」

 やっぱり見た目通り、ロクな人物ではなかったとエリオットは思いながら聞く。


「十八、九年前にキャリー嬢と同棲していたことは確かです」

 クロウが言った。


「しかし、ヘレナ嬢の父親かどうかまでは。何せその頃のキャリー嬢は、様々な男性を相手になさる商売をしていましたので」

「あれ? 踊り子じゃなかったの?」

「ヘレナ嬢が生まれてからは、踊りを専門とするようになったようです」

「なるほどね」


 しかし、スティーブンの瞳は驚くほどヘレナと似ていた。身なりがもう少しきちんとしていれば、顔立ちだって整っていたかもしれない。エリオットは、二人には血の繋がりがあると直感していた。


「やはり排除ですか?」

 クロウが主人に尋ねた。


「ご用命とあらばいつでも」

「うん……」


 しかし、エリオットは気のない返事しかできなかった。普段表情を変えることが少ないクロウの瞳が、わずかに見開かれる。歯切れの悪いエリオットなんて、珍しいのだろう。


「あんなのでも、ヘレナのお父上だしね……」


 エリオットは、父のことが好きだったし尊敬していた。記憶にある限り、ヒューゴはいつでもエリオットたちの味方だった。ヒューゴが妾を囲っていようが、その娘を可愛がっていようが、片時もエリオットたちのことを忘れていなかったのは明白だ。ヒューゴが仕事などで出掛けて行く度に、エリオットは、もう父が帰って来ないのではないかと不安になっていた。しかし、その予測が当たったことは、あの事故以外では一度もなかった。ヒューゴは、ミランダの居座る、本当は近寄りたくもないはずのローゼンベルク家にエリオットたちのためだけに帰って来てくれていたのだ。広いテラスで一緒にお茶を飲んだり、庭を散歩したり、ただそんな時間のためだけに、父は地獄へ足を踏み入れてくれた。


 スティーブンには下心があるのが見え見えだし、ヘレナは彼を嫌っている。そんなことはエリオットにも分かっていた。だが、その底に、少しでも……ほんの一握りでも親子の情があったとしたら? それを裂くことなどできようか。


「……少し変わられましたか、我が主」

 エリオットが悩んでいると、クロウが感慨深げな声を出した。


「何が?」

「エルティシア様以外の方に、随分と心遣いをお見せになっておりますので」

「そうかな?」

「はい」

 クロウは確信を込めて頷く。


「ヘレナ嬢も貴方様にとっては大切な方。そういうことでしょうか」

「確かにヘレナは重要人物だけどね」


 クロウには、ここがゲームの世界だとは言っていなかった。信じてもらえないだろうと思ったからではなく、そんな必要がないと感じたからだ。主人のエリオットの信じることは、クロウの信じることなのである。それが分かっているから、わざわざ告げる気にはならなかった。説明してみたところで「ここがどこであっても、私は我が主に従います」と言うに違いないのだ。

 だというのに、ヘレナが物語の主人公、つまりエリオットにとって重要な人物だと見抜くとは、流石である。 


「ヘレナがいないと色々困るんだよ。でも、それとは別にヘレナの幸せも……」


 エリオットは、クロウがこちらを見ているのに気が付いて黙った。ただ視線を向けられているだけなら良いのだが、立ち始めたばかりの我が子を見守るような眼差しをしていたので困惑したのだ。クロウがこんな表情になるのは、エリオットが彼の主人となったとき以来だ。


「君の方こそ、今日は随分表情豊かだね」

 気まずくなって、エリオットは話題を変えた。


「影は何を映すかによって、形を変えますので」

 クロウは飄々と答える。


「……もう少し、探りを入れようか」

 仕方無しにエリオットは言った。ヒューゴのことを思い出してしまったからなのか、それとも別の何かがあるのか、確かに今日の自分は甘いと思わざるを得なかった。

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