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悪だくみは蜜の味

 豊かな鉱脈と溢れる緑の眩しい王国、サンドリヨン。この国の貴族の中でも、ローゼンベルク家は名門の一つとして数えられていた。広大な領地を有し、王都に豪奢な邸宅を構える。エルティシア・フォン・ローゼンベルクとエリオット・フォン・ローゼンベルクは、二歳違いの姉弟で、そんな名門貴族の末裔だった。




「本当、嫌な子」

 いつからか、こんな言葉が姉の口癖になっていた。談話室を片付ける使用人たちの横を抜け、私室へと向かいながら、エルティシアは毒を吐いた。難しい用事を言いつけたり、面と向かって憎まれ口を叩いたり、姉はことあるごとにヘレナをいじめていた。だが、とりわけ今夜は荒れていた。


「聞いた? あの子、シャルル様にヘレナさんって呼ばせていたのよ! 信じられないわ!」


 シャルル・フォン・アークラント。サンドリヨン王国の王太子だ。蕩けるような金髪と澄んだ青い目を持つ、容姿端麗な人物である。彼に魅せられる女性は多いが、エルティシアが怒っているのは、彼女もその一員だという他に、シャルルが自分の婚約者だからという理由もあった。今日は、ローゼンベルク家でちょっとした夜会が開かれており、名だたる貴族や王族が主席していたのだが、そこでのヘレナの態度が姉の気に障ってしまったらしい。


「でも、シャルル様はヘレナよりも姉上と話している時間の方が、ずっと長かったですよ」

「当り前じゃない」

 エリオットがやんわりと口を開くと、得意そうにエルティシアは笑った。姉は、笑顔になると口の右下にえくぼができる。とても可愛らしい窪みだ。王子はこれに気付いているだろうか。


「そういえば、シャルル様、こんなものを忘れていったわ」


 エルティシアはふと思い出したように、懐からハンカチに包んである何かを取り出した。中に入っていたのは金のロケットだ。細かな装飾と共に、王家の紋章が刻印してある。一目見て、とても大事なものだろうと分かる品物だ。


「今から人をやって届けさせようかしら?」

「明日、学院でお渡しになっては?」

「私が直接? ……そうね」

 姉の顔が輝いた。


「ええ、そうしましょう。そうすればきっとシャルル様もお喜びになって、私をお茶に誘ってくださるかも……」

 

 エルティシアは、うっとりとした表情で妄想を始めた。しかし、それも束の間のことだった。手を掲げてカップを持ち上げる仕草をしていたエルティシアの動きが急に止まった。その次に変化したのは表情だ。エルティシアは、笑顔を浮かべていた。輝くばかりの恋する乙女のそれではなく、獲物を前にした猛獣のような、残忍な笑みだ。


「ねえ、エリオット。これ、あの子の部屋に隠してきてくれない?」

「あの子? ヘレナですか?」

「もう、他に誰がいるのよ」

 姉は笑顔を崩さなかった。


「良いこと思いついたの。エリオットがこれを、あの子の部屋に隠すでしょ? それを私が『たまたま』見つけるの。そうしたら、皆はこのことをどう思うかしら?」

「ヘレナが盗んだロケットを姉上が取り戻したという解釈をするでしょうね」

 エリオットが冷静に言った。エルティシアは、大きな口をおかしそうに押さえる。


「八十点よ、お馬鹿さん」

 それでもエルティシアは嬉しそうだった。


「私がシャルル様に感謝されるっていうおまけまで付いてくるわ! 優等生君は、この計画、どう思うかしら?」

「素晴らしいですよ、姉上」

 エリオットがにっこり笑うと、姉の頬が上気した。


「じゃあ、早速行ってきて。でも、ロケットに傷を付けちゃだめよ。シャルル様の大事なものなんですもの。終わったら、隠し場所を教えてちょうだい」

 上機嫌で捲し立てる姉と別れ、エリオットは、使用人たちの居住棟へと向かった。




(まったく、姉上もよくこんな悪いことをほいほい思いつけるものだ)

 居住棟へ向かいながら、エリオットは半ば感心していた。ヘレナに対しては、どことなく罪悪感のようなものを感じずにはいられないが、仕方の無いことである。エリオットにとっては、姉の心の平穏の方が大事だ。ヘレナには、今のローゼンベルク家に来てしまったことを不運だったと諦めてもらうより他ない。


 そんなことを考えながら歩いていると、ある一室から明かりが漏れ、話し声が聞こえてきた。書斎だ。執務室も兼ねていて、よく客人なども出入りする部屋だが、こんな時間に訪ねてくる人もいないだろう。不注意な家の者が扉を完全に閉めるのを忘れたまま、会話に興じているらしい。エリオットは、そっと扉の隙間から中を覗き込んだ。


「いや、ひどい夜会だったね」


 最初に聞こえてきたのは、叔母のアイリスの声だった。室内には三人のローゼンベルク家の関係者がいた。残りは、アイリスの隣のソファーに座る、夜盗のような顔立ちの男、ウィリアムと、窓際に立つ背の高い女、ミランダだ。エリオットたちの義理の母である。


「あんたの娘はちっとも王子の気を引けてなかったじゃないか。あまつさえ使用人の小娘なんかになびきかけてる。大丈夫なんだろうね。エリオットの二の舞は、ごめんだよ」

「わたくしの娘ではありませんわ」

 ミランダはイライラしながら返した。


「あんな子じゃ、殿下の気は引けませんわよ。当然ですわ。母親に似て、枯葉みたいに地味な容姿なんですもの。それよりも、ヘレナですわ。平民の分際で殿下を誑かすなんて、意地汚い。あの子も母親に似たのでしょう」


 ミランダは、ストロベリーブロンドの髪に、緑の目をしている。絵画に描かれた春の女神や綺麗なリボンを掛けられた大きな薔薇の花束を彷彿とさせるような美貌の持ち主だ。その顔に嫌悪が浮かんでいるときでさえ、秀逸な容貌は崩れていなかった。


「黒い目は小さくて、鼻も低い。肌もくすんでいますわ。睫毛は短いし、髪も酷い色。身体つきなんて目も当てられないくらいです。特に足なんて豚の丸焼きそっくりですわ。あんな子のどこを殿下が気に入るというのでしょう。本当にヒューゴ様の血が入っているのかしら」

「負け犬のくせにうるさいね」


 アイリスはせせら笑った。意地が悪く、美しいのは彼女も同じだった。ただし、ミランダが女神のような輝きを持つのなら、アイリスは妖婦のような煽情的な雰囲気を纏っていた。緩やかにうねる金髪が、誘惑するような曲線を描きながら豊かな胸の上に落ちている。ミランダとは別種の輝きを放つ緑の瞳は、夜会でシャンパンを大量に飲んだ影響か、妖しげに揺れていた。しどけなく酔ってソファーの肘掛けにもたれ掛かる姿さえも、まるで高級娼婦のように艶めかしい。


「王子とエルティシアの婚約は、愚かな兄さんがやった中で、唯一のまともなことだよ。まさかぶち壊される、なんてことないだろうね」

「ヒューゴ様は愚かではありませんわ」

 苛立っていただけだったミランダの顔に、はっきりとした怒りが浮かんだ。

「あの方は騙されやすかっただけです。だからあんな女たちなんかに……」

「そんなことよりよ、ミランダ様」


 ミランダがヒステリーを起こす前に、ウィリアムが素早く口を開いた。ウィリアムは、もう何人目になるのか分からない、アイリスの愛人である。何せアイリスは、大好きな宝石と同じようにアクセサリー感覚で、恋人をとっかえひっかえしているのだ。アイリスが連れてくる者たちは、年齢や容姿だけでなく、性別さえバラバラだったが、何故か、押し並べてろくでなしということだけは共通していた。

 ウィリアムは、賭け事に異常な執着を燃やし、その上、アイリスに負けないほど金遣いが荒かった。本人はさる名門の血を引いていると嘯いているようだが、そんな話はアイリスでさえ信じていなかった。


「品評会の方は大丈夫なんですかね。もう三年連続でクリアリー家に優勝を攫われてますぜ」


「今年の審査員を誰が務めるかは、すでに分かっていますわ」

 ミランダは怒りから一転、氷のような表情になる。


「贈り物もきちんと用意してあります。これ以上、栄えあるローゼンベルク家の名に泥を塗るようなことはできませんもの。王国一の名門が、当主不在のために、弱体化したなどと見なされるわけにはいきません。まずは、宝石商のジョンソン夫妻と宮廷お抱えのデザイナーのハウンゼント氏辺りを夕食にでも誘って……」


 まるで暗記した台本を読み上げるように滔々と語っていたミランダの口が、急に閉じた。そして、その唇が真一文字に結ばれる。そうなった訳を考えるまでもなかった。ミランダは高いヒールをカツカツと床に打ち付けながら歩くと、ドアを勢いよく開けた。


「おやまぁ、エリオットじゃないか」

 アイリスとウィリアムは、この時初めてドアの外にエリオットがいるのに気が付いたようである。


「盗み聞きかい? 嫌だねぇ」

「偶然通りかかっただけです」

 エリオットは微笑んだ。ウィリアムの眉が吊り上がる。

「おい、坊主……」

「心配しなくても、僕はあなた方のなさっていた密談には興味がありませんので」

「外へ漏らしたら承知しないよ」


 エリオットはのらりくらりとかわそうとしたが、叔母がすかさず釘を差す。「分かっていますよ」と言って、エリオットは、さっさとその場から立ち去った。実際、彼らの話を聞いても聞かなくとも、エリオットにとっては、どちらでも良いことだったのだ。


 後ろからは、まだ、義母の鋭い視線が追ってくる。曲がり角まで来て、やっとそれから逃れられたが、その代わり、今頃叔母たちは自分の悪口で盛り上がっているかもしれないとエリオットは思った。


 通りがかったのが自分で良かった。もしこれがエルティシアだったら、ミランダは彼女にどんな罰を与えていたか知れない。ミランダは、エルティシアのことが大嫌いなのだ。ほとんど憎んでいると言っても過言ではない。ミランダが初めてこの家に来た時から、ずっとそうだった。そのせいで、父のヒューゴは、ミランダとの間に争いが絶えなかった。


 それにもかかわらず、ミランダがヒューゴのことを嫌悪していないのは、驚くべきことだった。ミランダは彼女なりにヒューゴを愛していたのだろう。ミランダがエリオットに対して強く当たれないのは、そのせいだ。エルティシアが母親似なら、エリオットは父親の面影を色濃く継いでいた。きっと、ミランダはエリオットを見る度、ヒューゴを……亡き夫を思い出してしまうのだろう。

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