ヒューゴとカサンドラ
図書館は普段の閑散とした様子から打って変わって、掲示板に張られた学園新聞を見損なった人で溢れていた。そして皆、当の本人のエリオットが目の前にいると分かると、好奇心いっぱいの顔になるのだ。
「エリオット」
自分の策略がどれほど上手く機能したか充分に確認できたエリオットは、図書館から出ようとしたところを呼び止められた。
シャルルが椅子に腰かけていた。目の前の机には、驚いたことに学園新聞が広げられている。彼はこの手の下世話な話題をあまり好まないと思っていたのだが。
「何だか、大変なことになってるみたいだね」
シャルルがのんびりと言った。
「シャルル様も学園新聞の熱心な読者だったとは知りませんでした」
エリオットは、彼の向かいに座りながら言った。
「ああ、これ?」
シャルルは、広げた新聞の束をペラリとめくって苦笑いした。
「これ、奉仕活動だよ。僕たちのクラスは図書館の掃除を手伝うことになってて。それに君のことは、学園新聞を見てなくても耳に入ってくるよ」
よく見てみてば、シャルルの椅子の下には、古い学園新聞が山のように積まれていた。
「何か面白い記事はありましたか?」
「うーん……特には」
シャルルは興味なさそうに首を傾げた。
「僕、本当は学園新聞のバックナンバーの整理じゃなくて、貸し出された本を元に戻すとか、窓拭きの方が良かったんだけどなあ」
シャルルが不満そうに言った。
「こんなに色々書かれているのを見てると、何だか気の毒になってくるよ」
シャルルの机には、広げられた新聞の他にも、教科書の類が置かれていた。掃除の片手間に勉強でもしていたのだろうか。
「そっちは、掃除以上にはかどってないよ」
エリオットの視線に気付いたシャルルが苦笑いした。
「シャルル様は、八月の卒業試験を受けないんですか?」
聖エリザベート学院は、八月と一月に卒業試験が行われ、そのどちらかで及第点を取らないと卒業できないのだ。しかしシャルルは「とても無理だよ」と泣きそうな顔になった。
「八月どころか、一月の試験だって受かるか怪しいよ……。僕、勉強あんまり得意じゃないから……」
一国の王子として留年はどうなんだとエリオットは思ったが、学院の卒業試験は毎年不合格者が大量に出るほどの難易度なのだ。年に二回行われるのは、救済措置の一環である。
シャルルは、もうこの話題を続けるのも嫌らしい。「……あっ、そうだ」と言って話を逸らした。新聞の山を掻き分けて、その内の一枚を寄越してくる。
「こういうの見つけたよ。気に入るかは分からないけど……」
とは言え、シャルルがわざわざ人の気に障るようなものを渡してくるはずがない。エリオットは王子の留年の危機については一旦忘れることにし、それを受け取った。
見出しを見たとき、エリオットはドキリとした。一瞬、自分のことが書かれているのかと思ったのだ。しかし、冷静に見直してみると、古新聞の日付は、今から二十年程前のものだった。
『 ローゼンベルク家の長男、ついに求婚か!?
昨日行われた聖エリザベート学院学園祭の後夜祭にて、ローゼンベルク家長男ヒューゴ・フォン・ローゼンベルク(四年)が、以前から交際関係にあったカサンドラ・フォン・サリヴァン(四年)に求婚をしたとの情報が本紙に寄せられた。
「私、確かに見たわ」名前を明かさないという条件のもと、取材に応じてくれたA嬢はこう語る。
「歌劇部の発表が終わった後、カサンドラちゃんは、さっさと舞台裏にはけて行っちゃたの。ほら、いつもならカーテンコールもしっかり応えるでしょう? 私、てっきり気分でも悪くなったのかと思って、心配して後を着いて行ったのよ。そしたらね、カサンドラちゃん、ローゼンベルクさんとキスしてたの! もう熱烈だったわ! ずっとくっついてるんじゃないかってくらい! それでね、その後で、ローゼンベルクさんが言ったの! もう離したくないって! 私、あんなに熱心なローゼンベルクさんを見るのは初めてよ」
A嬢の証言は極めて興味深い。何故なら、ヒューゴ氏の言葉は、求婚の申し出と明確に言い切れるからである。
カサンドラ嬢は小貴族の娘。片やヒューゴ氏は名門の出身である。両者の恋については、様々な憶測が流れていたが、この証言により、少なくともヒューゴ氏は正真正銘の愛情を抱いていると判明したのではないだろうか。』
「君のお父様とお母様だよね」
シャルルがエリオットの顔を覗き込んでくる。
「二人とも仲良しだったんだね」
「そうですね。余計なお世話だって感じの記事ですけど」
エリオットは、苦笑いした。何となく気恥ずかしいが、幼い頃に母を亡くしたエリオットにとって、こんな形によってでも彼女の思い出に触れられるのは、不本意だが、少し嬉しくもあった。挿絵として、恐らく想像で描かれたであろう、ヒューゴがカサンドラにプロポーズしている場面が載せられている。ぽっちゃりした体形や丸い鼻に小さい目。皆の言う通りだ。エルティシアは、疑いようもなく母親似だった。
「他にも二人の記事があるんじゃないかな」
シャルルは優しく言った。
「探してみる?」
促されるままに、エリオットは古新聞の山に近づいた。
学生の頃の父と母の痕跡探しは、思ったほど難しくはなかった。今も昔も新聞がお節介なのは変わらず、二人きりで出かけたり、話したりする度に、ああだこうだと紙面に刺激的な文句を乗せるのだ。火のないところに煙を立たせるのが、自分たちの使命であると思っているのだろう。なにせ、ヒューゴがカサンドラの落とし物を拾っただけでも、当時の記者の脳内では、それが求愛行動に変換されるくらいなのだ。
しかし、なんやかんやと考えながら楽しく二人の足跡を辿っていたエリオットは、ある見出しに、ふと手を止めた。