取材、よろしいですか?
「踊るよ、ヘレナ」
言うが早いか、エリオットはヘレナの腰に手を回して、ステップを踏んだ。周囲は踊っている人だらけなので何の不自然さもないが、唐突にそんなことを言われて、ヘレナは驚いているようだった。
「あ、あのエリオット様、私ダンスなんて……」
エリオットにリードされながら、ヘレナはあたふたとした。
「踊れないの?」
エリオットは目を丸くした。
「君のお母上は踊り子だったんでしょう?」
「でも、こういう場で踊ったりはしていなかったんじゃないかと思います」
ヘレナはバツが悪そうに言った。
「もっと、大衆的というか、庶民的というか……そういうところで踊ることが多かったんじゃないでしょうか。私が母から教えてもらった踊りは、そういう場で踊るようなものでした」
「……僕の母上の墓の前で踊ってくれたのとか?」
「……そうですね」
ヘレナは頷いた。サリヴァン家でのことを話すのは、帰って来てから初めてだった。
「姉上が君の踊りに感じ入っていたよ」
エリオットはあのときのことを思い出す。
「丁寧な踊りだって言ってた」
「そうなんですか……」
ヘレナは呟いた。
「……ドレスを貸してくださったのは、そのお礼ですか?」
「かもね」
ヘレナの足の運びは初心者にしては滑らかだった。種類は違えど踊りは踊り。もう少し練習を積めば、立派に社交界で通じるダンスができるだろう。
エリオットはわざと大きくステップを踏み、時にヘレナをターンさせながら、ホールの中ほどを巨大な円を描くように回った。少々大胆な動きに周囲の目が集まってくるのを感じる。理想的な状態だった。
「エリオット!」
踊っていた他の少女が、すれ違いざまに声を掛けてきた。モスグリーンのドレスに身を包んだエルティシアだった。ダンスの相手はシャルルだ。
「良かったわ、会えて。ヘレナと行くって本当だったのね」
ヘレナはシャルルのことを何とも思っていないし、シャルルもまたヘレナのことを特別視している訳ではないと、エリオットは舞踏会へ行く前に姉に言っておいた。そのため、エルティシアは、ヘレナがシャルルに会釈しても顔色一つ変えなかった。
「姉上も、シャルル様と踊れて良かったですね」
「ああ、新聞部の子のこと聞いたの?」
ターンしながら、エルティシアは顔をしかめた。
「嫌よね。舞踏会なんだから色んな人と踊るのが当たり前なのに。きっと明日の学園新聞の大見出しよ。『ローゼンベルク家令嬢、婚約破棄一歩手前か?』みたいなね」
普段はその手のゴシップを嬉々として話すが、いざ自分のこととなると辟易してしまうらしい。エルティシアの言葉に苦笑いしていたシャルルが、向こうの方を見て「あっ」と声を漏らした。
「あそこに新聞部の子が……。隣にスミスさんまでいるよ」
その言葉にエリオットは誰よりも早く反応した。人混みを詮索好きそうな目で見ている五人程の集団がいる。彼らが新聞部の者であると分かるのは、腕章をつけているからだ。その中でも一番抜け目がなさそうな、背の高い黒髪の少年、エドマンドが部長である。スミス女史は彼の隣に立つ真っ赤なドレスを着た婦人だ。エドマンドと何か話しているところを見るに、アドバイスの類でもしているのだろうか。恐らく、効率の良いゴシップの見つけ方でも講義しているに違いない。二人は親子関係だった。
新聞部とスミス女史は、このホールの中では、間違いなく一番話題の豊富な集団で、話せば楽しいだろうと思われた。しかし、皆そんな冒険は犯したくないようである。明日の新聞の一面記事を飾らないようにと、彼らの前からは自然と人がはけて行った。エルティシアたちもその内の一組だ。しかしそれとは反対に、エリオットは大股でステップを踏みながら、彼らに近づいた。
(よし、食いついた)
スミス女史が部員の一人を小突き、エリオットとヘレナの様子をスケッチさせ始めた。わざとゆっくり踊りながらたっぷり時間をとって、自分たちの絵を描く眼鏡の少女のモデルになってやった後、曲が終わるのに合わせて、エリオットはダンスを終えた。
「エリオット様、何か飲み物を……」
慣れないダンスで緊張していたのか、ヘレナの顔は紅潮していた。喉も渇いているようである。しかし、彼女が飲み物を取りに行く前に、新聞部の集団が近づいてきた。
「こんにちは、新聞部です。取材、よろしいですか?」
恐らく聖エリザベート学院の生徒が一番掛けられたくない声と共に、あっという間にエリオットたちは、五人に囲まれた。後ろではスミス女史が、青い目を情熱的に輝かせてこちらを見ている。彼女は、まるで目の前に大きな骨付き肉を置かれた大型犬のように貪欲そうな表情を浮かべていた。だがそれは、新聞部の者たちも同じようなものである。一応「よろしいですか」と聞いてはいるのだが、逃がす気など更々ないのは明白だ。
「エリオット・フォン・ローゼンベルクさんですね? そちらの可愛らしいお嬢さんはどなたでしょう」
「ヘレナ・フレミング。僕の家の使用人だよ」
突然の囲み取材にすっかり怯えてしまっているヘレナをよそに、エリオットは悠然と答えた。
「使用人ですか」
部員の顔が輝いた。メモ帳の上をペンが素早く走る。
「お二人はどういったご関係でしょう? 恋人でしょうか」
「まだ恋人じゃないよ」
エリオットはわざと含みを持たせて言った。案の定、部員が聞きとがめる。
「まだ、とはどういう意味でしょう。これから恋人になる可能性もあると?」
「うーん。ヘレナが了承してくれたら、そうなるかもね」
エリオットは深刻そうに言った。部員の貪婪な視線が、今度は一斉にヘレナの方に注がれる。ヘレナは「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
「フレミングさん、先程のローゼンベルクさんの言葉をどう思われますか」
「ローゼンベルクさんのお気持ちに応える気は?」
「昨年、ローゼンベルクさんと婚約を解消されたスワローズさんに、何か言いたいことはありますか」
ヘレナはエリオットほど質問に上手く答えられなかった。そのため、彼女の返す微妙な反応を部員は好きなように受け止めると決めたらしい。今や、ペンを握る手は目で追えない程の速さで動き、あまりの熱気に、その場の温度が少なくとも五度は上がってしまったように感じる。
ヘレナは助けを求めるように部長のエドマンドの方を見た。実は彼は、『Cinderella♡kiss』の中で主人公に色々な情報を届けてくれるお助けキャラなのだ。しかし、今のエドマンドはヘレナを窮地には立たせても、決してお助けする気はないらしい。他の部員と一緒になって、あれやこれやとヘレナを質問攻めにしていた。
そのことに気が付いたヘレナは、今度は、すがるような目でエリオットを見たが、それはエリオットにしても同様だった。黙って微笑みを返され、ヘレナにとっては悪いことに、そのやり取りから、部員たちは二人が相思相愛だと連想したようだ。秘めたる恋心、許されざる恋、という単語が彼らの囁きの合間から聞こえてきた。
「学園新聞の大見出しになるだけじゃなくて、号外も出せるわよ」
やっと集団が去って行ったときに、スミス女史が興奮しながら息子にそう話すのを、エリオットは確かに聞いた。