舞踏会
カラッと晴れた陽気が続き、空の雲が背比べをし始める季節がやって来た。
聖エリザベート学院が設立されたのは、太陽の眩しい時期のことだった。創設以来、その日を祝う舞踏会を学院は毎年開催している。今年もまた、学院の正門の前には絢爛豪華な馬車が幾台も止まっていた。
「わあ、すごい人……」
学院の敷地に入るなり、ヘレナが目を丸くした。
「王国中から貴族が集まってくるからね」
とエリオットは答える。サンドリヨン王国の貴族は、何かしらの事情がない限り、聖エリザベート学院の卒業生だ。
「皆さん、とても豪華なものをお召しですね」
ヘレナは、歩く宝石箱のような装いの男女をしげしげと見つめた。エリオットは軽く笑う。
「豪華なだけじゃ、ね。ヘレナ、そのドレス似合ってるよ」
エリオットに褒められて、ヘレナはわずかに赤くなった。
胴回りをフリルで飾ったドレスは、幾重にもオーバースカートを重ね、あちこちにリボンがとめられていた。デコルテの辺りには、ヘレナの瞳に良く映える金糸の刺繍が施してある。袖口は肘の辺りから鳥の翼のように広がり、可憐な白いレースの先からはほっそりした腕が見えていた。
装飾があちこちに付け足されたドレスは、元がエルティシアのものであったと分からないほどに魔改造されていた。恐らく貸してくれた本人が見たって気が付かないかもしれない。
ドレスをどんな風にアレンジするのかは使用人たちに任せたが、ヘレナの髪につけられたオレンジとクリーム色のコスモスの造花だけはエリオットの注文だった。何となく彼女のイメージにピッタリだと思ったのである。エリオットの見立ては正しかった。柔らかな髪に咲くコスモスは、ヘレナを一層愛らしく見せてくれていた。
「エリオット様もよくお似合いです」
ヘレナは恥ずかしそうにモソモソと言った。
今年のエリオットの服装は黒い細身のジャケットに深緑のベストだ。襟元には赤いボウネクタイを締め、白い手袋を嵌めていた。まだ幼さの残る容姿のエリオットにはいささか大人びた格好のように思われたが、わざと落ち着いた色味の服を選んだのだ。薄暮とはいえまだ暑いので、ジャケットを脱いでしまいたかったのだが我慢してもいた。
二人は大ホールへと向かった。入り口で招待券を見せ、中に入る。
オーケストラが演奏する音楽が流れるホールは、壁の所々に著名な画家の描いた絵画が飾られ、終わりも見えないほど彼方まで延々と続いている。高い位置にある花の形のステンドグラスには、建国神話に関するモチーフがちりばめられ、それがシャンデリアの光に反射し、大理石の床を虹色に染めていた。代々の学院長の等身大の立像が置かれたホールには、すでに何人もの招待客が集っている。
「ミランダ様やアイリス様たちは……いらっしゃいませんね」
煌びやかなホールに着いた途端に、ヘレナは落ち着かなさそうに目をキョロキョロさせたが、安全確認ができてホッとしたようだ。屋敷を出るときもわざと時間をずらしただけでなく、念のために裏口から出発したのだ。こんなところで見つかって、来て早々に追い返されるような目に遭わなくて安堵しているようである。
ミランダたちの姿が見えないことに胸を撫で下ろしたのはエリオットも同じだった。何の成果も得られないままヘレナと離されてしまっては意味がない。
しかし、エリオットが辺りを見回していたのは、危機を回避するためではなかった。他に探している人がいたのである。
「あの、エリオット様?」
エリオットがぼんやりしていると思ったのか、遠慮がちにヘレナが話しかけてきた。
「もう少し中に入りませんか?私たち、入り口を塞いでしまっています」
後ろを向くと、癖のある亜麻色の髪の少年を先頭に、他の貴族たちが、すし詰めとなっていた。エリオットは慌てて横に退く。塞き止められていた流れが解放されて、皆は一斉に中へ入って行った。
エリオットの脇を通り抜けざまに、先程先頭に立っていた少年が父親らしき人物に「あの子、ローゼンベルク家の子だよね?」と尋ねるのが聞こえた。父親が振り返ってエリオットに会釈する。垂れた目のどことなく風采の上がらない中年の男だ。
「宮内副大臣のノストルダムさんだよ」
エリオットも挨拶を返しながら、ヘレナに言った。
「息子の方は知ってるよね」
カイン・フォン・ノストルダム。エリオットの一つ下の学年で、ヘレナの攻略対象の一人だ。ヘレナは「はい」と頷いた。
エリオットたちは入ってくる者の流れに沿ってホールを移動した。宮内大臣のフォーレスト氏と第二王子のフィリップが話す横を通り過ぎ、見知った顔もいくつか見つけることができたが、広いホールでは、お目当ての人物に出会うことは難しかった。
「気を付けろ」
色々なところへ視線を遣っていたエリオットは前方不注意になって、誰かとぶつかってしまった。気取った声の方を向くと、ローゼンベルク家を目の敵にしている同級生、ニルス・フォン・クリアリーが仁王立ちしていた。
「こんばんは」
エリオットは何食わぬ顔で挨拶した。ニルスが眉根を寄せる。
「何がこんばんは、だ。まずはぶつかったことを謝れ。ローゼンベルク家では、そのような礼儀も教えられずに……うん?」
ニルスはエリオットが連れている少女の方を見て、一瞬訝しむような顔になった。彼は、ヘレナがクリアリー家の下男に絡まれているところを助けたことがあった。だが、今目の前にいる少女の正体にニルスが気付くより早く、別の人物が会話に割り込んできた。
「どうした。大きな声を上げたりしてみっともない」
息子とそっくりな顔をしたニルスの父親だ。クリアリー氏は、息子が話していたのが誰か分かると、片眉を吊り上げた。
「これはこれは……ローゼンベルク家の坊ちゃんか」
「こんばんは」
面倒くさい人に会ったなと内心でげんなりしつつ、エリオットはそんな様子をおくびにも出さなかった。
「今年は去年とは違う女性を連れているようで。……ああ、婚約を解消されたんだったか」
クリアリー氏は小馬鹿にしたように笑った。後ろではニルスがいい気味だと言いたげな顔をしている。
「姉君もそうならないと良いがな。姉弟揃って家名に泥を塗るのは恥ずかしかろう。何せ、先程シャルル殿下が、どこかのご令嬢と親し気にダンスを踊っていたところを、あのお節介の平民崩れが面白おかしく……」
クリアリー氏の嫌味は続いたが、途中からエリオットは聞いていなかった。ヘレナの肩を抱くと、挨拶もせずに、その場を後にする。突然の無礼な態度にぎょっとしているクリアリー親子を残して、エリオットはホールの中心を目指した。