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もう一人のきょうだい

 サリヴァン家の中へ入ると、良い匂いが漂ってきた。

 食堂に二人が行くと、元々あったテーブルに、他の部屋から持ってきた机をくっつけて全員が座れるようにしてあった。テーブルクロスの皺を伸ばすヘレナの脇を、一人の少年が食器を持ってちょこちょこと歩いていた。恐らくグラントの子どものベンジャミンだろう。最後に会ったときはあんなに小さかったのにとエリオットは軽い衝撃を覚えた。記憶が正しければ今年で十二歳になるはずだ。


「ヘレナ様、これはどこに置けばいいの?」

 ベンジャミンはフォークを手の中で弄びながら、無邪気にヘレナに聞いた。ヘレナは「ここにお願いします」と皿の近くを指差しながら苦笑する。


「ベンジャミン様、私に『様』はいりませんよ」

「何で? いとこだから?」

「いとこ?」

「父様の妹の子どもはそうやって呼ぶんでしょ? ……違った?」

「それは違いませんけど……。私は、カサンドラ様の子どもではありませんので……」

「えっ、そうだったの?」

 ベンジャミンは目を丸くした。


「エルティシアさんやエリオットさんと一緒に来たから、二人のきょうだいかと思ってた。じゃあ、誰の子どもなの?」

「私は平民の母から生まれました。……父のことはよく知りませんけど」

「何で?」


 少々無神経なところのあるベンジャミンが、立ち入った質問をする。ヘレナは仕方無さそうに答えた。


「生まれたときから傍にいなかったからです。私は母に育てられました」

「他にきょうだいはいないの?」

「ええ。一人っ子です」

「ふーん」

 ベンジャミンは初めて気の毒そうな顔になった。


「じゃあ、遊んでくれる人が誰もいないんだね」


 ベンジャミンには、年の離れた姉の他に、妹と弟が二人ずついた。もしかしたら、エリオットがサリヴァン家から足の遠のいていたこの四年の間にも、もっと家族が増えているのかもしれない。そんな彼からすれば、きょうだいのいないヘレナは、つまらなさそうに感じられるのだろう。だが、ヘレナは「私は使用人ですから」と言った。


「遊びの代わりにやらないといけないことが沢山ありますからね」

「それなら、寂しくもないってこと?」

「……それは」

 

 ヘレナはこのとき初めて言葉を詰まらせた。「思わないことはないかもしれません」と呟く。


「傲慢かもしれませんけど、本当はきょうだいになるはずだった人たちと、仲良くできないのは寂しいなって」

「どういうこと?」


 ベンジャミンは疑問に思ったようだが、それはエリオットも同じだった。そろそろ二人のお喋りを遮って中に入ろうかと思っていたのだが、エルティシアもエリオットも足が止まってしまう。


「エルティシア様やエリオット様のお父様のヒューゴ様は、私にも良くしてくださったんです」

 ヘレナは微かに笑みを見せた。


「あるとき、ヒューゴ様がこう仰ったことがありました。いつか自分の子どもの妹や姉として一緒に暮らそうと。……実現はしませんでしたが」

 ヘレナの笑みは悲哀を含んだものに変わっていた。


「私、母と暮らしていた頃は、よくローゼンベルクのお屋敷にいる、会ったこともない二人の年の近い子どものことを考えていました。美味しいものを食べるのが好きなお姉さんと読書家の弟。一緒に遊べたら楽しいだろうなって」

 ヘレナの年齢は十七歳。ちょうどエルティシアとエリオットの中間に当たる。


「でもそれは叶いませんでしたね。私はただの使用人ですし」

「どうして?」

 ベンジャミンは首を傾げた。


「使用人でも一緒に遊べるでしょ? 僕、家政婦さんの子どもとも遊んだりするよ?」

「サリヴァン家では許されても、ローゼンベルク家では許されないんですよ」

 ヘレナは困ったように言った。


「私にはきょうだいなんて初めからいなかった。そう思うしかないんです」


 ヘレナはそれだけ言うと、足りない皿を取りに別室へ向かった。「僕も行く!」とベンジャミンが後を追いかける。


「知らなかったわ」

 二人が行ってしまった後で、エルティシアが呟いた。


「お父様がそんなことを仰っていたなんて。ヘレナが私たちのきょうだい……」


 確かに父は亡くなる前に、エリオットたちにヘレナを家族として迎えてやってほしいと言っていた。

 エリオットにとって、『家族』とはマイナスな意味合いを含む言葉だ。言うまでもなく、義母のミランダの存在である。その後、叔母のアイリスの登場によって、益々悪いイメージが固まりつつあった。だから、ヘレナを『家族』にしてやってほしいというのは、身寄りのない子を仕方無く家に置いてやれ、くらいの意味だとばかり思っていた。だがその真意は、血は繋がっていないが、きょうだい三人で仲良く暮らしてほしいということだったのか。


(『宝物』……)


 エリオットは、自分たちのことを考えて目を伏せた。

 ヘレナの言っていた通り、ヒューゴは彼女のことも可愛がっていたのだろう。屋敷に招いたのだって、ミランダはともかく、娘や息子たちなら、ヘレナを温かく受け入れてくれると信じて疑っていなかったからなのかもしれない。しかし、その予測は外れた。ローゼンベルク家の者は、誰一人として彼女に優しくすることなどなかったのだ。エリオットでさえ、ヘレナがいじめられるのを黙認してきた。ヘレナは失望したのではないだろうか。自分が想いを馳せていた、まだ見ぬきょうだいはこのような人たちだったのかと。

 それとも、まだ希望を捨てていないのだろうか。だから、あんな風にカサンドラの死を悼んでくれたのか。


(そうか、ヘレナ……。君も……)

 エリオットは複雑な気分だった。自分はヘレナのことを何も理解していなかったのだと思わずにはいられなかった。




 ヘレナはこの世界を俯瞰している。エリオットはいつの間にかそう思い込んでいた。画面の向こうという別の世界から、この『Cinderella♡kiss』という乙女ゲームを見下ろしているのだと。だから、エリオットたちにとっては現実でも、ヘレナにとっては、ここはゲームであり、所詮は架空。そんな風に映っているのだと思っていた。


 だが、ヘレナとプレイヤーは別人なのだ。プレイヤーは登場人物の一人であるヘレナに感情移入しているだけであって、ヘレナとプレイヤーはイコールで結ばれる関係ではない。ヘレナの過去も現在の境遇も、プレイヤーからすればゲームの中の出来事だが、ヘレナにとってはそうではない。実際に体験したこと、もしくは体験していることだ。何もかも本物なのである。ヘレナもまた、乙女ゲーム『Cinderella♡kiss』の中で生きるキャラクターの一人なのだ。


 そう思うとヘレナに親近感が沸くようだった。彼女は画面の向こうではなく、現実に目の前で生きている少女なのだ。プレイヤーの選択通りに動いているように見えても、彼女自身の心はきちんと動き、物を考え、感じている。

 だが、時には意に沿わない選択をさせられることもあったのではないだろうか。こんなこと思っていないのについ口に出してしまった、特に好きでもないのに流されるままに結婚してしまった……。


 今回はそうなってほしくない。


 エリオットは、真っ先にそう感じた。自分でも何故だかよく分からない。彼女の言った『きょうだい』という言葉のせいだろうか。


 どんどん居心地の悪くなっていくローゼンベルク家の中で、エリオットは『きょうだい』であるエルティシアと身を寄せ合って過ごしてきた。お互いが唯一の味方であり、心を許せる存在なのだと思っていた。エリオットの中で『きょうだい』というのは特別な意味を持つ言葉だったのだ。そして、もしヘレナもそういう存在たり得るのなら……。


 ヘレナには幸せになってほしい。自分のもう一人のきょうだいになってくれるかもしれない、そんな人には。

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