灰かぶり姫の舞踏と悪役令嬢の後悔
代々のサリヴァン家の者たちが埋葬されている墓地は、家の裏手から歩いて十分もかからないところにあった。二人の母、カサンドラもここに眠っていた。当初、墓はローゼンベルク家の領内にあったのだが、父の死後、ミランダが移してしまったのだ。
二人は道中誰とも会わずに墓地まで着いた。古びているが、錆一つ無い鉄の柵についた門を開ける。中に入ると、門の近くにある墓守の管理部屋から、年取った男が帽子を取って、二人にお辞儀した。
墓石は何列にも渡って並んでおり、サリヴァン家が古くから続く家であるということを示していた。ここに自分たちと血の繋がった者が永久の眠りについていると思うと、不思議な気持ちになる。
二人はその中でも、最も自らと繋がりの濃い者の墓所へ近づいた。そんなに移動する必要はない。エリオットは、一番手前の墓をじっと見つめた。
「お母様、お久しぶりです」
エルティシアが、墓石の下の母にゆっくりと話しかけた。
「私もエリオットも、元気ですよ。仲良しの姉弟だって、皆が言っています。今日はおばあ様のお見舞いに来たんですよ。ご病気だと伺っていましたが、何とも無さそうで一安心しました」
最初、エルティシアは笑っていた。だが、その微笑みが次第に歪んできた。目を潤ませながら、まだ何か言おうとするのを、エリオットは姉の背をさすることで止めた。
「エリオット、私たち、二人ぼっちね」
エルティシアは、父が死んだ日と同じことを言った。
「もうずっと、二人きりなのね」
「僕は、その相手が姉上で良かったと思っていますよ」
エリオットは、母の墓石に目を遣った。自分の子どもがこうして墓の前で泣いているところを見たら、母はどうするだろうか。きっと、慰めてくれるに違いない。だが、それは叶わぬことなのだ。代わりにエリオットが、こうして姉の悲しみや寂しさを受け止めてやるしかなかった。
「何かお供え物を持ってくるべきでしたね」
エリオットは、姉の気持ちを和らげようと、努めて優しい声を出した。
「花か果物にしましょうか。ガンズさんのところに、何か無いか聞いてみましょう」
エリオットは墓守の小屋の方を見た。しかし、彼の目が捉えたのは、流行遅れの帽子を被った老人ではなく、両手に余るほどのサルビアの花を抱えて門をくぐってきたヘレナだった。
「昼食ができたので呼びに来ました」
ヘレナが言った。エルティシアは目元の涙を慌てて拭ったが、ヘレナはそれに気付かないふりをしているようだった。
「グラント様が、このお花をどうぞ、と」
ヘレナは花をエリオットたちに渡した。姉弟は、それを墓前に添える。鮮やかな赤や白、紫が、灰色の墓石の周囲に咲き乱れた。
「ずっと華やかになりましたね」
エリオットがエルティシアに向けて笑いかけた。「そうね」とエルティシアも悲しそうに微笑んだ。
「これ、お母様の好きだったお花だわ。伯父様、ご存じだったのね」
エルティシアが感慨深そうに呟いたことに、ヘレナは驚いたようだった。エリオットが目でどうしたのと尋ねると、ヘレナは恐れ多そうに「私が選んだんです」と言った。
「グラント様が、お庭の花壇から好きな花を持って行っても良いと仰ったので、これを選んだんです。ローゼンベルクのお屋敷のお庭にも咲いていますよね。そうですか……カサンドラ様のお好きなお花だったんですね」
「え、ええ」
エルティシアが目をパチパチさせた。
「ミランダさんがそんなこと知るはずないもの。それに、わざわざ誰もそんなこと教えるもんですか」
義母は、ローゼンベルクの家の中からエルティシアたちを除いて、完璧に前妻の痕跡を消すことに成功したと思い込んでいるようだったが、それは間違いだ。父のヒューゴが妻に送った愛の証は、毎年この時期に美しく庭園を彩っている。
「私も、お参りしても?」
「いいけど……」
ヘレナが意外なことばかり言う内に、エルティシアの悲しみはどこかへ行ってしまったようだ。彼女の方を不思議な目で見ていた。
二人はヘレナが手を合わせたり、祈りの文句を口にしたりするのだろうと思っていた。だが、ヘレナは突然手を大きく広げたかと思うと、その場でステップを踏み始めた。ゆっくりと回転し、首を振る。ピンと指先を伸ばし、足が円を描く。葬送の舞だった。
食い入るようにそれを見ていたエリオットは、踊るヘレナの瞳に光るものを見た気がした。
「すみません」
踊り終わった後のヘレナは、一礼するとすぐに袖で目元を擦った。上手く隠しきれなかったその動作に二人が気付いたと分かると、小声で謝った。
「踊っている内に、母のことを思い出して……」
ヘレナが二人の前で母親のことを話すのは初めてだった。ヘレナは、はっとしたようにもう一度「すみません」と言った。
「お二人には関係のないことですよね。私は、カサンドラ様の冥福を祈るために踊っただけなのに……」
ヘレナは墓石の前で指を組み、祈りを捧げた。赤の他人の墓にしてはずいぶん長くそうしていたように感じられる。それが終わると、暗い顔で「失礼します」と言って、墓地から出て行った。姉弟は顔を見合わせる。
ヘレナの母、キャリーはエリオットたちの父の妾だった。と言っても、カサンドラを何よりも愛していたヒューゴが愛人など囲う訳がない。キャリーは、ミランダに疲れたヒューゴが外に求めた癒しだった。
踊り子をしていた彼女には高貴な血筋も高い地位も何もなく、蒸発してしまった結婚もしていない男との間にできた娘さえいたが、ヒューゴにとっては、そんなことは何の問題にもならなかったらしい。
しかし、二人は馬車の事故によって引き裂かれた。救助されたときには、キャリーはすでに死亡、ヒューゴも虫の息だった。そしてヒューゴは息絶える前に言い残したのだ。キャリーの一人娘をどうかローゼンベルクの屋敷に引き取ってやってほしいと。その一人娘というのがヘレナだった。
この事故によって、ミランダは、初めて自分の夫に妾がいたことを知った。前妻の存在だけでも気に障るというのに、愛人がいたなどミランダは気も狂わんばかりに激怒した。当然、ヘレナを屋敷に引き取るなんて了承できるはずがない。しかし、何人もの証人がいる中で発せられた当主の言葉を反故にできる程の権力はミランダにはなかった。仕方なく、首を縦に振るしかなかったのである。
ローゼンベルクの屋敷に来たときのヘレナは、まだ十三歳くらいだった。だが、夫を誘惑した……少なくともミランダはそう思い込んでいる女の娘を、温かく迎え入れてやる訳がない。ヘレナは来て早々使用人の居住棟に押し込まれ、下働きとしてこき使われることとなった。
「そういえば、あの子もお母様を亡くしているのよね」
エリオットと同じくヘレナのことを考えていたエルティシアが複雑そうに言った。あんまりしんみりとした口調だったので、エリオットは姉の顔を思わずまじまじと見てしまう。
「ずいぶん丁寧な舞だったわ」
エリオットの視線に気付き、彼女も自分自身に当惑しているように言った。
「それにあんなに熱心に祈って……」
エルティシアはそれきり黙ってしまった。そして躊躇いがちに、信じられないようなことを口にする。
「私って、嫌な子かしら?」
もちろんヘレナへの態度のことだ。
普通なら、肯定すべき台詞である。だが、姉の心中を理解しているエリオットには、それは出来なかった。
ミランダが抱える、夫に強く愛されていた前妻カサンドラへの嫉妬や、奔放な振る舞いばかりする義理の妹アイリスへの苛立ち。そこから来るストレスをミランダは、主にエルティシアにぶつけることで解消していた。
しかし、そうして負った傷をエルティシアは一人では受け止め切れなかった。だから、そのはけ口としてヘレナを選んだのだ。ミランダや、特に理由もないのにアイリスたちにさえボロ雑巾のように扱われているヘレナ。今更自分がいじめたところで気に病むこともない。加えて、自分の婚約者のシャルルと仲良くしてもいる。エリオットが最近認知し始めたばかりの、コスモスのように可憐なあのヘレナの容姿にさえ、エルティシアは前から気が付いていたのかもしれない。それに比べて自分は枯葉のように醜いと常日頃から言われている。そんな劣等感も彼女を突き動かしていた。ヘレナが自分よりもっと惨めになってしまえば良いのだと。そうすれば自分は救われるのだと。
しかし、このときエルティシアは初めてそんな自分の考えに疑問を抱いたようだ。エリオットはごくりと息を呑んだ。ここは慎重に対応しなければならない。
「どうなんでしょう」
エリオットはゆっくりと言葉を選んだ。
「ヘレナはそう思っているかもしれません。でも……まだ機会はあるんじゃないでしょうか」
「機会? 何の?」
「やり直す機会です」
エリオットは心臓を激しく脈打たせながら切り出した。
「ヘレナに姉上の認識を改めてもらう機会ですよ」
「……そう」
エルティシアは神妙に頷いた。エリオットは、それが自分の言葉を重く受け止めてくれた証だと思いたかった。何せ、姉の中にやっと改心の芽が顔を見せてきたのだ。破滅を防ぐ唯一の手段。彼女も悪役から生まれ変わってくれれば良い。
「……行きましょうか」
それ以上はっきりとしたことは言わないまま、エルティシアが提案した。あまり口を出すと危ないかもしれないと思い、エリオットは、ここは黙って姉に従うことにする。二人はサリヴァン家へと来た道を戻って行った。