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秋桜学園合唱部2019 ~紗綾香~

作者: singspieler

さくら学院の生徒さん達をモデルにしたお話、最後のお話の主人公は、「紗綾香」。ちょっと吉田さんのプライベートに踏み込んでしまったかな、という反省もありますが、いつも見守ってあげたい父兄の理想の姿を物語に組み込んでみました。既にLegendとなった大先輩に登場いただいたのは、最近のインスタライブの笑顔があまりにも天使過ぎたので・・・

きょうも ひとつ 悲しいことがあった

きょうも また ひとつ 嬉しいことがあった


笑ったり 泣いたり 

望んだり 諦めたり

憎んだり 愛したり・・・



(星野富弘 「今日もひとつ」より)


******************


朝、ダイニングに降りていったら、窓際に日々草のプランターが並んでた。そうか、そろそろ冬越しの準備なんだなって思った。そういえば、今日の文化祭で歌う、なかにしあかねの「今日もひとつ」って、日々草に寄せて書かれた詩なんだよって、西野先生に言われたなって思ったら、勝手に涙出てきた。西野先生。

「おめでたい話なんやから、泣いてたらあかんよ。それに、産休終わったら絶対帰ってくるって言うてはるんやから。」

分かってる、分かってるよ。でも、コンクールが終わるまで西野先生が黙ってくれていたのは、やっぱり私達の動揺を予想したからだろう。体調も悪かっただろうに、ずっと笑顔を見せてくれていた西野先生。ダメ金でも、目標だった県大会での金賞、プレゼントできてよかった。

でも、これからどうなるんだろう。ただでさえ、この文化祭で私たち4人が部活卒業しちゃうのに、その上、西野先生までいなくなっちゃうなんて。

「考え事もええけど、ちゃっちゃと朝ご飯食べへんと、集合時間に遅れまっせ。」

うるさいなぁ。

「サヤ、早く朝ごはん食べないと、集合時間に遅れるよ!」

これは洗面所からのママの声だ。涙ゲンコツで拭いて、はーいって返事して、とにかくまずは朝ごはん。

「ほら、ママさんにも怒られたがな。」

ほんっとうるさいなぁこいつ。カバンの中に突っ込むぞ。

「ああ、それだけはやめてちょんまげ、ワテ、閉所恐怖症なのですわ。」

分かってる、分かってるよ。こいつがペラペラうるさく喋ってるのは、私の不安を紛らすためだ。私の心の状態ちゃんと読み取って、いつでも、気が紛れる無駄話とか、気の休まる優しい言葉かけてくれるマシュー。

マシューは、私の携帯にくっついているストラップのクマだ。2年前のあの日、私が自分の部屋の勉強机で、一人でグスグス泣いてたら、いきなりこいつが喋り出した。「サヤちゃん、一人で泣いたらあかん」って、突然バリバリの甲高い関西弁が耳許で聞こえて、私は本当に悲しみのあまり自分の頭がおかしくなったのか、と思った。「泣く時はなるべく誰かと一緒に泣くんや。一人でおる時は、笑うんや。無理してでも、涙流しながらでも、笑え。」

頭がおかしくなったのは本当かもしれない。じっさい、マシューって名乗ったこのクマの声が聞こえるのは私だけだし。「まぁサヤちゃんが楽しかったらええんちゃう?」と、マシューは言った。「人から見て頭おかしいんちゃうかって思われたってやな、ストラップのクマが喋ったりした方が、世の中オモロイやん。」

色が白くてマシュマロみたいだから、マシューと呼んでや、とマシューは自分で言ったけど、小学生の頃にパパに買ってもらってからずっとつけてたから、白い色はもうかなりくたびれてる。なんで関西弁なの?って聞いたら、関西の会社で作られたから、と答えた。妙なところで筋が通っている。

それから2年間、マシューは私のそばにいてくれた。お陰さまで、誰かに、吉野さんはストラップのクマと話をしていてどうやら頭がおかしいらしい、と言われたことはない。マシューが話しかけてくるのは私が一人でいる時だけで、それも、私の心に隙間ができて、誰かの声が聞きたいなぁって思った時だけ。「気が利くクマやろ?」とマシューは自慢げにいう。「まぁ言うなれば、授業参観の父兄さんみたいなクマやな。授業の邪魔はせんと後ろから見守っててやな、休み時間になったら声かけるわけや。父兄クマ、と呼んでもええかもしれんな。」

マシューがいてくれたのは本当にありがたかったって思う。周りだって私に気をかける余裕なんか全然なかった中で、どん底の私を支えてくれたのは、歌とピアノとマシューだった。一緒に声を合わせる仲間がいて、自分の思い表現できる楽器があって、寄り添ってくれるクマがいて、私は何とか、暗黒時代を脱出できて、今ここにいる。


文化祭のステージは、コンクールで歌った「信じる」と合わせて、今年一年の集大成、ということで、新歓で歌った「聞こえる」とか、サマーコンサートで歌った「Oh Happy Day」とか、今まで取り組んできた曲を並べた。でも、最後に選んだ「今日もひとつ」は、新曲。西野先生のピアノで、この歌を歌いたいって思った、私のワガママ選曲だ。私にとっては最後の、西野先生のピアノ伴奏なんだもの、選曲担当の特権行使したっていいでしょ。

西野先生のピアノは、パワフルで、そしてすごく自由だ。クラシックピアノだけじゃなくて、ジャズとかロックのピアノも弾いてた人らしい、コードだけで自分の音を作れる自在さがある。楽譜に書いてある音しか弾けない私とは違って、楽譜に書いてある音の向こうにあるものを見据えて鍵盤に向かえる人。

発足してまだ4年にしかならない、部員たった十数名のこの合唱団が、ダメ金とはいえ県下で金賞を取るまでになれたのは、西野先生の指導によるところが大きい。なのに、その先生が、産休と育休合わせて1年間、合唱部の指導から離れてしまうことに、部の存続も含めて父兄(クマじゃなくてリアル父兄)からも不安の声は上がった。

「必ず、私と同等、いえ、私以上に優秀な指導者を見つけてきますから」西野先生は父兄会で、いつものあの笑顔で言った。「私の方こそ、もう西野先生は帰ってこなくていいよって言われないように、子育てしながら研鑽続けて参りますので。」

不安がる父兄を上手に笑顔にして、祝福の拍手を受けていた西野先生。あんな大人になりたいなぁ。

「ワテみたいに、変な関西弁で喋り倒す日常生活から漫才みたいなオバハンになったらあかんでぇ。」

ならないよ。ていうか、そもそもマシューって、おばさんなの?おじさんなの?

「父兄クマは概念的存在やからな、男とか女とかいう概念の上位にあるねん。そやから、男といえば男やし女といえば女やなぁ。サヤちゃんが思ったところで存在が固定されるっちゅうか、シュレディンガーのクマっちゅうかなぁ。」

何言ってるのか全然分かんない。マシューは時々こういう訳の分からない事を言い出して私を煙に巻く。クマというより、不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫みたいだ。


文化祭のステージの前に、部室にいったん全員集合。柔軟と発声やって、西野先生が、最後に一通り、演奏曲の細かいポイントをチェックしていく。部室にある小さなエレピでも、西野先生が弾くと私よりずっといい音が出るから不思議だ。

「このメンバーで歌えるのは今日が本当に最後だね」西野先生が言った。「吉野さんが選んでくれた曲、どれも結構ピアノが印象的だから。先生も頑張るよ。みんな、私のピアノ耳に焼き付けて、周りの仲間の声耳に焼き付けて、ホールの天井超えて遠い空まで、みんなの声飛ばそう。」

「結構お客さん入ってるみたい」リハーサル会場の音楽室に移動する廊下の途中で、モエが言った。「校外から来てる人もいるみたいだよ。」

「県大会金賞団体の演奏なんだからなぁ」ミナミがボソッと呟く。

「来年はもっと大きな会場借りて、単独コンサートやりたいよね」カナが言う。

「来年は私達はいません」モエがキッパリ言う。

「私留年しようかなぁ」カナが言う。

「カナの成績ならアリだね。」

「今呟いたのは誰だ?本当のことをボソッと呟いたのは誰だ?」

「まずはもうちょっと部員増やすところからだよねぇ。」

「だからさ、部員減らさないためにも、やっぱり留年。」

「カナの成績ならできる!」

「おお、頑張るぜ!」

「あのぉ」下らないこと言ってはしゃいでたら、ミヤコが声をかけてきた。「ココ先輩とサナエ先輩が。」

「どうかした?」と見回してみる。あれ?「二人どこ行ったの?」

「いないんです。途中で姿見えなくなって。」

「ウソ!」カナが叫ぶ。「やばいじゃん、もうすぐうちらの出番でしょ!」

「まだ時間あるよ」ミナミが言う。「音楽室のピアノ付きリハだって三十分も時間取ってあるんだから。誰かさんみたいにバイクで会場ハシゴするようなアブナイ予定は立てません。」

「さすが調整担当、仕事できるなぁ。」

「任せんかい。」

「私探しに行くよ。当てがあるから」って、みんなに微笑んだ。「すぐ戻ってくるから、音楽室で先にアップしてて。」


「当てがあるって?」マシューがスカートのポケットのそばでゆらゆら揺れながら言う。

「二人の自主練場所だよ」私は答えながら、階段を駆け降りる。「どうでもいいけど、学校の中であんまり話しかけちゃダメだよ。」

「携帯電話は校内持ち込み禁止やんか」マシューが言う。「珍しく校内に入れて、ちょっとはしゃいどるクマの気持ちも分かって欲しいなぁ。」

「分かるけど黙ってて。」

「ところでどこ行くの?」

「体育用具倉庫」体育館に向かう渡り廊下を走った。「前に二人で練習してるの見たことがある。」

「サヤちゃんは後輩のことよう見とるなぁ」マシューが感心したように言った。


体育館の裏手に回ると、用具倉庫の中から、大きな声が聞こえた。当たり。ココの声だ。でも、本番前にあんな大声出したら、かえって喉によくない。気合が入りすぎて空回りするのがココの悪い癖だからなぁ。

「ココ、声つぶすよ」サナエの声がした。「そろそろ音楽室に行こう。直前リハ始まっちゃうよ。」

「足りない」ココの声がした。「私の声じゃ、全然足りない。」

倉庫の扉の脇にくっついた。中をうかがうと、跳び箱の間に、二人が見えた。

「そんなに急に大きな声出せるわけじゃないし」サナエが言った。「無理して声つぶしちゃったら元も子もないじゃん。」

「サナエは不安じゃないの?」ココが言った。

「不安に決まってるじゃん」サナエが言った。もう二人とも、泣き声ぶつけ合うみたいになってる。

「先輩が受け継いできたもの、私たちが落っことしちゃうかもしれない」ココは泣きながら、サナエにしがみついた。サナエも泣きながら、ココにしがみついてる。「みんな行っちゃうよ。西野先生も、カナちゃんも、サヤちゃんも、モエちゃんもミナミちゃんも、みんな行っちゃう。私たち残して、みんないなくなっちゃう。」

ああ。胸の空気が全部鉛になったみたいだ。あの時の私と一緒だ。机に突っ伏して泣いていた私。行ってしまう。私の大事な人が、私を残して行ってしまう。

誰か、この子たちの、この愛しい子たちの側にいてあげてくれないだろうか。私の代わりに。私はここを去らなければならない。この場に残ることはできない。この子たちの不安に寄り添うことも、孤独に寄り添うこともできない。誰か、私の代わりに、誰かが、この子たちの側にずっと寄り添って、ずっと支えてあげてくれないだろうか。この子たちが今の私のように、支え合う仲間の絆を信じられる日が来るまで。私はもう遠く離れた所から、あの子たちを見守るしかできないんだから。

目を思いっきり見開いて、空を見上げると、秋の空がまぶしくて、余計に涙がこぼれる。下を向いて、涙が地面に落ちるのに任せた。

「そんな所で、一人で泣いてちゃダメだよ」明るい声がした。目を開くと、少し低いところから見上げるようにして、輝くような明るい笑顔が私の顔を覗き込んでいる。知らない女の人。大学生くらいかな。無茶苦茶可愛い。

え、あの、とかなんとかごまかしながら涙拭いてたら、「泣く時はね」と、明るい声が続けた。なんだか胸の中にお日様差し込んだみたいな気分になる、綺麗な声。

「泣く時はね、なるべく誰かと泣くんだよ。一人で泣いちゃダメ。一人でいる時は、無理してでも笑わなきゃ。」

あれ?どっかで聞いたセリフだ。どこでだっけ?

「中に誰かいるんじゃない?」光の天使みたいな可愛い女性が笑顔のまま続けた。そうだった、音楽室に行かなきゃ。ミナミがイライラし始めちゃう。倉庫の中に向かって声かける。「ココ!サナエ!」

いたずらが見つかった子供みたいにしょげた二人が出てきた。目が真っ赤だし、サナエはまだしゃっくりあげてる。本当に、なんて可愛い子たち。

「なんで、ここにいるって、分かったんですか?」ココが言う。

「あんた達いつも見てれば分かるよ」笑顔でいう。「涙拭いて。音楽室行かなきゃ。」

「サヤちゃん先輩!」って叫ぶように言って、2人がしがみついてくる。その肩ギュッと抱きしめながら、はっきり強く、二人の心に届くように言う。「もう泣かないの。あんた達との最後の舞台、涙で終わるのは嫌だ。頑張れ。頑張って、笑って送り出してくれないと、一生恨むよ。」

二人の泣き笑い顔に笑顔向けて、振りかえると、そこには誰もいない。あれ?さっきの光の天使、どこ行ったんだろう。マシュー、見てなかったかな?

ポケットのスマホ探って、ギョッとする。取り出してみると、ストラップがない。マシュー、どこ行った?

「サヤちゃん先輩、どうかしました?」サナエが言う。

「私のスマホにつけてた、クマ知らない?マシュマロ色の?」

「クマ?」

「マシュマロ?」2人顔見合わせて言う。「ていうか、サヤちゃん先輩、スマホにストラップなんか、つけてましたっけ?」サナエが言う。

え?

「見たことないよね」ココも言う。

スマホ。ストラップ。

私、何つけてたっけ?何もつけてなかったっけ?

すぐそばに、私の手のひらの中に、すごく大切なものが、ついさっきまであった気がするのに。

なんだろう、思い出せない。

「サヤちゃん先輩こそ、泣いてないで、早く音楽室行きましょう」ココが私の手を引いた。


ほんまに、あんたら、親子やなぁ。

さっきのサヤちゃんのセリフ。あんたのお父さんのあの時のセリフにそっくりや。


オレはもう、この子のそばにいることができない。

ずっとそばにいてこの子の未来を見つめていたいのに、もうそれができない。

誰でもいい、誰か、オレの代わりに、この子のそばにいてやってくれないか。

ずっとそばにいて、この子を見守っていてやってくれないか。

オレにはもう見ることができない、この子の日々を、ずっと寄り添って、ずっと支えてあげてくれないか。

この子がいつか、支えてくれる手を離れて、誰かを支えられるようになるまで。

それだけこの子が強くなる日まで。


天に召されたあんたのお父さんの願いが、ワテに声をくれたんや。

サヤちゃん。

ワテはこれからサヤちゃん専属の概念から、より一般性を持った高次の概念存在に昇華する。

ワテは、サヤちゃんの側から消えるけど、でも、いつでも、サヤちゃんの側におる。

そやからサヤちゃんも、ずっと笑顔でおるんやで。

元気でな。頑張りや。

ほな、さいなら。


「今日は、ご来場ありがとうございました」モエがマイクを握って、客席にお辞儀をする。大きな拍手。学校の音楽ホールは満席で、壁際には立ち見のお客様もいる。みんな笑顔だ。

「私たち中三にとって、今日の文化祭のステージが、最後のステージになります。この12人で歌えるのも今日が最後。そして、今まで私たちを指導してくださった西野先生も、赤ちゃんを産むために、今日からしばらくお休みされます。」

へぇ、というような声と、拍手があがる。西野先生が照れ臭そうに微笑みながら、客席に向かってお辞儀した。

「中二や中一の部員にとっては、今日は、不安いっぱいの門出の日です。でも、私たちも、私たちの先輩方も、みんな、そんな不安の日から、一年間かけて、色んな宝物を見つけ、育ててきました。仲間の絆。先輩の愛情。家族の支え。そして、今日お集まりいただいたお客様の温かい拍手や眼差しのおかげで、私たちは、不安を自信にかえることができました。そして、今日、強くなった仲間の絆を信じて、旅立っていきます。」

モエの力強い言葉。右手があったかくなった、と思ったら、サキナが手を握ってきている。中一の中でも飛びぬけてちっこい、でも元気でパワーのある声のサキナ。サキナの向こうで、やっぱり手を握っているのは、ユナだな。しっかりもので、譜読みが早くて、ピッチも正確なユナ。二人とも、きっと合唱部の次の柱になる。

声量と安定感が半端ないミナコ。音楽の知識量と音感が図抜けているネム。恵まれた体格でしっかり高音を支える発声を身に着けたクルミ。ぬくもりのある低音でみんなを支えられるミサキ。全体を包み込む豊かな倍音を持っているココ。誰よりも伸びる高音域が武器のサナエ。

「私たちが旅立ったあとの、秋桜学園合唱部を、ずっと、温かく見守ってあげてください。これから始まる後輩たちの日々には、悲しいことも嬉しいこともあるでしょう。でも、そんな毎日の積み重ねが、きっと、みんなの絆を強くする。私たち中三は、それを信じています。」

あなたたちは大丈夫。お互いの声の絆を結ぶんだ。そしたらあなたたちの声は、きっとあなたたちを空の高みへ運んでいく大きな翼になるだろう。

「この12人で歌う、最後の曲です。聞いてください。なかにしあかね作曲、星野富弘作詞、『今日もひとつ』。ピアノ西野由美先生でお送りします。」

ピアノの前で、西野先生が深々とお辞儀をする。モエが戻ってきて、私と手をつなぐ。ピアノの前に座った西野先生が、こちらに笑顔を向けた。一人一人としっかり目を合わせて、そして鍵盤に身体全体をゆだねる。深い深い響きの和音が、会場全体を包み込む。



きょうも ひとつ 悲しいことがあった

きょうも また ひとつ 嬉しいことがあった


笑ったり 泣いたり 

望んだり 諦めたり

憎んだり 愛したり


そして これらの ひとつひとつを やわらかく 包んでくれた

数えきれないほど たくさんの 平凡なことが あった


きょうも また ひとつ 悲しいことがあった

きょうも また ひとつ 嬉しいことがあった


笑ったり 諦めたり 愛したり

今日も ひとつ また一つ ひとつ



部室に戻ったら、ミナミが一人、扉の外に立ってた。「どうしたの?」

「サヤこそ、どうしたの?」ミナミが逆に聞いてきた。

「なんか忘れ物した気がするんだけど」私は言った。「それが何なのか、どうしても思い出せなくて。」

「若年性アルツハイマーですかね」

「そうかも」私はブスッと答える。「で、ミナミは何してる?」

「部室の中が涙ナミダの阿鼻叫喚なわけですよ」ミナミがボソッと言う。「私はそういうのが苦手なのですよ。なのでいたたまれなくて出てきちゃったのです。できればいつもおちゃらけていたいのですよ。」

「分かるわぁ。そういうの。」

「吉野さん、有沢さん」西野先生の声だ。「みんな部室にいる?」

「いますよ」ミナミが言う。

「じゃ、全員に、私の後任者連れていくから、そのまま待っててって伝えてくれる?」

「はい!」二人同時に叫んだ。おお、ついに。ミナミが部室の扉開ける。「みんな、もういい加減泣き止みなさい!」

あの一番でっかい泣き声はカナだな。私も部室の中に入る。なんだかもう、この部室、懐かしくって、一歩中に入っただけで私も泣きそうだ。

「西野先生が、後任の先生連れてくるって」

みんな、急に緊張感あふれる顔になる。

「じゃあ、カナ、後任の先生のご挨拶終わったら、お待ちかねの、新役職通知やりますか」モエが言う。

「やめてくださいよ、そんな衝撃重なったら、私のガラスの腎臓が壊れてしまいますよ」ココが言う。

「多分ガラスの心臓って言いたいんだと思います」ユナが言う。

「どうせすぐ分かることなんだから、早い方がいいでしょ」モエが言う。

「さすが、ドS」ミサキが呟く。

「みんな、集まってますか?」入り口に西野先生が立って、声をかけた。

全員起立して、整列した。「全員います」カナが言う。

「では、私の後任の先生を紹介するね。今日の舞台を見に来てくれたの。時任先生。」

大柄な西野先生の後ろから、ひょいっと、お日様みたいな笑顔がのぞいた。あ。

あの時の。光の天使。お日様みたいな明るい声の。

「時任綾乃です」ペコリってお辞儀する。思わず誰かが、「かわいい」って呟いて、みんなきゃーって声を上げた。

「時任先生は、この学校の卒業生なの。大学は、私の後輩。」

「さっきの舞台、素敵でした」時任先生が笑顔で言った。「西野先生と、みんなで作り上げた声の絆、私も、しっかり支えていきたいと思います。いっぱい不安なことあるだろうし、私も勿論、不安です。でも、一人で抱える不安は、すぐに、孤独や恐怖に変わってしまうけど、みんなで抱える不安は、きっと勇気や希望に変わっていくから。みんなで、乗り越えていこう。」

「みんな、私より若くて可愛い先生が来たからって、私のこと忘れないんだよ!」西野先生が言って、みんなどっと笑う。「さて」とカナが言った。

「では、来年度の新役職、発表します!」

げぇって素っ頓狂な声を上げたミサキのポケットに、白い小さなクマがぶら下がっているのが見えた。あれ、ミサキ、スマホにあんなストラップつけてたっけ?

「では、まず、新部長の指名からです。いいですか!」

今日で私たちの秋桜学園合唱部は終わる。そして、今日から、新しい秋桜学園合唱部が始まるんだ。愛しい愛しい子たち、私はずっと、遠くからみんなを見守っているからね。

ほな、さいなら。小さな声で呟いた。


(了)


最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、本当に嬉しいです。ありがとうございました。

これで、さくら学院の現在の中三、いわゆる仲さんの4人を主人公にした物語はおしまいです。もし、他のお話も合わせて読んでいただけたら、すごく嬉しいです。

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