もっとゆっくりお願いします
安室透の彼女になりました。
平成が終わる前に彼氏が一度でも出来たので良かったです。
次に投稿する時から令和なのかぁ……。
平成の天皇様、お疲れ様でした。
***
【轢き逃げにあったんだって!?】
【大丈夫!?】
【隣に座ってる人、格好良いねぇ!!】
目の前の、学校用筆談ノートに個性様々な文字が書き込まれて行く。ガシャは取り囲まれる安八牧とノートを覗き見て、自分を褒める文もある事に内心微笑んだ。渦中の牧は心配掛けてごめんね、大丈夫、と狼狽えながら声を掛けている。そうでもしないと返答が出来ない。ノートに書かれた質問やリアクションが多過ぎて、牧の筆記ペースでは対応するのが間に合わないのだ。
「はいはい、安八さんについても話すからホームルーム、さっさと始めるよー。日直号令、はよ、はよ!」
起立の号令に、ワンテンポ遅れて反応する牧。礼と着席も、どうしても遅れる。仕方の無い事だ。
何せ耳が聴こえない。
「そんなこんなで、一昨日の夜に自宅付近で轢き逃げにあった安八牧さんは! そのまま病院でも無く自宅で昨日一日療養してましたと。だから漸く、昼から病院に行って診断書を貰ってくるそうです。そして皆さんお分かりの通り、安八さんはなんと耳が聴こえなくなっています! 一過性の物かもしれませんが、一過性だろうと何だろうと今は聴こえません! ここまでおk?」
「おkも何も普通に分かるよ先生、それぐらい!」
野次を楽しく受ける、担任であるらしい女性教諭はジャージが似合い、ガタイも良くハキハキとした話口調だ。胸にホイッスルも掛かっているあたり、体育の教諭だと、ガシャは本人から聞いていた。
「はい、そしてそんな訳なので~~~~?」
打ち合わせの通りにクイクイと手招きをされて、ガシャは牧の隣に配置した椅子から立ち教壇に昇る。慣れないチョークながらもなるべく丁寧に名前を書き、総勢37名(3名欠席)の生徒に向き直った。大勢の人間から怯えでは無い視線が一身に集まるのは、ガシャにとって初めての経験だった。けれど緊張しても居られない、ごく自然に微笑んで自己紹介を始める。
「関ヶ原餓者と言います。
どうぞ気軽に、ガシャと呼んで下さい。苗字の方でも言いけど、長い分面倒だと思います。」
「関ヶ原って、関ヶ原の戦い?」
「あの辺の出身だから関ヶ原って苗字なのかも。」
「餓える者って字面ヤベぇかっけぇ!」
「中二かよお前。」
「高二ですけど何かぁ?」
「ガシャってガシャポンみたい。」
牧がそのざわついた雰囲気にクスリと笑ったのをガシャは見た。おぞましいガシャの正体と名前の由来を知っているからこそかもしれない。ガシャは決して、定価100円からの玩具商品に収まる存在では無い。
ガシャは、妖怪がしゃどくろであるからガシャと名乗っているのだ。
「えっと、僕は安八牧さんの補助教員、耳の代わりという形で此処に居ます。でも、此処に居る皆さんとも仲良くなれたらなと思ってるので、どうぞ宜しくね。」
はーいと返ってくる声。壇上から降りて牧の隣、通路に置かれている椅子に座り直す。結果として通路を塞いでしまっているが仕方の無い事であるし、椅子については牧の後ろの席。欠席者の物を借りているので誰も文句を言わなかった。
その欠席者は、ガシャの腹の中に居る。二度と、当人が座る事は有り得ない。
「…………まだ、誰も気付いていないのか。」
視線を後ろに遣りながらポツリと零した言葉は、聴こえなくとも牧には伝わっていた。筆談ノートに書けば他のクラスメイトの目に触れてしまうかもしれない。牧はガシャに机の下で手のひらを出させると、指で文字を記した。
【みんなのことはたべないで】
書き終えた牧は、じっと責める様に座高の高いガシャを見上げる。
【もちろん】
そう返し、頷いたガシャ。牧は不審そうに睨んでから、視線を戻して黒板の文字を追い始めた。あの元気いっぱいの女教師が、連絡事項を黒板に書いて行く。
「…………それにしても、奇抜な学校だなぁ。僕の見た目に関しての指摘が無いのは有難いけれど……。自由度が高いにしても、髪にメッシュを入れてピアスまみれの顔って、女性で、しかも担任としてどうなんだろうか? そしてどうしてジャージが似合う? さっぱり訳が分からない……。」
白髪ロン毛喪服緑眼キャラのガシャはつくづく思った。
現代の学校は進んでいる。
***
【元気になれそう】というタイトルの、背表紙で判断出来るそれは間違い無く絵本。仰々しい表題が並ぶ本棚から、そこに居るのが相応しく無い様に見える絵本を下呂は抜き取った。表紙では何処かで見た事のある、赤いリボンに黒服の魔女が不貞腐れた顔をしている。
「やや、そこに居るのは輪之内下呂君? こんな所で、しかも可愛らしい幼女の描かれた絵本を持って、何に使うのやら?」
「……途轍も無く誤解を招きそうな言い方をするなよ久慈ちゃん……。俺は奥の方の本棚に用事があって、そしたらたまたま間違った場所に、絵本が刺さってるのを見付けただけだって!」
「へぇ、こんな朝早くから本の整理って事? その見た目で?」
「人を見た目で判断すると損するって知ってる? 例えば、俺みたいな奴に珈琲奢って貰えなくなったりするんだけど。」
金髪ポニテ褐色肌の赤眼19歳男児、輪之内下呂は大学の図書館に居た。時刻は午前七時過ぎ。如何にも不良という見た目の男が、朝早くから図書館に居るというのは中々に似合わない。
「わーい珈琲奢ってくれるんだー。」
「但しMAX珈琲一択。」
「まさかのカフェオレより甘いと名高いアレしか選択肢が無いの?」
「コーラとほぼ同じ糖分料だ、頭が冴えるぞ。」
「奢ってくれるんなら飲みますよ飲みますともさ、珈琲牛乳と思えば普通だし。でもさ? 人には好みというのがあってだね?」
「何、もしかして奥深くに眠るスタバ民魂か何かが、珈琲について面倒臭く論じようとしてる?」
「そのつもりは無いかな。テレビのJKみたいにカスタムとかする気無いし。カフェマキアートが好きなんだよって言いたいだけ。知ってたんじゃなかった?」
「名前が無駄にオシャレだよなあれ。」
白いハードカバーの絵本は薄くつるつると蛍光灯を反射する。雨で陽の光は遮られているこの日、しかも朝。それは少し眩しく見えた。
「おお、幼女の絵本かと思ってたけど、魔女の絵本だった。【元気になれそう】、ねぇ。」
「……軒並み精神学の本しかないこの棚で、これ一冊だけ刺さっていた事に読者の闇を感じる。」
「どうやら元気になりたかったらしいね。」
「その言い方だとまるで、どっかの誰かが今でも元気になれていないみたいだから止めろ? 悲しくなるだろ。」
「図書館に来てた時点でお察しさ。本を読んで元気になれる奴は稀だよ。それに、図書館は陰キャの来る所だし。」
「偏見が酷いな!?」
阿寺久慈は本棚をキョロキョロと探す下呂の手から絵本を奪い取り、慣れた手つきで挿入した。そこは正しく絵本の本棚、作者の名前があいうえお順で並んでいる。それを乱す事無く、正しい場所に絵本を戻したらしい。
「本を読むって、本の世界に入る事だと思うんだよ。それも一人で。対して陽キャは、現実世界で皆で笑ってる存在。それに疲れたりしたら本の一つや二つ読んで一人の時間を作るのかもしれないけどさ、わざわざ図書館に足を向けるなんて滅多な事が無い限りはしない。」
「……へぇ? じゃあ久慈ちゃん。そんな陽キャな久慈ちゃんと今日、こんな所で会えたのは…………。」
「ん? いや疲れては無いさ。ただ、疲れてないのが問題でね。」
「?」
図書館は、この二人を他に無人だった。常駐の司書の職員より速く来てしまった下呂は、大学の管理人に話を付けて図書館の鍵を開けたのだ。元より速く来過ぎた生徒が講義室の鍵を開ける等は良く有る話、鍵を借りる時に学生証の提示と記名をすれば鍵は問題無く渡される。
「本を読む行為を世界に入るって言ったけど、まぁつまり、それは楽しむ為の行動だよ。現実世界でワイワイするのも一人で本を読むのも、どっちも楽しむ為。でも本の使い方は、楽しむ為以外にもあるって話。
アンタもそうなんじゃないのかな? 陽キャに被れた格好の、輪之内下呂君? 」
二人は歩いた。元の本棚まで戻った。
つまり医療系、それも精神に纏わる本が羅列した本棚の前だ。
医療系の大学では無いので大量ではないがジャンルの数、様々の内容に富んでいる。どの本も1cm以上の厚みをしている。興味の無い物で無ければ、読むには骨が折れそうなラインナップ。下呂の様な見た目の男がこれらの本に目的があると言われると、枕にするという使用用途であれば万人が納得するだろうか。
「で、どの本に御用事? どうせ来てみたは良いけど、どれがいいのか分からないんじゃないかな?」
「本は陰キャが読む物だっていった、陽キャの久慈ちゃんに分かるもんなのか?」
「あまり見縊るなよ陽キャ被れめ。本を楽しむ物だと思ってるのが陰キャなら、本を使うのが陽キャなんだから。愛玩物と道具なんだから。手に取った数量が違うでしょうが。狭く深くか広く浅く。分かり易い違いだと思うけど。」
久慈は本が特別好きでは無い。ただ、つるんでいる友人が勉強をしようとする時に、その開催場所を図書館にするのだ。図書館に居るからには、勉強か読書かしなければならない。図書館での人権は、本を黙って持つ事で保証される。そうして久慈は適当な本を見繕っては流し見を行い、広く浅く蔵書の知識を持っていた。
「何だってんだよ、やたら親切だな。」
「珈琲奢ってもらうだけの手伝いぐらいはするさ。」
「あ、奢られる気満々なんだな。」
「まさか冗談のつもりだった?」
「いやいや奢らせて頂きますから、教えてくれ。」
「うむうむ良きに計らえ。それで精神学の本なんて使いたがった理由が欲しいんだけれど、何が知りたいんだい?」
「えーと……笑わねぇか?」
「笑う? 内容にもよるけど。」
「多重人格。多重人格について知りたい。」
「あぁ、そういう……厨二病でも患ったのかな? でもそれはそれ、別に笑わない。理由も聞かない。そしてお求めの物はコチラかな。」
あっという間に、下呂の手の中に関連本が積み上がる。両手が塞がった所で久慈は機嫌が良さそうに笑って、下呂のズボンのポケットをまさぐった。
「ちょ、おい!」
「どうかした? ちなみにこれは善意でやってあげてるんだけれど。珈琲、奢ってくれるんじゃなかったのかい?」
「だからって珈琲代だけ抜き取ろうとするなって、」
「もう私と二人で居たくは無いだろう? 因みに私は悪くないよ。ずっと気不味そうな輪之内下呂君、アンタが悪い。代金だけ頂戴して、勝手に飲むとするさ。」
小銭を鳴らしてポケットに、残った財布をそのまま積み重なった本の上に。そして久慈は本来の目的であっただろう自分の使いたい本を違う棚から選び取り、下呂を残して颯爽と去って行った。
「おーい下呂、」
「っふぁああはああああ疲れたあああああ!」
「……図書館に入る前に女とすれ違ったけど、何かあったのか? お前。」
「あぁ兄貴、気にしなくていい……。それより今はほら、これ半分持ってくれ。何かのヒントになるかもしれねぇから。」
「それは良いが……あ、元カノか?」
その言葉にギクリと肩を跳ねさせてしまった下呂。それに気付かれ、おや?という兄からの数奇の目に詮索される。下呂は苦虫を噛み潰した様な顔をして引き攣り笑い、どもった声で苦言を呈した。
「…………訊かないでくれ兄貴……。久慈……アイツとは、そんなに、仲が良かった訳じゃねえから……。」
「……へー。」
弟の恋愛経験値が、俺よりも進んでいる。
産まれて此方、彼女が出来た事の無い兄は思った。
***
「お、やっほー久慈。図書館以外で読書するなんて知らなかった。何読んでんの?」
「やっほー。ちょっとね。」
「一昨日ぶりやな久慈! 昨日来んかったけど何かあったん?」
「いや、特に何も無かったけど。」
「サボりやったん? そら珍しい話やなぁ!」
「おはよ、富加。」
「……おはよう。」
一限目の講義の席、普段から定位置としている場所に先んじて座って待っていた久慈。坂祝富加含む三人はその姿を見つけ、席に座った。
「【よい睡眠とは】……? 何でそんなの読んでんの? 寝不足の顔には見えないけど。」
「寝不足では無い。そもそもショートスリーパーで三か四時間ぐらいしか寝ないけど、それで問題無かったし。」
「あ、例の家庭教師しとるガキが夜にゲームばっかしてて、昼間に寝てまうとか!?」
「悪いけどアンタの予想は哀れなぐらいに違う。もっと果てしなく的外れなんだよね、この本を必要としなければいけない理由が。もっと想像力使って?」
「ひぇえ久慈がいつにも増して辛辣や!」
「糖分で頭が冴えててね、今。斬れ味抜群だから下手に触れたら怪我するよ?」
どうにも上機嫌に笑う久慈を、富加は不思議そうに眺めていた。始業前数分ともなると室内は準備でざわつく。筆記用具を出す者、前回までの教科書を開く者、パソコンのメモを立ち上げる者、寝る準備を万端にする者。ボイスレコーダーを使おうとする者も見られる。
「昨日サボって何してたん?」
「何も。」
「何も?」
「多分、ずっと寝てた。」
「今ショートスリーパーや言うてたやん?」
「だから問題視してる。」
「……別にショートスリーパーでも、偶には一日中寝て過ごす日があっても良いんじゃない?」
「ところがそういう次元の話じゃ無いんだよ、聴いてくれるかい。」
人が増える、増える。ギリギリで滑り込む者達が、慌てた様子で空席に押し掛ける。
「問題視する、次元の違う話と言っている訳だけれども。無いんだよ、記憶が。丸々一日分、ごっそりと。」
「…………ん?」
「一昨日の夜に寝たとしよう。すると、目が覚めたら今日になっていた。これを可笑しいと思わなくてどうしろって話。」
「ずっと寝てたって、寝っ転がって過ごしてたって意味と違うん?」
「違う。文字通り、睡眠していた。」
「……それは、つまり。どういう事?」
その話を聴いて、疑問に思わない富加では無かった。それは久慈にも分かっていた。
「そう、変なんだよね。私と富加のトーク画面には確かに、スタンプでやりとりした跡があるのにも関わらず。私はそれを送った記憶も一切無いし、その他の記憶も無い。ただ一日分の時間が消えていて、疲れすら覚えないスッキリした目覚めを経験した。」
置いてけぼりを喰らった気分だ、昨日の授業で何か重要な知らせはあったか? そう尋ねる久慈は困惑しながらも現実を受け入れ、適応しようとしている。
「……本当に、何も無かった?」
「無いね。あったのかもしれないけど、何も覚えちゃいない。つまりそれは、何も無かったに等しい。」
「本当の、本当に?」
「無い。」
「…………不思議だね。」
一限目の講義を担当する教授が前に立った。始業だ。あちこちからシャープペンシルのノック音が聞こえてくる。外は生憎の雨模様のまま、しとしとと雨粒が窓を濡らす。
ぱしゃ、と水の跳ねる音がする。富加は景色の歪んだ窓の外、傘を差して歩く誰かを見付けた。二限目から授業を受ける生徒だろうか。
「……あ、違う。」
「富加、どした?」
「…………あの時のセーラー服の……今度はこの学校に何の用事だろう。」
「わぁあの子、一昨日のお下げセーラー眼鏡ちゃんや! この学校の人の住所やったんかな、行きたかった所。」
「あ、誰か出てきた……って、あれ!? 噂の輪之内のお兄さん!?」
「えっえっ、まじで? どんな展開?」
「待って聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするけど、輪之内のお兄さんって?」
「あ、せやな久慈は昨日居らんかったから。あんな、輪之内のお兄さんが茜部教授ん所の助手になってな!?」
「今日は茜部教授、午後からしか講義無いのに助手のあの人だけ来てるのか。」
「こらそこ! 騒ぎ過ぎよ静かにしなさい!!」
「許して下さいよ教授。昨日一日居なかっただけで、授業進み過ぎで分かんないんです私は。」
「他の! 三人は! 違うでしょう!?」
結局、女子達の話題は授業そっちのけで密やかに続いた。一限目の教授はそれを知ってか不機嫌そうにしている。何処かの席で金髪のポニーテールを揺らす褐色肌の男が、申し訳無さそうにしていたのを富加は見ていた。
馬子にも衣装とはこの事か。その机の上には彼が読みそうに見えない分厚い本が開かれていて、まるで彼が勉強熱心な様に見られた。
***
■■■■■の朝は遅い。
時計の短針が午前九時を過ぎ、暫くしてから目を覚ました■■■■■。ふわぁと大きな欠伸を上げて、まだ眠そうに目を擦る。
目を、擦る事が出来た。
「………………?」
擦。
音読みを(サツ)。訓読みは(す)。常用漢字以外に(こする)(さする)(かする)(なする)といった動詞に用いられる、十七画の漢字。内の三画を費やす部首、それは手偏であり、この漢字を必要のする動詞が主に手を用いる動作である事から、手偏が用いられている。手の動作を必要とする漢字には、手偏が用いられている事が殆どである。
「…………えっ。」
朝に目が覚め、目を擦る。それは自然な行動である。意図せず、思わずして擦る事もある。それは最早反射的、かつ原始的な行動に近い。
しかし、そんな行動が出来ない場合がある。
例えば、両手が拘束されていたりしている者は、目を擦るなんて所作は行えない筈なのだ。
「……う、ぁ。」
■■■■■は頭を抱えた。拘束の外れた自由な両手で、頭を抱えた。
「い……やだ、嫌だ、嫌だ!」
どれだけ暴れても外れなかった拘束を、自分の敵が、自分を乗っ取って抜け出したという証拠が、目の前にある。拒絶と理解不能により■■■■■は恐怖で慄いた。
「誰か、誰か居ませんか!? あの、私、拘束が外れてるんです! 良いんですか、自由になっちゃってますよ!?」
叫びはしたが、家主である不破はもう家を留守にしていた。義弟である下呂も、謎の来訪者である妻籠馬籠も、■■■■■が拘束されたままだと思って誰も家に居なかった。
「…………どう、すれば? 不破さんの所に行って縛って貰う? でも、ボクが家の外に出たりしたら『オレ』が縄抜けしたって、信じて貰えないかも……。ボクがボクのまま、縄抜けしたと思われる。」
拘束が外れた■■■■■が、不破の目の前に表れたら。それは当然、■■■■■が拘束を外した物と思われる。そうではないと主張するのであれば、拘束が外れた状態で、自分には逃走の意思が無い事を示すべきだと、そう■■■■■は考えた。それが望ましい、と。
だが、■■■■■は如何せん脆かった。
「が、ガムテープ! そうだガムテープでぐるぐる巻きになってみよう! そうすれば、もしボクがまた『オレ』に乗っ取られたとしても、抑え込めるかも……!」
一人が怖い。
自分が怖い。
自分の知らない自分が怖い。
誰かに傍に居て欲しい。
誰も居ないからこの家から飛び出したい。
■■■■■は泣きそうだった。たった一人で、未知なる己との戦いを強いられた事。それが嫌で不和の元に訪れたというのに、又もそれを経験する場を得てしまった■■■■■。現状打破、それさえ出来るのなら様々な事がどうでも良くなっていた。
「ま、まずは長く切ったガムテープを床にいっぱい敷き詰めてみたけど……あとはこの上をボクが転がれば! ボクには解けない拘束になる! ボクが解けない拘束にする事、これが一番大事だよ、うん!」
その発想は間違いなく奇行である。髪がガムテープに粘着したら発生するであろう痛み、服がベトベトになる可能性、後始末について何も考慮していなかった。出来ていなかったし出来なかった。
そんな■■■■■を落ち着かせるには、他の現状打破を。
救いの手が無ければならないという時に。
ピンポーン。
「ひぇっ!?」
『……どーもぉ、不破君。引越し蕎麦を買ってきたんだけど、居るかい? カップ麺だけどね。実は昨晩買って来た物だったんだけれどもう夜だったし、押し掛けるのは失礼かと思ったんだ。』
インターホンに備え付けられたカメラに映ったのは、優しげな男の顔。
そうだ、あの人に頼もう。
■■■■■は、状況変化という救いの手に迷いなく手を伸ばした。
「お、開いた。……って君は、すまないけど何方かな? それとも私が間違っちゃったのかな、部屋番号。」
「間違って、いません、ここは確かに、垂井不破の家です。」
「ああ、それなら良かった。彼は?」
「大学です。仕事で。」
「えぇ嘘、本当に? 可笑しいな、今日は午後からしか授業はありませんと、伝えた筈……?」
「…………今、貴方にお時間はありますか?」
「へ? ええまぁ、暇ですけど。」
「じゃあこれ、持っても貰って良いですか?」
「あ、はい。」
「そして、巻いて貰っても良いですか?」
「……ガムテープを?」
「ガムテープを。」
「何にですか?」
「ボクにです。」
「…………何故?」
「不破さんに疑われない為です。なので、お願いします。」
「え。」
「お願い、します!!」
「………………ええ???」
茜部志倉は呆然とした。
教え子が進み過ぎている。
ぎぶみーれすぽんす。