怖くないのがいいんです
いえーい4話投稿。リアル忙し過ぎ案件。
食べ物を恵んでください。
***
【君達は二度死ねる。】
【人間の死について、肉体の死と記憶の死があると言うのは知ってるかい?】
【心臓が止まる死。そして、人から忘れ去られる死。】
【しかし僕の様な存在は、第二の死しかない んだ。】
【一度しか死ねない。】
【忘れ去られたら死んでしまう。】
【それが、妖怪という物なんだ。】
蓋の付いた手頃なボトルに卵を割り入れる。古い卵ではいけない。
砂糖と、有るのならバニラエッセンスも入れる。
氷を一つ二つ入れて、牛乳を注ぐ。この時ボトルいっぱいに注ぐと混ざらなくなるので欲張らず、空間を残す。
蓋をしっかりと閉めたら、あとはひたすら振る。
中身を注いだコップを片手にノックを三つ、ガシャが開けた扉の先。ノートを片手にベッドに横たわる少女が、ガシャの事を酷く驚いた顔で凝視していた。
何か間違っただろうか、ノックはした筈だ。
しかしガシャはすぐさま原因に思い至り、掠れた笑いを零した。
「お互い、慣れないとね。ノック音に意味が無いって事に。」
「……それ、なに ……ぃッ、」
「あぁ、動かないでね。少し身を攀じっても痛いんだろう?」
牧は仰向けになって何とか読んでいたノートを傍らに置いた。牧には目の前の男、ガシャが、何を言っているか分からない。
「ーー、ーーーーーー。ーーーーーーーーーーーーーーー?」
けれど心配そうな眼をして手を突き出されたので、それを『動くな』だと解釈した。自分の状態と、嫌に優しい相手の行動から受け取れるのは、その程度だ。
【作って来たけど飲めるかな?】
ノートに増えた言葉が、牧の家に無い物の所在を訊く。牧がゆるりと首を縦に振れば、ガシャは今日の内に文字を埋めたページを探して捲り、ある一文を見付けるとそれを指差した。
【身体を起こします】
「……っいっ、痛い痛い痛ぃ!」
「ごめんね、でも寝たままじゃ飲めないから……。」
ガシャが牧の背中に手を当て、身体をズラす。壁に背を預けられる様に。
「ーーーー、ーーーーーーーーーーーーーー……。」
「ッ、もう、分かってますから。仕方ない事だって、分かってますので。そういう申し訳無さそうな顔はしないで下さい。」
牧は言いたい事を言う。正しく伝わっているかは分からない。
だって自分の声が聴こえない。
バンッ、
「「まきィいいいいーーーー!?」」
自室に殴り込んで来た父と母の声すらも……と言いたい所だが、否。
「「ーーーーーーーーーーー!?」」
「…………お父さん、お母さん。大丈夫だから……ガシャさんの事あんまり困らせないでよ。」
これに関しては、聞こえなくても大体分かってしまう。牧は少し呆れて返した。
「いや安静の為にと言われてもなぁ!」
「気になっちゃうに決まってるじゃない! 気にするなって方が無茶無茶!!」
「何言ってるか分からないけど分かるから落ち着いて二人共。」
「牧さんの体制を変えただけですが……ご心配をお掛けした様ですみません。」
牧の両親は世間的には所謂、モンペに該当する。けれどその人柄はとても良い。この二つが両立するのはこの世の奇妙だと、ガシャの為にノートを綴ったのは牧だ。
【私のする事を束縛したりしない自由主義】
【いい事をしたら褒めてくれるしダメな事をしたら叱ってくれる】
【ただ、理不尽な何かで私に影響があると、人に迷惑を掛けてしまう】
昨晩、怪我と精神的ショックで身動きの取れなかった牧に襲い掛かったのは容赦の無いバイブレーション。それはあの暴力の中で無事だったらしいポケットの中のスマホが、母によるスタ爆と父による鬼電を知らせていた。僅かな体力で手に取られたスマホを奪い、その着信を受けたのは他でも無いガシャだった。
『貴方がこのスマホの持ち主であるお嬢さんの、お父様ですか? 彼女は今、怪我を負って公園に居ます。そしてこれは怪我のせいでは無いのですが、耳が聴こえていないらしく……。
ですので代わりに電話に出させて頂きました。彼女の難聴についての責任は僕にあります。事情は洗いざらいお教えします。ですのでお願いします、彼女を迎えに来て下さい。』
昨晩の牧の記憶はガシャが電話に出たあたりで途切れている。どんな応答があったかは定かでは無いが、目が覚めれば自室の天井。身を起こそうとして痛みで呻き、腹の上に置いてあったノートに気が付いた。
【牧さん、昨日は驚かせてごめんね。僕はがしゃどくろのガシャと言います。】
教科書の様に丁寧な文字、謝罪と自己紹介から始まった、後に筆談用になるノート。今迄の事が夢ではなかった。牧はそれを、聴こえない世界も含めて痛感した。
「ーーーーーーーー!」
「ーーーーーーーーーー!!」
「ーーーー、ーーーーーー。」
また何か言い合ってる。申し訳無いな。
音のない喧騒を宛ら無音映画の様に眺めながら牧は運ばれて来た飲み物に口を付けた。甘く、冷たくて心地が良い。ゆるりと喉の奥に滑り込むミルクセーキ。
「……………………おいしい。」
夢では無いと分かっているのに、夢の中に居る心地。目の前の事が全てで外聞なんて文字通り無い真綿包みの優しい世界に、牧は一人で座っている。
「ーーーーーー、ーー。」
この人……人じゃないけど、何で私の家にずっと居るんだろう。
牧は聞いていた言葉を思い出す。まだ、聴こえなくなる直前の論争を。
『必要以上の残業なんて。誰が望んでするかって話だよ。』
残業は嫌だって。仕事。仕事してたんだ。
じゃあ、私の家に居るのは、何で?
お父さんとお母さんも、どうしてガシャさんを家に上げたんだろう?
どんな会話や取引があったのか、牧は知らない。知らないからこそ不安が募る。窒息しない程度に息が詰まる思いだ。
どうして。
人を殺せる存在に、介抱されているんだろう。
人に忘れられたら死ぬから?
あんなの忘れられる訳、無いのに。
***
ボク達は、神出鬼没ではありません。
明確な縛りがあります。
人が、居なければいけない。
人の営みが、在らなければならない。
だから、オワコンっていう事実は致命的で。
幽霊は何故存在するのか。
それは、幽霊は居ると人が言うから。
とある廃病院に幽霊が居たとしても。
廃病院に厳重過ぎるロックが掛かっていて、不埒者が侵入出来ないのなら。
誰も、その廃病院に幽霊が居ると気付かない。
誰も知らない。
だから、居る必要が無い。
昔はそれでも良かったんです。
誰も来ない場所で誰かを待つのでも。
でも今となってはそれが無理で。
だって幽霊の実在を信じる人が少ないから。
存在出来す、待つ事も不可能。
ボクの様な者達は、人が居る時に存在するモノへと変わったんです。
廃病院に不埒者が忍び込んで、幽霊が居そうだと思った瞬間に幽霊と成る。
後出しジャンケンです、省エネです、赤外線式感知センサです。
何それって、あれですよ、人が来たらライトが灯くとかいった、文明の利器です。
名前すら知らずに使っているライトそのものにも、ボク達みたいな存在は追いやられてしまいました。
だって、夜道が怖いと思いますか?
思わないでしょう、そうでしょう、昔は違ったんです。
ボクの様な存在を避ける為に、人間の首をぶら下げて歩く程だったのに。
軌道修正します、懐古厨は良くない。
ボク達は存在する物なのか。
その質問は、居ると思うのなら居る。
それが答えです。
「…………まぁ、居るって事でいいんだな? それじゃ。」
「はい、問題無いと思われます、よ?」
「何でそこで不安そうにするんだ。」
「いやぁ……。」
どうやら素直そうだ。
不破は眉を顰めてこの情報を頭の中で検算する。■■■■■の言った事に嘘は混じっていないという事を前提に。不破にとって目の前の存在は『嘘を吐けない生き物』と既にやりとりの中で定義されているのもあり、不破は■■■■■が何も変わった事は言っていないと結論付けた。
「分かった。それじゃあ次の質問。」
「え、あの、良いんですか?」
「ん? 何が。」
「だって殆ど、普通の事しか言ってないです……。」
「なんだ、その自覚はあるのな。うん、普通過ぎて冷静になる程度には普通だった。」
「で、ですよねぇ。あなたはそういう人ですよねぇ。」
「?」
えへへと笑う■■■■■の声に不破は首を傾げる。会ってそれ程経っていないにも関わらず、知った様な気をされている事。不思議に思いこそすれ、けれど何故だか嫌な気にはならない。
「すみません、変に話を切ってしまいました。次は、なんですか?」
「…………ああ。いや。お前、俺に電話を掛けてきた時は『わたし』だったろ? けど今は『ボク』。何でだ? キャラか?」
「まぁそうですね、キャラみたいなものですけど……。
実はボク、それについてあなたにお話が。」
「え?」
何の話だろうか、不破を未だ知らぬ内容に心踊らせる。しかしそんな会話の最中でもやはり■■■■■はベッドに縛り付けられたままであるし、扉一枚隔てた不破は包丁片手に廊下に座ったままだった。
「兄貴、邪魔するぜー!」
「邪魔するなら帰れ。」
「あいよー!」
「いや帰ってどーするのよ。って何してるの貴方、何持ってるの……?」
「見りゃ分かるだろ、包丁。」
「兄貴、流石にコロシはやべぇよ?」
「殺す訳無いだろ、兄貴を信じろ。」
「……まぁ、殺せないんでしょうけど。」
故に、突然の来訪者に不審がられても不破は文句を言えない。しかし不破にとっては、弟と共に家宅に侵入して来たそのセーラー服の彼女も不審人物だ。
「……何で昨日の不審者が?」
「いや兄貴がヨロシクっつったんだぜ?」
「適当にぶぶ漬け振舞っといてくれって意味だったんだが。」
「メシなら逆に振る舞わせた!」
「その残りを届けに来たのも用事の一つなんだけど。」
「何で台所貸してんだよ下呂、昨日が初対面だよな?」
その手には金属バットではなく鍋。微かに漏れる味噌の匂いが不破の鼻を擽り、唾液腺を刺激する。
「あ、あのぉ……お客さんですか? あとサラッと聞こえたんですけど包丁持たれてるんですか!?」
「ええ……客よ、貴女の。昨日会ったんだけど。忘れたの?」
「ぁ……、昨日の…………、バットの人? すみません、今顔を見られる状況じゃなくて。いやだから包丁、」
「監禁されてる、みたいね?
……どんな変人かと思ったら、ちゃんと警戒心を持って接しているみたいで少し安心した。」
「ベッドに縛り付けられて包丁構えられている状況って! 警戒するにしてもやり過ぎなんじゃないでしょうかッ!?」
扉の向こうを眺めて眼を細める彼女を、座ったままの不破は見上げた。それは神妙な面持ちの様に見える。不破の求める何かを、知っていそうな顔を。
そして思い出すのは、昨晩の暴挙。
「…………そうだよ、お前、何平然と俺の家に上がって来てんだよ。忘れてねーぞ暴力女。」
「暴力は奮ってない。未遂よ未遂。そして事故。」
「今はやらないのか。」
「流石に人の家の敷居の中でバットは振らない。そこの辺、ちゃんと弁えてるのが私よ。」
弁えるも何も、そもそもバットは人(?)に対して振り被らない。
当事者の兄も、事情を知る義弟も同じ事を考えていた。
「ぅう……無視しないで下さいよぉ……。」
「ねぇ、それはそれとして鍋どうすればいいの?」
「向こうの机に置いて来い。」
「えっ続行!? 無視続行ですか!?」
「……下呂、お前も何であの女を家に上げた?」
「その必要があったからに尽きる!」
「俺は思わない。明らかに面倒事にしかならないっつー予感がある。」
「面倒事かそうじゃないかの話をしたら、もう手遅れなんじゃねぇの?」
「扱いが!! 酷いです!! 無視しないでぇ!?」
なんか詳しいらしいしさっさと解決して貰えよ、と。下呂は、それで不破が不機嫌になるのを分かっていて言った。案の定顰めっ面になった兄にやれやれと肩を竦める。下呂の尊敬する義兄はどうあっても、自分の手で事の顛末を迎えさせたいのだ。見届けたいのだ。
「さて、と。それじゃ自分のしてる事をサラッと兄貴に説明しな、メリーさん。」
「だからメリーさんじゃないって!」
「そう否定する割には、名乗った事無ぇじゃん。知られたくない理由でも?」
「…………妖怪ハンターって呼んで。」
「下呂、不審者にお帰り頂け。」
「あいよー!」
「分かったから名乗るから! 貴方達程名乗りたくないと思った連中も中々居ない……。」
「あのぉ……聞こえてますか? ボク、いつまで蚊帳の外にされてればいいですか?」
ブツブツと嫌味を唱えながら、けれど胸を張って彼女は漸く名乗った。赤い縁の眼鏡を理知的に上げて、自慢げに。
「妻籠馬籠。人間にはこの名前で通してるけど、妖怪ハンターの方が通りが良い。そっちの方が知れてるの。」
「……漫画とかアニメっぽく言うと、妖怪ハンターまごめ?」
「妖怪ハンターは妖怪ハンターよ。後ろに名前は付かない。」
「じゃあやっぱメリーでもいいじゃんか。妖怪ハンターメリー。」
「勝手に増量しないで。」
面倒だという表情を隠しもせずに彼女、妻籠馬籠は自身の説明を続ける。
「妖怪ハンター。何度も言う様に私は妖怪ハンターをしているの。直訳で狩り。でも殺すだけじゃない。それだったら、妖怪退治屋を名乗ってる。
平穏な妖怪であれば交渉する。でも危険な妖怪であれば退治する。そこの所が違うの。」
「メリーさんが言うにはさ、寝室のメリーさんは危険な部類なんだってよ兄貴。」
「……危険というか、不安定。放置するのは危険だから、意味は変わらないけど。」
馬籠と下呂は、不破が家に居ない間に擦り合わせた情報で。不破に寝室の彼女に関わるのを止めろという結論に誘導しようとしていた。
それが下呂の言う、不破の家に馬籠を上げる必要が有った理由だ。下呂と馬籠の利害はこの時も一致していた。
「へぇ、不安定? そうなのか? 寝室のメリーさん。」
「諦めて黙っている間に、どうして私が分家でバットの人が本家みたいになってるんですか呼び名が! そして反応してくれるのが遅いですよぉ!!」
「今のは反応したんじゃなくて、反応を求められただけなんじゃない?」
「何て一方的な……! まぁでもこんな扱いをされるのなんて分かり切ってましたけども!」
「しょうがねぇよ。兄貴にとって面白いモンは玩具だもんよ。」
「!」
その言葉に聞き覚えを感じた不破が思い出したのは、雇い主である茜部志倉との茶会での会話。
「…………おい下呂お前、それと似たような事、教授にも言った事あるな?」
「うんにゃ? そんな記憶は微塵もねぇけど。何、同じ事言われたのか?
あの人、耳が広いからなぁ。どっかで俺が言ったのを聞いたのかもしれねーな。」
「吹聴はしてるんだなお前……!」
「また! 話が脱線してませんか!? そもそも今は何が本題なんですかぁ!?」
終わらない論争、挟まれない仲介。話題の中心にも関わらず放置プレイを決め込まれたままだったベッドの上からの不満の叫びは、この時初めて聞き入れられた。
「「本題は、」」
しかし口を開いたのは話を主導したいと考えている二名。
「一人称が『わたし』と『ボク』なのは何故か。」
「あの子みたいな妖怪が如何に危険かって話よ。」
「「ん?」」
駄目、駄目だこれ。話が進まない。どうしよう。
両腕両脚が縛られたままである彼女に、頭を抱える事は出来なかった。
***
外ではシャッキリと伸びた背筋。髭の無い顔。健康的に焼けた肌にはハリがあり、皺も無く見目若々しい彼。
しかしその正体は四十路越え、
「ックショイぃ! ッあー、誰かに噂されたような。」
酒も煙草も一丁前に嗜む大学教授、茜部志倉である。
「夕飯何にすっかな…………ってビール、これでラスイチ? 煙草も切れそうってのがまた……、買いに行けってかコノ。」
中身スカスカの冷蔵庫。それが憎たらしいと言わんばかりの勢いで扉を閉めた志倉。Tシャツにジャージという家着の格好を、小洒落たジャンパーのチャックを全締めする事によって隠す。後は少しばかり値の張ったのスニーカーを履けば、知らない人が見ればとても四十過ぎには見られない。
「ありゃ茜部さん、エコバッグ下げて買い物かい。」
「大家さん。まぁそんな所です。」
「一人世帯だから当然っちゃ当然だけどねぇ。見た目若くても歳だろう、好い人の一人ぐらい見繕ったらどうなんだい? 大学の教授さんってんなら、カワイイ女の子の一人や二人……。」
「ははは、そんな出来もしない事言わないで下さいよ。冴えないオッサンに食いつく生徒なんていませんよ。」
「どうだかねぇ。ほんっとーに寂しくなったら最終手段、見合い写真とかを知り合いのツテで探しとくよ?」
「お気持ちだけ有難く受け取っときます。それじゃ。」
自称は冴えないオッサンである彼は其の実、同窓会に参加する仲間達に童顔だ童貞だと持て囃され罵られる男だった。
別に楽しいんだけどな。ビールが切れて買い物に行くのだって、一人だって。心配してくれるのは有難いけれども。
寂しいと言えばそうではないし、賑やかと言えば疑問が残る。満たされているかと言えば否であるし、不足があるかといえばそうでもない。
大切に想う人だって居た。想い合った事もあった。けれど通じ合う者達が必ず結ばれる様に、この世の中は出来ていなかった。
何不自由無く独身貴族、趣味は放浪一人旅。
誰かと知り合い誰かと別れ、何かを識っては何かを忘れ。
「いらっしゃいませ。」
「あ、えーと君は、坂祝…………。」
「坂祝富加です、どうも。」
この時志倉が忘れていたのは、馴染みの商店にこの時間帯に来ると、アルバイトをしている生徒にに出くわすという事だ。
「教え子に買い物カゴの中身を見られるのは気が引けますか、教授。前に遭遇してから一切お会いしませんでしたけども。」
「ま、特別否定はしません。私だって、君に見られたくないような物を買いたい時があるかもしれないよ?」
「買いたい時があるかもしれない、つまり普段そんな物は買わない、と。オカズデジタル世代って訳ですか。」
「待て待て待て待て。」
「コンドームはご入用じゃないですもんね教授は。魔法使いですもんね。」
「前にレジして貰った時にも思ったけれど! 君、大学の外だととんでもない事を言い出すなぁ!?」
志倉がこの店のこの時間帯を避けていたのはそのまま、坂祝富加を避ける為だった。何処で情報を仕入れるのかは知らないが、この女大生は本来要らない情報にまで博識だ。志倉には、以前にこの商店で富加と遭遇した時、買い物カゴの中身と大学での姿から私生活を散々に注意された過去がある。
「そんなだから嫁の心配されて誰か見付けろとかどーとか言われるんですよ。」
「……!? えっ、ええ!? な、何故それを!」
「合ってましたか。ハッタリですよ。教授なら言われてそうだなと。」
「……………………!!」
志倉は膝を着きたい思いだった。
勝てる気がしない。
「あと分かっている事があるとすれば……レジ横に置いてあるカップ麺の蕎麦を見て、あの新人助手さんにこれを買って持って行けば引越し蕎麦として夕食が済むんじゃないだろうか……とかですかね。
引越し蕎麦って一般的に引越しして来た人に振る舞う物じゃありませんよ? 民俗学的にはどうなのか知りませんけど。」
「知ってますよ知ってます、そしてどうして私の思考と微塵の狂いが無いんですか!!」
伏せ目がちにも関わらず大きいとハッキリ断言出来る黒目。小顔に小さな口で、兎やハムスターを思わせる小動物の様な見た目。さらりと揺れる胡桃色の髪が肩まで伸び、間違い無く美人で守ってあげたいタイプであるのにどうにもトークが切れすぎる。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、口を開けば薔薇の棘。
「教授が言ったんじゃないですか、『オフの時は私に気兼ねなく遠慮なく、話したいように話して下さい』って。」
「無遠慮と遠慮なく、は同じ様で違います!!」
「じゃあ駄目ですか? 私は楽しいですけど、こうして教授と話すの。」
「それ私を虐めるのがですよね、そうですよね?!?」
何処か満足気に、辛うじて分かる程度に笑った富加。志倉の後ろに精算を済ませたい客がやって来たので、一先ず休戦だと言わんばかりに傍らに置いてあった買い物カゴを志倉に差し出した。志倉もそれを素直に受け取る。仕返しとして仕事の邪魔をするという思考は彼には無い。それに買い物に来たのだから、雑談ばかりでは要られない。
「あ、そうだ茜部教授。新人助手の所には行かない方が良いです。」
暫くして、商品を物色している志倉に、レジ仕事を済ませた富加が又も声を掛けた。
「え? それは何故?」
「色々と面倒だからですよ、あの家。」
「そりゃ、引越し作業とかあるだろうし面倒だろうね。」
「…………そうじゃなくて。」
「?」
「何かと多事情なんですよ、あの兄弟にしろ客人にしろ。
……あの新人助手こと輪之内下呂君の義兄、垂井不破はですね、」
***
「不破さんは呪われているんです。ボクを呪ったから、連動して呪われる事になったと言いますか……。」
「兄貴が? 呪い?」
どうにも意見の合わず未だ争う二人と、話に混ざれない話題の主役。見張る事が出来てさえいればいい仲介人も居るとなれば、両者間で会話が成立するのは自然な流れだった。
「一人称がブレているのも不安定なのも、それが原因です……。昨日は気絶していたみたいなので、オレ《・・》は出て来なかったみたいですけど。」
「……オレ? 『わたし』に『ボク』で、次は『オレ』?」
「話し合った時は、別にそれでもいいと思ったんです二人とも。でも、駄目でした。
ボクは、ボクで無くなる瞬間が、怖いんです…………!」
だから『メリーさん』を使って、ここまで追ってきたんです。下呂が聞くに、■■■■■は今にも泣きそうな声をしていた。泣いていたかもしれないが、やはり扉が邪魔だった。
「ボクは所詮、彼等から産まれた副産物……。でも! それでも三人ですから! 多数決でこの呪いを祓って貰うと、そう決めたんです! まずはそこからなんです!」
下呂が気付くと辺りは静かになっていた。終わると思えない言い争いをしていた二人が、黙って扉の前に立っていたからだ。何処から聴いていたのかは定かでは無いがこの二人、示し合わせた様に神妙な面で扉の隙間を睨んでそのまま動かない。
黙ってりゃ絵になる系か。なんだこの二人似た者同士だな。
下呂は場違いに、そんな事を思った。
「御願いです……。これまで、『メリーさん』で散々怖がらせましたよね不破さんの事。引越しまでさせてしまって、すみません。だからこんな拘束だって事も、ボクへの扱いが酷い事も、分かります。ごめんなさい。謝りますから、謝りますからどうか……!」
「いや扱いに関しては通常運転だと俺は思うけど。」
「………………、」
何も考えていない訳では、無かったのだが。葛藤やら恐怖やらの何もかも。マイナス感情は、好奇心ただ一色で塗り潰されてしまっていて。
「……ボクは、あなたにしか、あなた達にしか頼れないんです……!!」
それに、その言葉だけは、聞き逃したら男が廃る。
不破のやる事は一つだった。
「オーケー分かった。分かったけど分かってないから、もっと、もっとだ。事情を詳しく。」
「ひぇえっ! 本当に包丁持ってるぅ!?」
「あ、忘れてたわ。」
不破は僅かに開いていただけだった扉を、開け放った。
ぎぶみーレスポンス。