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右手から光が生まれ、ドリアードの体が時間を戻していくように再生していく。
実際戻しているのだから当然なのだが、いつものように一瞬で元通りという訳にはいかなかった。
今回そのように見えるのには今の美奈の肉体的苦痛による精神疲労とマインドが残り僅かであるという事に起因していた。
「……くっ!」
辛そうに顔をしかめる美奈。
一旦塞がっていた傷が開き、止まっていた血液が滲み出す。
衣服が更に鮮血に染まり、痛々しいことこの上ない。
そんな状態になりながらも精霊魔法を行使する美奈であった。
限界はもうとっくに越えている。
そんなだから結局、未だドリアードの体は胸元辺りまでしか再生してはいなかった。
彼女の華奢な体が丸まって一層小さく見えて、今にも崩れてしまいそうだ。
だがそれでも。そんな状態であっても彼女のその瞳の輝きだけは失われていない。
それどころかいつも以上の力強さをもって煌々と煌めいていた。
フィリアもメルもそんな美奈の姿を息を飲んで見守っている。とてもじゃないが口出しできるような状況ではなかったのだ。
「やめ……ろ。勇者よ」
そんな最中、この沈黙を破ったのはドリアードだ。
ようやく腹部の再生にまで差し掛かった身体を少しだけ捩らせて美奈に視線を合わせる。
その瞳には諦めと哀しみ、驚きと怒りがない混ぜになった感情が内包していた。
美奈は彼には一瞥をくれただけだ。
視線を受けながらも一向に合わせる事はしない。
そうしてしまえば自分の決心が鈍る、それを怖れたのだ。
「じっと……しててください。気が散ってしまいます……」
代わりに声を搾り出し、そう告げる。
その仕草も、声も、手から発せられる光も。何もかもが心許なかった。
「どの道私は助からん。今にも消失しそうなこの身体を再生した所で私の身体は最早病に冒され、いつ果てるとも知れぬ状態だった」
ドリアードは美奈に視線を送る事を止め、虚ろな目で天を仰いだ。
「それはっ……、そんな事で諦めないでください! ……あなたは……いなくなっちゃいけない!」
美奈の顔は青白く、右手から放たれる光も相まってその色合いをより一層際立たせる。
それでも美奈は睨みつけた。
何もかもを諦めたようなドリアードを睨みつけ、それに呼応するように光の輝きが増したのだ。
「メルちゃんは……メルちゃんはどうなるんですかっ!? 今までも、これからだってあなたを必要としていて……あなたの事を心から……心から愛しています!」
「……愛……だと?」
愛。
聞き覚えの無い言葉にドリアードの頭は一瞬白く塗り染められた。
だが。だがそれだけだ。
ドリアードはすぐに自嘲気味に笑う。
「ふ……そんな事、魔族である私に言っても理解出来るはずもない。……何故なら魔族は心を持たないのだからな」
「そんな事……ないと思う」
そう溢すドリアードを美奈は否定した。
痛みに歯を食いしばり、それでも伝えなければいけないと感じたのだ。
「なんだと?」
頭の中に湧いた疑問にドリアードは虚ろな瞳ながらも美奈の方を向いた。
そこで初めて二人の視線が絡み合った。
美奈は唇を引き結ぶ。
「……はっきりとは言えないけど、魔族にだって心はあるよ? ただ、人よりもその成長が遅いだけなんじゃないかな? ドリアード、あなたはメルちゃんの事を愛おしいと思ったことはない? ……メルちゃんの事を考えるだけで安らいだ気持ちになったり、この先も一緒にいたいと思ったり、そして、誰よりも大切で、守りたいと思ったことは、ないかな?」
美奈の言葉は不思議だ。
彼女の優しさは慈母のような響きをその声音に乗せて、ドリアードを温かく包み込む。
その温もりと美奈の言葉に浮かぶ顔はただ一つ。
そこでドリアードははたと首を振り、浮かんだ顔を否定する。
「……馬鹿なっ……そんな事などあるわけがない。そんな下らない考えなど、魔族であるこの私が持つわけがないのだ!」
嘲笑を浮かべるドリアード。
思い切り嘲笑ってやろうと思った。
人の、人間の馬鹿げた心や感情など、つまらなくて矮小で、生きていく上で最も愚かで必要の無いものだと。
だから人間は弱く、脆く、どうしようもない存在なのだ。
魔族にとっては家畜同然。
愛などと、意味の分からないものが弱い人間の強みだとでも言いたいのだろうが、そんな事は勘違いも甚だしい。
「ドリアード……」
「煩い! 人間風情がもう黙れ! 下等な人間ごときが私にこれ以上構うな! 矮小な存在のクセに、解ったような口を利くな!!」
自然と声が荒ぶり、普段のドリアードからは考えられないほどに憤る。
たかが一人の人間ごときに自分は何をそんなにムキになっているのか。どうかしている。
そんなドリアードを見つめる美奈。
ドキリとしたドリアードの頬を冷や汗が伝う。
瞬間頭が真っ白になった。
なんだこの人間の表情は。この言い様のない感覚はなんなのだ。
美奈はまるで初めからその答えを知っているように微笑む。
優しい微笑み。教会のステンドグラスに映された慈母のような。
「ドリアード……もうあなたは気づいてるんだよ。自分の胸の中にあるそのかけがえのない想いに」
「う……煩いと言ってっ……!」
「ならあなたはどうしてさっきから泣いてるの……?」
「……っ!?」
彼女の口から紡ぎ出された言葉に、ドリアードは遂に言葉を失った。




