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教会の中は静まりかえっていた。
空気は冷ややかで薄暗く、どこか淀んでいる。
室内の長椅子や床は所々破壊され、光が射し込まない時間にあってはおおよそ人が行き来する場所ではないと思われた。
「きひひひひ……」
教会の丁度中心辺り。そこに場違いなほどに精巧な石像がポツリと一つ立っていた。
それはフィリアである。
魔族メデューサの能力によりその身体を石にされた。彼女の凄惨な表情が最期の瞬間の絶望的な感情を引き立てる。
ふとそこから搾り取られた一片の雫が溢れるように、不定形な丸い光の欠片が生まれた。
その光はまるで人魂のようにふわふわと宙に漂い、やがて吸い込まれるようにしてメデューサの口から体内へと入っていった。
ゴクリと喉を震わせてメデューサは愉悦表情を浮かべた。
「はあ……うまい。……たまんないねえ……絶望にうちひしがれた感情の塊ってえのは」
その呟きと同時に彼女の身体がうっすらと光を帯び、身震いするように身体を震わせた。
「ああ……いいねえ。思っていたよりも全然いい……力が漲るよ……」
呑み込んだ光の余韻を感じるように、両腕で体を抱きしめ噛みしめている。その表情は狂気に満ちていた。
「さあ、今回の所はもう引き上げるとするか」
しばらく余韻に浸った後、やがて我に返ったように前を向き首をポキポキと鳴らす。
そうしながら視線はもう一体の魔族、サマエルへと向けられていた。
「ちっ。まだおねんねかい」
メデューサは未だ沈黙したままのサマエルを見やり毒づいた。
サマエルは依然として沈黙したままピクリとも動かない。
「なんなんだい一体こいつは。本当におかしなやつだねえ~」
サマエルの前に立ち、彼を見下ろす。その鋭い爪先で頬を一撫でしてみるが、それでもやはり身動き一つしなかった。
本来の彼ならば恐怖の叫声を上げていただろうに。
メデューサは反応のないサマエルの代わりにフンと一つ鼻を鳴らした。
そのままメデューサはサマエルの方は見向きもせずうろうろと周辺を練り歩いた。
「くそっ……そういえばシャナクの奴はどこにいるのかねえ……。クソッ、やっぱり離れるんじゃなかった。……勇者に自身の能力が効いてないから別行動取るとか言い出したからドリアードの方へ行くのを許したけど、まあ放っておいて帰るか。……けどあいつを連れ帰らないとグリアモール様に何を言われるか……参ったねえ……」
ぶつぶつと独り言を呟きつつ、最後に大きなため息が口をついて漏れ出た。
戦いの疲れも手伝ったのかもしれない。
そんな時。突然メデューサの体がバランスを失い急に崩れた。
「あ……?」
そのまま前のめりになって床に転がってしまう。
体を起こして立とうとするが、そこで自身の体の感覚が鈍い事に気がついた。
「なんだってんだい……?」
呟きと共に漏れ出た吐息が白い。
これは、冷やされている?
「まさか……!?」
そこで一つの結論に思い至ったメデューサ。
この現象を引き起こしているであろう彼女の方を振り向こうとする。
だが、最早自分の体は思うように動かない。
思考が追いついていないメデューサに更に次の災難が降りかかった。
教会の窓を貫いて一筋の閃光が一直線に迫り、身動きの取れないメデューサの体を貫いていった。
「ぎゃあああああっっっっ!!!」
メデューサの体は粉砕されるように散らばり、首だけが宙を舞い、二、三度バウンドしてサマエルの足元まで転がっていった。
「が……ああ……あああ……」
眼を血走らせて痙攣するメデューサの首。
急な事で自分の身に何が起こったのか理解が追いつかない。
ただ一つ確実な事。それはこのままでは自分は滅んでしまうという事だ。
「ああああ……サマエルぅ……た……たす……けて……おくれ……」
唐突にやって来た滅びの予感。それにメデューサは抗うべく思考を巡らせるが、助かる道は一つしか無いように思えた。
「あんたの……力を……分けて……おくれ」
その言葉を受けてか、今までひたすら沈黙を保っていたサマエルの両手がメデューサの頭へと伸び、拾い上げた。
メデューサはその頭を持ち上げられ、サマエルと丁度見つめ合う形になる。
「は……助かるよ。あんたの力を……早く……あたしに……」
今にも消え入りそうなメデューサの声。
現に分かたれた身体は半分が塵と化している。
最早意識を保つ事も難しくなってきていた。
「サマ……エル……?」
そこでメデューサはサマエルの微かな異変に気づく。
サマエルの翠の瞳は自分を見つめているけれど、彼の瞳はメデューサを映し出してはいない。
彼の瞳が映す先には、メデューサ自身ではなく、今日仕入れたばかりの何人もの恐怖や怯えといった感情の塊があった。
「サマ……」
「バクンッ!!」
彼の鰓が目にも止まらぬ速さで動き、メデューサを呑み込んだ。
メデューサの身体はサラサラと溢れるように宙に舞い、花弁のようにひらひらと揺蕩ったかと思うとふっと消え失せた。
それがインソムニアの人々や美奈達を散々苦しめたメデューサの、何とも呆気ない末路であった。




