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日々の稽古は続き、メルが七歳になる頃には大人ですら顔負けの力を身につけていた。
やはり獣人というステータスは大きい。
筋肉がしなやかで動きが俊敏なのだ。
身体能力も体の成長につれて日に日に上がっていった。
「はっ!」
打ち据える小さな拳は、岩をも砕いてしまう程の威力を内包していた。
そんな拳をドリアードは涼やかな顔で往なし、裏拳での反撃をメルの鳩尾へ食い込ませる。
「かはっ!?」
たたらを踏んで後退り、よろよろとしゃがみこむメル。
そんな彼女を一瞥し、鼻で笑うドリアード。
「ふん。攻撃が単調すぎる。大振りすぎて隙だらけだ。そんなものが当たるわけがない」
「う~。でもスラムの子たちはもうあたしに手も足も出ないよ?」
メルは打たれた鳩尾を擦りながらぼやいた。
そんなメルをドリアードは瞳を光らせ睨みつけた。
「甘ったれるなっ。人間の子供相手に勝ったところでなんになる。ちょっと威力が上がったからとて調子に乗るな。そんなもの、毛ほどの役にも立たんぞ」
「え!? それって威力はけっこうすごいってこと!?」
彼女の口を黙らせるために放った言葉であったが、意外な反応でもって返されてしまう。
それにドリアードは少なからず戸惑う。
「む……」
「ねえドリアード!今の言葉、あたしの攻撃が威力はすごいってことなんでしょ!?」
途端に笑顔でドリアードの足に取りつく。
無邪気に見上げてくるメルに対するドリアードは何とも言えず複雑な気持ちになるのだ。
苛立ちのような、だがそこに怒りはなく、憎しみや蔑みともまた違う。
言い様のない思考が胸に込み上げて、ドリアードはどうすればいいのか分からなくなってしまう。
「……だから調子に乗るなと言っている」
「あたしもっと頑張る! 頑張ってドリアードも認める強くて立派な拳士になるっ!」
「む……」
突き放そうとしても決してめげることはない。
それどころか益々喜び勇んで自身に近づいてくる。
まるで自分の方が翻弄され、次の一手を封じられてしまっているようだ。
ドリアードはメルの振る舞いに言葉を失い、黙り込んでしまう。
そんなドリアードの顔を、メルは不思議そうに見つめていた。
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メルが八歳になった頃。
彼女が考えることはドリアードを喜ばせるにはどうしたらいいか。そればかりであった。
いつも無口で、決して笑顔を見せる事が無いドリアード。
何とか彼を笑顔にする方法はないものかと。
そんな事を考えながら日々を過ごしていくうちに、いつしか自分自身よく笑うようになっていった。
「ドリアードッ、ドリアードッ」
屈託ない笑顔で笑うメル。
そんな彼女に愛想のない一瞥をくれるだけですぐに目を逸らす。
それでもメルは気にしない。
ドリアードに日々笑顔を向け続ける。
彼の笑顔を引き出す前に、まず自分が笑顔でいなければならないと思ったからだ。
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九歳になった頃。
メルが教会を訪れ扉を開いた時、ドリアードの様子がおかしいことがあった。
咳き込み辛そうで口の端から緑色の血が滴っていたのだ。
「どうしたのドリアード!? どこか具合が悪いの!?」
心配になりそう言うが返ってきた言葉は辛辣なものだったのだ。
「お前には関係ない、余計な詮索はするな」
「え……」
これにはメルも頭に血が昇った。
沸々と胸の中に寂しさや怒りがないまぜになった感情が溢れ、涙が溢れた。
「ドリアードのバカあっ! だいっきらい!!」
メルは教会を出ていきしばらく戻らなかった。
建物の隅で隠れるように泣き、膝を抱えてうずくまった。
だがそれでもやはりドリアードの容体が気になった。
もし具合が予想以上に悪ければ、大変なことになる。
メルはそう思うと怖くなり、居ても立ってもいられなくなった。
走って教会に戻り、再びドリアードの元へ戻ったのである。
ドリアードはそんなメルを怒るでもなく普通に迎えた。
まるで何事もなかったかのようにドリアードが振る舞うものだから、メルもその後は何も言わなかったのだ。
目の前にいるドリアードは元気なのだ。
無理に詮索することはない。
それよりも、こうして普通にしていられるのだ。もう何も言うまい。
メルはそのまま教会に戻り、一緒に夕食を食べた。
簡素な食事だ。
硬いパンに味の薄いスープ。
ろうそくの灯りに照らされながら、ゆったりとした時間を過ごした。
そんな時間がメルにはすごく大切なものに思えて、すごく、楽しかった。
食事の後、椅子に座って何をするでもなく静かな時間を過ごした。
そこでドリアードはポツリと話し始めたのである。
「メルよ……お前はもういくつになった」
「?? ……9歳だよ?」
「……そうか……早いものだな……」
遠くを見つめるドリアード。その瞳は酷く狼狽しているように見えた。
以前から胸に抱いていた違和感。
うまくは言えないがドリアードは自分とは同じような存在ではないのかもしれない。
メルはそんなことを思っていた。
時折見せるドリアードの物憂げな瞳が自分とは違いすぎると、子供心にそんなことを感じていたのだ。
それでもドリアードは自分を育ててくれた。
身寄りのない自分を、ここまで大きくしてくれた。
メルにとってのドリアードは紛れもなく親であると言いきれる。
だからドリアードが例えどんな存在であっても、そんな事は些細なことでしかない。
それでも不安な気持ちがずっと胸にある。
拭いきれない焦燥感が、いつも胸の中にあった。
だから笑った。
そんな想いを欠き消すように。
ドリアードと、自分自身の不確定な未来を華やかに彩るように。
メルはいつも笑っていたのだと気づく。
「……わたし、ずっとドリアードといたい。ずっと一緒にいたいよっ! これからもずっと! ドリアード! お願い! お願いだからいなくならないで!」
気づけば口をついてそんな言葉が溢れてくる。
そしてその吐露はと共に涙が流れ、ささやかな願いは切実な叫びへと変わる。
気づけばボロ雑巾のようにぐしゃぐしゃになって泣きじゃくっていた。
泣きすぎて自分が何で泣いているのかさえよく分からなくなるほどに。
「……?」
ふと頭に何か重みを感じた。
ちらと見るとドリアードが目の前にいて、彼の手が頭の上に乗っかっている。
大きな手だ。ゴツゴツして、ざらついている。
その掌が頭の上でぞりぞりと動き、頭を撫でられているのだと分かった。
ドリアードの手に触れられるだけで、不安な気持ちが一気に吹き飛んでしまう。
心がどうしようもなく安らいでしまう。
改めて思う。
この人が大好きだ。
無愛想で厳しいけれど、時折見せる優しさが身に沁みる。
メルはドリアードのことが大好きなのだ。
「メル、私はお前に必要とされるような存在ではない。そもそも自分が何なのかさえよくわからなくなった。自分の生き方など、もう何年も前に見失ったままだ」
ポツポツと話すドリアードの表情は妙に沈んでいるように見えた。
初めて見るドリアードの切実な吐露。
だが子供のメルにはその言葉の意味する所は全く分からない。
だが何か言わねばと子供心にメルはそんなことを思った。
「ドリアードは迷子なんだね。わたしと……おんなじだっ」
なんとなく自分と同じだと思いたくて言った。
ただそれだけだった。
ドリアードは弾かれたようにメルの顔を見て目を見開きしばし言葉を失っていた。
ドリアードが自分を見つめている。
だからメルはいつものようにドリアードへとおもいっきり笑顔を向けたのだ。
華やかな笑顔は今まで泣いていたのが嘘のようだ。
「……そうか。同じか」
「……あ」
不意に声が漏れ出てしまう。
メルはそれくらい衝撃を受けたのだ。
何故ならドリアードの表情が初めて柔らいだのだ。
世界が変貌を遂げたみたいだ。
ドリアードの柔らかい表情に自分の心はかつてないくらいに満たされている。
メルは嬉しくて嬉しくて、彼の服をきゅっと握りしめ、胸に顔を埋めた。




