71
突如として美奈の視界が一辺した。
耳には風を切り裂くような轟音が響き、身体が浮遊感に包まれ自由が奪われる。
視線を自身の少し下方へと向けると見覚えのある球体が見えた。
あれは確か。
「魔石!?」
美奈は思わず大きな声を上げてしまう。
余りにも突拍子もない今の状況に頭がついていかない。
取り敢えず一つずつ確認だ。
今美奈が見たものは間違いなくあれだ。インソムニアの街に入って来た際に見かけたこの街の動力源とも言える巨体な魔石。
それが今、足元の下方にあり、今もどんどんと離れていっている。
上方にはインソムニアの街並。
そこで初めて美奈の頭の理解が追いついた。
「これって!? 落下してる!!?」
気がつけば自身の体が逆さを向き、インソムニアの街の上空を自由落下しているのだ。
美奈はその光景に戦慄する。
このまま地面に叩きつけられればただでは済まない。
なぜこんな事になったのか。
そんな思考が頭を過るが、それよりもまず今は突如として自分の身に振りかかったこの状況を何とかしなければならない。
ならないのだが。
正直この状況を打開する方法を美奈は持ち合わせてはいなかった。
そうこうしている間にもどんどん地面は近づいてくる。
焦りながらも何とかしなければと思う。
だが焦りは思考を鈍らせる。
鈍った思考で何かいい策など思いつきようがないのだ。
美奈は唇を噛んで頭を少しでもクリアにしようと努めた。
落ちついて。落ちついて考えるのだ。
本来はそういう場合ではないのかもしれない。
だが美奈はそんな最中、目を閉じ頭に浮かんだ策を反芻してみた。
一つだけ。
一つだけ美奈が考え得る、この状況を凌ぐ方法があるのだ。
その策とは。
自身の体が地面に激突した瞬間、身体の破砕を巻き戻して元に戻す、という方法だ。
だがそうするには相当の激痛に耐えなければならない。
遥か上空から自由落下して地面に叩きつけられる。
その痛みを想像しただけで胃がねじ切れそうな程に重くなる。
しかも魔法が少しでも遅れたり、痛みに耐えきれず気を失ってしまえば待っているのは当然ながら死である。
そうこうしている間にも視界の町並は大きく狭くなっていく。
もうあれこれ考えている暇は無いのだ。
たった一度の挑戦をものにしなければならない。
美奈は最早覚悟を決めるしか無かった。
インソムニアの町並を見据えながら歯を食いしばる。
美奈は来る衝撃に備えつつ、精神を集中させた。
「オリジン、やるよ」
『うむ。やるしかないようじゃの』
覚悟の言葉に相棒であるオリジンも神妙な声で応えた。
やはりオリジンでさえもそうする他ないと思っているようだった。
美奈は唇を噛みしめ、その数秒後に訪れるであろう瞬間を思いインソムニアの地面を見据えたのだ。
「っ!!」
もうまもなく、地面に激突する。
そんなことを思っていた時、落下している美奈の体が突然浮遊感に包まれた。
体は落下を止めて中空に留まったのだ。
それどころかそのまま美奈は空を上昇して滑空しているではないか。
「間に合った!」
すぐ頭の上から見知った声が聞こえた。
そこで自身の脇の下に誰かの手があることに気づく。
そこから今の状況と照らし合わせて、ようやく思考が繋がっていった。
「アルテ!?」
助けてくれた人の名を呼びながら少しだけ身をよじった。
視界の端に誰かの金髪が飛び込んできて、「ふっ」という息づかいが漏れた。
その声に美奈は自身の予想が当たったと確信する。
「うん。急な事で状況把握が遅れたけど、目の前にミナの姿が見えたからさ。とにかくフライの魔法を唱えたよ。間に合って本当に良かった」
アルテの安堵した声に美奈もホッと胸を撫で下ろした。
「……死ぬかと思ったよ」
安堵したのも束の間。だがそこで美奈の頭の中ではもう一つの可能性が浮かんできていた。
「ねえ!? フィリアは!? 彼女も近くにいないかな!?」
美奈は慌てて辺りを見回す。
フィリアも同じようにこの辺りに飛ばされたのなら助けなくてはと思ったのだ。
しかも未だ落下中ともなれば美奈よりも更に火急の状況ではないだろうか。
「うん、そうだね。だけど見た感じではいないように思えるね。少なくともこの辺りにはいなさそうだ」
アルテの言葉にフィリアが周りにいないこと、それとフィリアのことも探してはくれたのだということを察する。
更にアルテは美奈にも分かりやすくするように、空中を旋回して見せてくれた。
終始落ち着いた雰囲気のアルテの、彼のその対応に自分も少し冷静にならなければと反省する。
そう思いつつ、やはり念のため、美奈は360度全方位に目を向けてみた。
やはりというか何というか。フィリアの姿はどこにも見当たらなかった。
「フィリア……、今一人なの?」
呟きと共に美奈の脳裏に最悪の事態が過る。
もしここまで飛ばされたのが自分達だけならばフィリアはあの場に残っている事になる。
三人で掛かっても苦戦を強いられた相手に今彼女一人になってはひとたまりもないだろう。
「アルテ! 急いで戻らなきゃ!」
思ったよりも遠くに飛ばされた。
教会は遥か向こう。建物の陰に隠れてここからでは見えない。
そこにいるであろうフィリアのことが思われて美奈は焦燥に駆られた。
「……」
「……アルテ?」
そこで美奈はアルテの異変を察する。
そう言えば先程からアルテが何も語らない。
彼の表情を伺おうにも、この位置からでは見ることができない。
それでも何となく様子がおかしい気がしたのは美奈の他人の感情の機微に敏感な特性の賜物と言う他ない。
現に美奈に返事もしていなければ教会に向かう様子もない。
ただその場に浮遊して沈黙を保っている。
「アルテ……」
もう一度小さな声で彼の名前を呼ぶがそれでもやはり返事はなかった。
美奈は察する。もしかしてためらっているのではないかと。
だって分からなくはないのだ。
先程の戦いでアルテの攻撃は魔族に何のダメージも与えられずにいた。
それは魔族の物理攻撃を受け付けないという特性上仕方のないことだけれど。
はっきり言ってしまえばアルテが今このまま魔族な元へと再び舞い戻っても、戦闘の役には立たないのだ。
完全に足手まといとなることは自明の理なのである。
だったらもう戦いには参加しないでおいてもらう方がいいのではないか。
互いの沈黙の間、美奈は一人、思考をそこまで進ませていた。
「ミナ……君はどうして魔族と戦っているんだい?」
「え?」
そういう思考をしていたから余計不意打ちのように感じられた。アルテの口から放たれた疑問。
それは美奈にとって少し予想とは違う問い掛けであったのだ。




