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ここは色の無い世界。
周りの景色が全てグレイで、空間の果てがどこなのかは目視だけでは分かり得ない。
とてつもなく広いのか、はたまた実はすごく狭い空間なのか。
ドリアードに連れて来られた時は少し戸惑ったものだが、アリーシャがこの環境に慣れるまでにはそこまでの時間は要さなかった。
ヒストリア流剣技、林。
この技は自身の気配を限り無く0にし、そんな中に在りながらも自身の心を燃焼させ、心を強く持つ事により、身体と心の存在のバランスを逆転させる。
現実世界と精神世界の自身の在り方のバランスを意図的に変えてしまう事により、その中間に身を置く技である。
これを会得したアリーシャにとっては精神世界がどんなものなのか、その断片を体験出来ていたからなのかもしれない。
今アリーシャがいるこの空間はドリアードにとっての鍛治場である。
金属をくべる炉やそこから出した高熱の金属を打ちつけて鍛える台。
それをするための金属鋏や鎚など、剣の精製に必要な物は全て揃っていると思われた。
ここへ来てからのドリアードは一切の無駄口を叩かずに無心で剣を打ち続けている。
元々口数の少ない彼であったが、ここへ来てからはそれは更に顕著に現れた。
まあしかし、実際に剣を打ちながら世間話に花を咲かせる鍛治師というのも全く想像は出来ないし、存在しないと思うのだが。
剣を打ち始める前にアリーシャはドリアードから言われた事があった。
それは剣を打ち始めてから打ち終わるまでの間、一瞬たりとも目を離さないようにという事だ。
多くは語らないドリアード。
アリーシャはその言葉の意味する所を当初は量りかねた。
だがかれこれ数時間も同じ作業を繰り返すドリアードを見ていれば、刻一刻と錬成されていくオリハルコンの塊に目をやっていれば、それは自ずと理解出来てきた。
剣の材料となる鉱物は生まれながらにして剣となるべくして存在しているわけではない。
防具であったり、建物の材料であったりとその用途は様々である。
その鉱物を他者の力の介入により一振りの剣へと形を変えていくのだ。
当然そこには大きな意思の力が働く。
そして鉱物に力を加えながら、その鉱物がどのような形に形成されるべきなのか、それを模索しながら一回一回打ち付けているように感じるのだ。
そんな物を見させられたらアリーシャも当然それに応えようとする。
今から自身が扱うべき剣が創られ、そして造られていくのだ。
そこには当然の如くアリーシャの意思も介入していくことは必須だと、彼女はそう捉えた。
そう感じた時、アリーシャは自然とヒストリア流剣技の山を発動していたのだ。
それは意図して発動したのではない。アリーシャ自身がドリアードとオリハルコンとのやり取りを目の当たりにしながら、最善の自身の在り方を自然と聞き分けたのだ。
ドリアードの腕の振り方一つ一つを、そしてその際に受ける衝撃によってオリハルコンが変えていく形の一片一片をその目に、その心に焼き付けていくのであった。
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どのくらいの時間が経っただろう。
どのくらいの時間、意識を剣に向けていただろうか。
それはほんの一瞬のようでもあり、数時間のようでもあった。
そもそも時間の概念すら無いのではないかという錯覚すら起こしそうで、もしかしたらこの空間そのものがそういった場所なのかもしれないとアリーシャは思った。
「あああああああああっっ!!!」
ドリアードが一際気合いを込めて鎚を振り下ろした。
自身の全てをその一振に注ぎ込むように。
アリーシャは思う。
それはまるで決闘の最後の勝敗を決める全身全霊の一太刀と同じであると。
ガッッキイィィィィィィィンッ!!!!
「……っ!!」
金属同士が激しくぶつかり合う音がアリーシャの耳を引き裂くように届く。
余りの高周波に思わずアリーシャは目を閉じそうになった。
だがそれを肩をすくめ、何とか堪え、彼女はオリハルコンに視線を注いでいた。
いや、それはもうこの段階ではオリハルコンとは呼べないのかもしれない。
目の前のそれは今、眩いばかりの光を放ち、神々しさすら感じるのだ。
それと同時にどこか懐かしいような親しみも感じていた。
そして耳元で、誰かに囁かれたような錯覚を覚え、アリーシャは不意に横を振り向いた。
そこには当然誰もいない。何もないグレイな空間が広がっているだけ。
だがそれは何故か懐かしくて、優しくて、そして温かいと感じるのだ。
アリーシャに柔らかな温もりを与えてくれる。そんな声だったと。
そしてそれをアリーシャは今は頭の片隅に留めるだけにしておいた。
そういう感傷に浸っているような場合ではないのだ。
イイイィィィィィィ……ンンンン……。
暫しの余韻を残してやがて空間に久方ぶりの静寂が訪れる。
それと同時に金属から発せられていた光も段々と弱まり、やがて無くなった。
「……できたか」
ポツリと呟いた声の主はもちろんドリアード、その人であった。




