六日目4
夕刻。
訓練場での授業を終えたアーバンは自身の部屋へと帰る前に騎士寮の裏口へと来ていた。
なぜこんな所に来ているかというとソニアに会うためである。
なせソニアに会うのに寮の裏口へ来ているかというと、ここ騎士寮は男女合同の寮ではあるが一階が共有スペース。二階、三階が男子寮。四階、五階が女子寮となっており、もちろんお互いのスペースに足を踏み入れる事はご法度となっているのだ。
だからアーバンはソニアをうまく呼び出すために、彼女の部屋の窓に石を投げ当て自分に気づかせ下りて来させるという算段であった。
裏庭に落ちている手頃な石を拾い上げ、四階の角部屋、ソニアの部屋の窓へと投げつける。
石は勢いよく直線的に飛び、見事ガラスの窓へと到達する。
ガッシャーンッ!!
「あっ!?」
四階に届かせるために勢いをつけすぎて放ってしまったようだ。
石は見事にソニアの部屋の窓を突き破った。
数秒遅れて部屋の住人が窓から勢い良く顔を出し、辺りをキョロキョロと見回している。
程なくして目が合う二人。
暫くアーバンを見つめたソニアは、不意に聖人のようなにこやかな笑みを浮かべ一言呟いた。
「……アーちゃん?」
「ひっ!?」
昔ながらの呼び方でアーバンを呼んだかと思うと窓からすぐに姿を消すソニア。
今すぐここへ向かってくるに違いない。
相当逃げたい衝動に駆られたが、逃げ切れる自信もないのでそこは毅然と立ち尽くす。いや、正確にはめちゃめちゃビビっているだけなのだが。
昔からソニアは怒るといつもあのようなにこやかな笑顔で圧を放つのだ。
しかも今では剣の腕も隊長クラス。そこら辺の魔物などよりよっぽど質が悪い。
ほんの数秒で建物の陰から顔を出すソニア。
あそこからここまで一体どうすればそんな短時間で来られるのか。
「一体何なのアーちゃん? ……返答によっちゃわかってるんでしょうね?」
ソニアの顔には依然として笑みが貼り付いてはいるが、背後に禍々しいオーラすら見えそうなその立ち居振る舞いにめちゃめちゃ圧倒されつつも、アーバンは言葉を連ねていく。
ここで黙ってしまっては却って逆効果なのだ。
「す、すまん! まさか割れるとは思っていなくて……私の部屋の窓と後で取り替えるから……それでっ」
「それは当然よね? で?」
「ひっ!?」
今にも抜剣しそうな程に殺気を漂わせるソニアにまたも情けない声を上げてしまう。
だがソニアの威圧感は収まるどころか大きくなるばかり。
アーバンは歯を食い縛り言葉を続ける。
「あっ……明日! ヒストリアを発つことになった!」
「え……? ヒストリアを発つ?」
その一言でソニアの殺気はものの見事に消え去った。
それどころかそれを聞いたソニアの表情は曇っていく。
「……何で?」
「昼間私の所に訪れたシーナからの話を受けてな」
「あの……勇者の女の子……か」
ソニアはアーバンから目を逸らす。
唇を噛み、右手で左腕をきゅっと掴んだ。
「シーナは今回の戦いで自分の無力さを痛感したらしくてな。このままではいけないと思っていた矢先に精霊であるシルフから提案を受けたらしいのだ。新たな力を得るためにある場所に行かないかとな。その目的地が海洋のどこかにあるらしく、王に掛け合って船と乗組員を貸してもらう算段なのだとか。そこで船員とその護衛に騎士団の小隊が一隊選ばれることになった。そこでうちの隊が選ばれたのだ」
ソニアは黙ってアーバンの話を聞いていた。
ちらと見たアーバンの表情が嬉々としているのに気づいてソニアは小さくため息を吐いた。
「アーバンてさ……その娘のこと好きなの?」
「はっ!? な、何を言うのだいきなり!?」
「答えて!」
慌てふためくアーバンだったが食い気味にソニアに詰め寄られ逆に冷静さを取り戻した。
ソニアの真剣な表情を見て、決して茶化すような気持ちでは無いのだと知り、真面目な面持ちとなる。
そしてアーバンは後ろ頭を掻いた。
「……正直私にもよくわからないのだ。その……好きとかそういった気持ち自体が。こんな年で恥ずかしいのかもしれないが、私は今まで本気で誰かを好きになったことなどないのだから」
「……そっ……か」
「ただ……」
「ただ?」
「……私はあの戦いの中で必死にもがき苦しみながらも、諦めずに一生懸命悪に立ち向かっていく彼女に憧憬の念を抱いたのかもしれない。そして今、そんな彼女が壁に突き当たり、自分を少しでも必要としてくれている。それならば私も彼女に応えたい。力になりたい。そう思っている。……それ、……だけだ」
いつの間にか夕闇が夜の帳を連れてきていた。
さっきまでは互いの表情もしっかりと見えていたのに今は薄暗くて少しわかりづらい。
だがそれでも幼なじみである二人は、互いの声音一つでどういった感情を抱いているのか。
皮肉にもそんな事まで知れてしまうのだ。
「……」
ソニアはそこから何も言えなくなってしまう。
これ以上何か言ってしまったら。
二人の間にある何かが壊れてしまいそうな気がしたのかもしれない。
「あ~……ソニアにはきちんと伝えておきたかったんだ」
「……何よそれ?」
「大切な幼なじみだからな」
「……っ!?」
アーバンがそう告げるとソニアは不意に背中を向けてしまう。
何も言わないソニア。
それによりますます彼女の気持ちが見えなくなるアーバン。
「……ソニア?」
不思議に思い声をかける。
彼女は空を見上げた。
少し雲が多いのか、今日は星が殆ど見えない。
だから彼女のシルエットが動いてその動向がなんとなく分かる程度のものだ。
すごく暗い。こんな夜は久しぶりだ。
緩やかだが吹く風は冷たくて、自分はまだしも部屋着のソニアは寒いのではないかとアーバンは思った。
「……ずるいよアーバン」
「ん? 何か言ったか?」
反対を向いたソニアの呟きは風に掻き消されてアーバンには届かなかったようだ。
そこでソニアは振り返り、アーバンの元へと近づく。
数十センチの距離になってようやく互いの顔が見えた。
再び見えたソニアの表情は晴れやかに笑っていると思えた。
「話は分かったわよ。気をつけて行ってらっしゃい」
彼女のいうもの和やかな笑顔にアーバンは安堵する。
そして彼も笑顔になった。
「ああ、行ってくる。じゃあまたな、ソニア」
「はいはい」
そう言って立ち去るアーバン。
アーバンはもう次の瞬間には明日からの事に想いを馳せている。
だから決して気づかないのだ。
彼の後ろ姿を見つめ続ける彼女の視線には。




