幕間 ~草原をひた走る馬車にて~
それから何分くらい馬車を走らせただろうか。
正直頭が悶々してヒストリアを出てからのことはよく覚えていない。
途中荷台の中にいる誰かから何度か声を掛けられた気はするが、車輪の音もうるさいし、聞こえなかった振りをしてしまった。
時間が経てば経つほど沸々と怒りのような不安なような、そんな気持ちが湧きあがってきてしまう。こんなんじゃ普通に会話なんてできるはずも無い。笑顔をうまく作る自信がないのだ。
何で言ってくれなかったのか。俺はそんなに頼りないのか。
そんな感情が湧き上がり、その度に胸が苦しくて。
いつも自分勝手でこっちの気なんかお構い無し。あいつのそういう所が本当に大嫌いだ。
何だか文句のような、諦めのような、自暴自棄な気持ちをやり過ごすことが出来なくて、どんどんとやるせない想いが胸の中に渦巻いて溜まっていくようだ。
こんなことでこれから先、まともな旅ができるのだろうか。
考えれば考えるほどマイナス思考になっていくし、考えることをやめることもできないし。
「は~……」
「工藤くん?」
「わわっ!? び、びっくりした!? 高野、いつの間にこっちに来たんだよ! 言ってくれよ!?」
今日何度目かのため息をついたと同時にすぐ横に高野の姿があった。俺は荷台の隣にいつの間にか座る彼女に慌てふためいてしまう。
そんな俺の様子をその大きな目をぱちくりとさせながら見ている高野。そういう無防備な表情にいつもドキリとさせられつつやめてと思いつつ、なるべく平静を装う。
「えっと……。何回も呼んだんだけど返事がなかったから。あとちょっとスピード落とそ? けっこう座席、ガタガタだよ?」
「え? ……あ、わりぃ」
いつの間にか手綱を握る手に力が入っていたらしい。気づけばかなりの速度で馬車を走らせていた。
ここは見渡す限りの平原。魔物も先日騎士団が一掃したばかり。
何かにぶつかったり急に魔物に襲われる心配はほぼ無いとはいえ、荷台は激しく揺れ動き、振り返ればアリーシャとフィリアは壁に手をやりうまいことバランスを取っていた。
俺は手綱を握りなおし、速度を少し緩やかに調整する。後ろの二人にペコリと侘びを入れるとアリーシャが手を上げ、大丈夫というようなジェスチャーをした。
その間に高野は俺の隣に座り直したようで、今は周りの景色に目を向けていた。
「……」
「……」
別に何を言うでもない。高野はその場に座ったまま流れていく景色を見ていた。
時折風に乗って彼女の花のような香りが鼻腔をくすぐる。不謹慎ながらその匂いにほんの少しだけ穏やかな気持ちになる。さらに不謹慎ながらこんな彼女を持つ隼人のことを羨ましくも思う。
今はいなくなってしまった隼人。高野は今一体どんな想いで日々を過ごしているのだろう。
そんな事を考えたこともあったけど、結局俺は途中で考えることを止めてしまった。
それを考えた所で何かが解決するわけでもない。それに悶々と考え込むなんて俺の性に合わないのだ。
そんな暇があったら少しでも強くなっていざという時に皆を守れるよう努力した方がよっぽどいいはずだ。
「……きれいだね」
「ふぇ?」
不意に高野がそう呟いた。
俺はいつの間にか高野をほったらかしたままだったことに気づいて間抜けな返事をしてしまう。
それを知ってか知らずか、高野は依然として前を向いて流れる景色を見ている。彼女の横顔は微かに微笑みを湛えていた。
「この世界はさ、マナに溢れていて、見える景色がすごく輝いて見えるんだよね。きれいだと思わない?」
「あ……ああ。まあな」
俺たちがいた世界にはなかったもの、マナ。それがこの世界には溢れている。
魔法を使用する際にここから力を借りて詠唱やイメージの力を高めることにより、それぞれの属性の技として具現化していくとかなんとからしいんだが。俺は魔法が使えない。
どうやら俺にはその才能がなかったらしい。
ただマナの存在だけは認知することはできる。確かにその美しさは俺でも理解はできる。所々の風景が輝きに満ちて、まるでその一つ一つが宝石みたいに見えるのだ。
「私たちが、この国を守ったんだよね」
「そう……だな」
何でこんな話をいきなりするのかよく分からないままに、それでも高野が言っていることに対しては俺も肯定の意を示す。というか実際そうだとも思うし。
「これからたぶん、もっともっと大変なことが待ち受けてるんだと思う。だからもっともっと強くならなきゃって。もちろん隼人くんを救うためっていうのが大前提なんだけど、町の人たちがね、私にすごく感謝してくれて、その笑顔を見て、ああ、頑張って良かったなって思ったの」
高野は遠くを見ながら話す。
俺に彼女がこんな話をするのは珍しいことだ。まあそういうことを言っていた相手が周りにいなくなってしまったからなのかもしれないが、とにかく俺は、高野の話に耳わ傾けながら、今までのことを少しだけ振り返っていった。
この世界に初めて来た時のこと。
敵に遭遇した時のこと。
ネストの村にたどり着いた時。洞窟に行った時。覚醒した時。グリアモールと戦った時。皆で魔物を撃退した時。山に籠って修行した時。アリーシャに逢った時。ピスタの街への道中。ヒストリアでの戦い。
これまでの様々な情景が浮かんでは通りすぎ、その度に脳裏に必ず現れる一人の女性。俺の中の彼女は色々な表情を俺に見せてくれる。
でも彼女は、彼女にはいつも笑っていてほしいんだ。どんな時も。俺はずっと、彼女の笑顔を守りたい。守れるだけの強さがほしい。
そう思って。ここまで頑張ってこれたのに。
「くそ……」
そこで俺は手綱を握る手を弛め、馬車を停めていた。
「工藤くん……。今、一体何を考えてるの?」
横を見ると高野が俺を見ていた。
すごく優しい目だ。まるで俺の心を見透かすような、だけどその優しさに俺は包まれながら、ほんの少し泣きそうになっている自分に気づいてそれを既の所で堪える。
「めぐみちゃんのこと……でしょ?」
「っ……!」
その名前にひどく動揺した。否定したってどうしようもない。俺は観念して黙って頷いた。
情けねえ、何簡単に落ち込んだみたいになってんだよ俺は。高野だって辛いだろうに。俺から何を言われるかわかった上で、そんな質問をするんじゃねえのか。
それでも口をつぐんでいる俺の肩にそっと手を置いて、高野はもう一度俺に語りかけたんだ。
「工藤くん。めぐみちゃんを頼むよ。私は大丈夫だから。ね?」
「高野……。俺は……」
俺は今度は高野の目をしっかりと見た。ここまで言われて、いや、ここまで言わせといてだんまりはもう嫌だった。
「高野、俺は椎名を助けたい。もしかしたらそんなことアイツは望んでないのかもしれねえ。だけどこのままじゃ俺はきっと後悔するんだよ」
そんな俺の目をしっかりと見据え、高野は強く頷いてくれた。
「今ならまだ間に合うよ。出航はお昼くらいって言ってたから」
高野の優しさに甘えてしまう俺が本当に正しいのかなんてことは分からない。
だけど俺は、いつだって思い出の中に、その中心にアイツを見つけてしまうから。俺は、俺が自分が行くべきだと思う場所に向かうと決めた。
「高野……ありがとう!」
「うん! めぐみちゃんをお願いします」
高野は俺に向かってペコリとお辞儀をした。俺は高野に目一杯の笑顔を向けた。
それから手綱を高野に渡し、馬車を降りる。アリーシャとフィリアも荷台から顔を出した。
「クドー、やはり君は行ってしまうのだな。残念だが、きっと……、きっとまた会おう」
「クドーさん! ファイトです!」
「二人とも、すまねえ! やっぱり椎名が心配だからよ。俺はアイツについていくことにするわ!」
俺は二人に軽く挨拶し、今は小さくなったヒストリアを見据え走り出そうとする。
「じゃあなっ! あっちの用が終わったら絶対合流すっからよ!」
「あっ! 工藤くん!」
走り出そうとする俺を高野が呼び止めた。
「そのまま全速力で走って!」
俺は高野の意図に気づいて一つ頷くと、両の足に思いっきり力を込めて走り出した。
そして高野の力ある言葉が背中から聞こえて。
「タイムトラベラー・スキップ!」
その声を最後に周りの景色は足早に動いていった。




