5-39
窓からは星の光が薄く射し込み、天井には魔力による灯りが煌々と照らされている。
部屋の中は十人近い者達がいるというのに思いの外静かであった。
この部屋は海が近い事もあり、耳をすませばさざ波の音が聞こえてくる。
その音は優しく心地好く、今この時の微かな緊張感を和らげてくれるようであった。
「ミナ達の滞在予定である最後の日、私はここを発とうと思う」
アリーシャの呟くようだが強い意思を持ったその言葉に美奈、椎名、工藤の三人は肩を揺らせた。
「また旅立つっていうの? それってどうなのかな。アリーシャはこの国にいるべきじゃない?」
真っ先に発言したのは椎名だ。
今回の戦い。ヒストリアの被害自体はそれ程大したものではない。
皆の尽力のお陰と言ってしまえばそれまでだが、国の中でやるべき事は見えた。
魔族の動きが本格化したと分かった以上、いよいよ警戒を強めなければならないのだ。
具体的な急務は軍備の強化だ。
ヒストリア王国は騎士団の力に絶対的信頼を置いていた。
だが絶対数が千人程度というのは明らかに少ない。
魔族の多くを占めるレッサーデーモンとある程度対抗し得る実力を持つ者がこれくらいというのは、今回一万を越えるレッサーデーモンが出現した事実を鑑みるとかなり心許ないのだ。
出来れば一般兵の中から底上げを量りたいものであるが、それにはかなりの時間を有するだろう。
今のヒストリアは満身創痍。次の襲撃に果たして耐えうるだろうか。
それに今、副団長のライラも抜けた。
ホプキンスやアストリアという上に立つべき者を欠いているのが何より大きいのだ。
ここでアリーシャまでが再びヒストリアを離れるのは正直痛手過ぎるのではないか。
そんな思考が椎名の脳裏を過るのだ。
「シーナ、この事は父上から頼まれた事なのだ。実は北方の国ホプティアに赴いた兄上、アストリアからの連絡がもう一週間以上途絶えている。元々国交は上手くいっていたとはいえない。兄上の身に何かあったかもしれない」
ホプティア王国とは剣のヒストリア、魔法のホプティアと言われる程この世界の二大大国ともいうべき国である。
だがこの両国は昔から戦いや思想の違いなどから互いを良く思ってはいない。
そんな中、今回のヒストリアでの事件を切っ掛けに使者を送り込んだ。
それがこの国で最も信頼のおける、強さと人望を兼ね備えたアリーシャの双子の兄アストリアだった。
彼は従者としてフィリアの姉であるフィリオと共にホプティアに向かっていたのだ。
「だがよ、アストリア程の男が簡単にやられるとは考え難い。あいつの剣の腕は最早俺以上だぜ?」
今まで黙って話を聞いていたベルクートが口を開いた。アリーシャもそれには同意する。
「ああ、私も兄上がやられたとは思っていない。だが連絡が出来ないような状態に置かれている可能性は高いと思っている。単純な強さだけではどうにもならない場合もあるからな。もし兄上が身動きが取れない状況に置かれてしまっているのなら、救援に向かう必要があると父上は判断した。もちろんそれは私も同意見だ」
「――なるほどね、話は大体分かったわ。でもそれってかなり危険な任務よね。それと本当にお兄さんを救うだけの目的なのかしら? もっと他に大きな目的がありそうだなって思うんだけど?」
「シーナ……」
ウインクを送る椎名に観念したように席に座り直すアリーシャ。
彼女は俯き深くため息を吐いた。
「やはり君は凄いな。先を見据える力が本当に」
椎名はサムズアップを決める。そんな彼女にアリーシャは薄く微笑んだ。
「そうだ。今回私は君達三人にこの旅に同行してほしいと思っている。その目的は兄上の救出だけではない。更に君達勇者の力を借りて、ホプティアと共に魔族と戦う盟を結びたいと考えている」
「そっか、そういうことなんだね?」
美奈の呟きに深く頷くアリーシャ。
「うん……まあいいと思うけど、そんなにうまく行くのかしら? 長年うまくいってない相手なんでしょ?
ともすれば敵になるかも」
「――うむ、そうだな。その可能性は拭えない。今回のヒストリアの事件もホプティアの仕業という線も完全には拭えていないのだ」
「え? それは魔族の仕業ってことでいいんじゃないの?」
「それはもちろんだ。だがな、どうもそれだけではないかもしれない」
「――というと?」
「ユリス教の存在だ」
「ユリス教? 何かヤバい宗教かなんか?」
突然出てきた単語に椎名は首を傾げる。
アリーシャは肯定とも否定とも取れないような、曖昧な反応だ。
「ユリス教自体はそんなに危険なものではない。だがこのユリス教には穏健派と過激派が存在してな。過激派がもしかしたら魔族との繋がりがあるのかもしれない」
「――ほう……なんか面倒そうな話ね」
「うむ。ユリス教は元々全ての世界中の生き物の共存を訴えたものだ。だが過激派は人とは魔族に滅ぼされるべき悪なのだという思想に準ずるのだ」
「はあっ!? どうしてそうなるわけ!?」
確かに椎名の反応は最もだ。
穏健派と過激派で内容が違いすぎる。
同じ宗教でどうしてこうも思想が異なるのだろうか。
「――詳しい事は分からない。だが世の中には一部、そういった考えを持つ人が確かに存在するということだ」
「――あ、それって――」
アリーシャの言葉に椎名はふと思い当たったように顔を上げる。
アリーシャも椎名を見つめ、こくりと頷いたのだ。
「うむ。ホプキンス。彼ユリス教の過激派の一人だったのだろうと考えているのだ」
「――やっぱり、ね」
「ホプキンスがユリス教の過激派一人で、仲間がもしかしたらホプティアにいるのかもしれないと。その繋がりについても追及していきたいと考えているのだ」
「う~む……やっぱり面倒だ……」
椎名は頭を抱え、美奈や工藤に至ってはぽかんとした表情を浮かべ話半分といった感じだ。
そんな三人を見てアリーシャは微笑んだ。
「まあそれは措いておいて、この任務は君達にとっても悪い話ではないとも思っているのだ。ハヤトを助けるには色々と国を見て回り、その都度情報を得ていく方が得策だと私は思う。魔族も他国に対しても侵攻している可能性が高い。さすれば自ずと魔族との戦いになり、何らかの情報を掴める可能性も高いだろう。勿論私も君達のその目的のために助力したいと思っている。何より君達には恩義を感じているし、本当の仲間だと思っているのだから」
アリーシャの強い眼差しに少なからず胸を打たれる三人。
勿論三人もアリーシャの事を大切な仲間だと思っていただけに、その言葉は単純に凄く嬉しかった。
三人は顔を見合せ軽く頷き合った。




