第4章 激闘を終えて…… 5-33
悪い夢を見ていた。
自分がどんなに頑張っても手を伸ばしても、決して届かない壁が目の前に広がり、結果自分を嘲笑うかのように指の隙間から砂塵のように大切なものが零れ落ちていく。
自分は一人では何も出来ないとてもちっぽけで矮小な存在なのだと。
そう思い知らされ身動きが取れなくなる。
手をどれだけ伸ばそうと掴み取れないものはあるのだと。
不意に視界が歪んでどうしようもない喪失感や悲壮感が胸を貫き、足に力が入らずもつれ、その場に倒れ伏す。
自分はこの世界にいない方がいい。
物心ついた時からそう思っていた。
周りからは疎まれ、妬まれ、忌み嫌われ、愛想もなく。自分に果たして生きる価値はあるのだろうか。何のために自分はこの世に生を受けたのか。
そんなだから何かに没頭していたくて、自分自身の価値を少しでも証明したくて、ただただひたすらに剣の道に没頭した。
それでもそんな自分に手を差しのべてくれた人がいた。
いや、今思えば元々手を差しのべてくれていた人は沢山いたのだ。
ただ自分が余りにも矮小過ぎて、気づかなかっただけで。
結局自分自身を一番嫌っていたのは他でもない自分自身だったのだ。
その事に気がづいた時、世界が色を変えた。
世界はこんなにも輝きに満ちていて、たくさんの大切なものを自分に与えてくれた。
だがそんな輝きも長くは続かない。
たくさんの大切なものは、ほろほろと脆くも崩れ去っていったのだ。
また暗闇に堕とされるのか。
また一人ぼっちになってしまうのか。
とても怖かった。
自分が得てきたものが目の前から消えていく事がこんなにも恐ろしいのならば、最初から無い方が良かったのではないか。
その方がよっぽど楽だったに違いない。
でも、もう遅い。
知ってしまったから。
多くの大切なものの存在を。
共に過ごしたかけがえのない時間を。
無かった事になんて決して出来ないから。だから諦めず前を向いた。それが自分のわがままなのだと思いつつも。
歯を食い縛り目の前の闇に立ち向かった。
自分は決して一人では無かったから。
自分を仲間だと呼んでくれる大切な人達がいたから。自分のわがままをかけがえの無い大切な想いだと言ってくれたから。
そんな人達がいたから自分は想いのままに精一杯駆け抜けられたのだ。
そして知った。
守るべきもののために自分の気持ちに素直になる事の尊さを。
━━私は彼らの手を取り、目の前に広がる大きな闇に向けて剣を振り下ろした。
「━━━━?」
アリーシャは目を開いた。
まだ夢心地だったけれど、見知った天井を見上げ、ここがヒストリア城の自室であるという事だけはすぐに分かった。
「アリーシャ! 目覚めたの!?」
横から声を掛けられそこで初めて部屋にいるのが自分だけではない事に気づく。
「━━ミナ……、これは?」
アリーシャはまだ混濁する意識の中で、記憶を必死に手繰り寄せ自身の最後の瞬間を朧気に思い出した。
朧気だった記憶が確かな輪郭を持ち始めた頃、彼女は弾かれたようにベッドから身を起こした。
「━━ポセイドンは!? ポセイドンはどうなったのだ!? 津波の被害……は?」
飛び起きたはいいものの、急に活動を始めたばかりの体は思うようには動いてくれなかった。
頭がぐらつき、起き上がった側から再び昏倒しそうになる。
そんなアリーシャを美奈は優しく抱きとめ微笑んだ。
「大丈夫だよアリーシャ。全部終わったから。津波も防ぎ止めたし、ポセイドンも倒したよ。アリーシャは3日も寝てたんだから。あんまり無理しないで?」
「━━そ……そうか」
アリーシャは美奈の柔らかな温もりと言葉に、安堵の気持ちが湧き上がる。
それと同時に三日も自分が寝っぱなしだった事に驚いた。
それ以外の事も、次々と疑問となり沸々と思い出されていっては泡のように消えていった。
彼女の頭は今はまだそれ程働いてはいないのだ。
聞きたい事は沢山ある。
けれどその中で、結局アリーシャが今最も気になっている事、それだけを確認しようと改めて口を開いた。
「ミナ……フィリアは……フィリアはどうなっ……た?」
口の中が渇いて思うように声が出せなかった。
言い様のない恐怖が胸に湧き上がる。
フィリアの名前を口にした瞬間から手が震えだした。
美奈はそんなアリーシャを見て少しだけ緊張した表情を見せた。
空気が震えた。そんな気すらする。
アリーシャの寝ているベッドはお姫様のそれとあって大きな天幕付きのものだった。
豪奢ではあるが同時に見通しも悪い。
アリーシャは不意に美奈ともう一人、部屋に誰かいることに気づいた。
天幕の陰から心配そうに、申し訳なさそうに、涙を浮かべながら自分を見つめる人影。
幼少期から共に育ってきた、長い長い年月を共有してきた家族のような存在。
「フィリア!!」
「アリーシャ様!!」
アリーシャの目からも大粒の涙が流れる。
嬉しさと、安堵と、喜びと温かさが胸一杯に広がり、それがどんどん身体の外へと溢れ、涙は止まる事を知らなかった。
二人はまるで子供みたいに、幼少期に立ち返ったかのように抱き合い、ただただ再会を喜びあったのだ。




