5-32
「……? 隼人くん?」
戦いの合間を縫った私の言葉に美奈は驚いたというよりは呆けたような表情を見せた。
一瞬にして訪れる静寂。
「……ククク……ハヤト。それは一体どういう意味かナ?」
グリアモールのその無表情な顔からは胸の内までは知りえない。
だがその声音は嬉そうに思えた。
私は一瞬だけ美奈の方を見た。そして目が合う。
何も言わない私を見つめる美奈の目が少し大きく開かれて、固まっているように見えた。
私は美奈からは視線を逸らし、体をグリアモールの方へと向ける。
「グリアモールよ。だから私はお前と行くと言っているのだ」
この場を切り抜ける最善の方法は最早これしか思いつかなかった。
美奈は死線を乗り越えて目覚ましい成長を遂げた。
けれどそれでも目の前の魔族には力が足りない。
どう足掻いても勝ち目はない。
以前私はネストの村でグリアモールと一対一の勝負を挑んだ。
それは私がグリアモールにダメージを与えることができたら金輪際私達には関わらないというもの。
グリアモールはあの時、勝負の直前に改めて私に問いかけたのだ。
『私が負けとなるのハ、私がダメージを受けた時でいいんだネ?』
要するにあの時、私はグリアモールに欠片ほどもダメージを与えられていなかったという事。
これは私の予想、といってもほぼ確信に近いのだが、グリアモールは何らかの方法でダメージを受けない秘密があるのだ。
それを突き止めない限り私達が何をしようとこの魔族には勝てないのだ。
要するに、このままでは美奈は確実に負けるのだ。
私にはそれを黙って見ているなど到底できない。出来るはずもない。
グリアモールには何か企みがある。それはここまでの奴の言動や行動を見ていれば解る。
そのグリアモールが今望むこと。
それは私がグリアモールと共に行くことだ。
このまま戦いを続けても無意味。
きっとグリアモールは躊躇いなく美奈の命を取りにくるだろう。
そういう意味では意味があると言えるのだが、そんな事は絶対にさせない。
この命に代えても守りたいものがある。
それはずっと変わりはしないのだ。
「……ククク……クックックッ! ハーッハッハッハァッ!! ハヤト、やはりお前はすばらしいヨっ! うん、いい選択ダっ! 実にイイよ!」
歓喜するグリアモール。
これ程興奮するグリアモールを初めて見た。
正直奴を喜ばせるのは不本意極まりないが、致し方ない。
ゆっくりと、それでも確かな足取りでグリアモールへと私は歩を進めていった。
「ククク……大丈夫、別に殺すつもりはないンダ。何なら痛め付けたりもしなイヨ。ただ私と来るだけでいいんダ。大丈夫さ、必ず君たちはマタ会えるよ。諦めなければきっとダ! それは私が保証シヨう!」
愉快そうに話すグリアモール。奴の言葉はもう、頭には入ってこなかった。
やがて私はグリアモールの目の前へと辿り着く。
美奈は今どんな顔をしているだろう。
背中越しにこちらへと視線を向けているのを感じる。
この成り行きをどうにかしなければと思っているかもしれない。
だがこの状況を拒絶したところで結果が予想できてしまうから、どうにもできないでいるのかもしれない。
ただの予想でしかない思いを描きながら、私は彼女の顔が見れないでいた。
そんな時、誰かに服の裾を掴まれた。
美奈かと思い振り向くと、そうではなかった。
私と契約を結ぶ精霊、バルだ。
「――バルは私と契約を結んだ精霊だ。一緒に連れていく事になるが」
契約がある以上離れられないのだ。
だがそれは私自身に武器を携帯させることと同意だ。
難色を示されると思ったのだが、意外にも返答はそういったものではなかったのだ。
「ああ、構わなイヨ。ただ変な真似だけはしないよう嗜めてくれヨ? 私にはそんな精霊の攻撃などかすり傷にもならないんだかラネ。私にこれ以上ムダなセッショウをさせないでクレよ?」
「……分かったのだ。バル、絶対に手を出すな」
「……うむなのじゃ」
バルの声音は思いの外低く、重いものだった。
冷静に状況を観察しているのか、機を伺っているのか。今は大人しく私の言葉に従っている。
「ククク……じゃあそろそろ行くヨ?」
そう告げた途端、グリアモールの目の前に暗い闇のホールが生まれる。
それはまるで地獄へと続く入り口に思えた。いや、実際地獄なのだろう。
その虚空の中へと足を踏み入れれば、そこは自分の力ではもう後戻りできない精神世界が広がっている。
色々と考えると歩を進める弊害になりそうだ。
私はすぐに邪念を振り払い、そこへ踏み入る覚悟を決める。
最中、だが最後にこれだけはと足を止める。
やはりこのまま黙って去るなどできるわけがないのだ。
そうならないよう努力するつもりだが、これが今生の別れになるかもしれない。
少なくとも当分は離れ離れになることは避けられない。
愛しい彼女の顔を見ずにこのまま行くことはどうしても憚られた。
「……ククク」
グリアモールが精神世界の入り口に立ち、不敵に笑う。
だがそれだけで止まったまま、前に進んではいかない。
私の心を見透かされているようだ。
最後の情けだとでも言うのだろうか。
ならばと私は背を振り返る。
もう一度だけ最後に美奈の方を振り返り、彼女を見つめた。
ふと見た彼女の表情は、これまで私が見たどんな表情とも違う。
そこには悲しみや怒り、親愛や慈愛。様々な感情が読み取れた。
それは私の心に深く突き刺さり、強く強く楔のように打ち込まれたのだ。
目が合ったのをきっかけに、美奈は金縛りが解けたように弾かれ、叫んだのだ。
「隼人くんっ! 行っちゃダメだよっ!!」
切実なその声に、私はゆっくりと首を振る。
胸に熱いものが込み上げてきた。
「私は行く。だが諦めたわけじゃないのだ。だから……だからきっと、また会おう。……きっとだ! 美奈!」
「だめっ!」
美奈が彼我の距離を駆けてくる。
戦う事も精霊を使役する事も忘れ、全力で、無我夢中で駆けてきた。
だが彼女に触れてしまっては駄目だ。
「……だめだよハヤト……これ以上ハ……ククク」
私の心を見透かすように耳元でグリアモールの声が囁かれる。
「……分かっているのだっ」
私はもう振り返らなかった。
後ろに彼女の息づかいを感じながら、暗くどこまでも無限に広がっていきそうな闇の中へ――自身の身を投じたのだ。
「はや……!!」
私を呼ぶ声は最後まで耳に届くことはなかった。
彼女の声が届くより早く、私は精神世界へと身を滑り込ませたからだ。
私が去った後、一人取り残された彼女のことが思われて後ろ髪が引かれたが、今の私にはもうどうすることもできなかった。
「ククク……」
前を歩くグリアモールが笑う。
それに激しい怒りが湧くことはなかった。
ただ、自分自身の無力さに情けなくなっただけだ。
不意に自分の手を力強く握る圧力を感じる。
視線を下に向けると、そこにはバルの姿があった。
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隼人が去った後の空間は寂々(じゃくじゃく)としていた。
ほんの少しの頬を撫でる風だけが震える彼女を包み込んでいる。
空は薄く白み、夜明けを知らせてくる。
明け方の空の明るさとは裏腹に、美奈の心は薄暗いまま。それでも涙は零れない。
彼女は不意に唇を噛み締め顔を上げる。
くるりと踵を返すとつま先にコツンと瓦礫の破片が当たってころころと数メートル先へと転がっていった。
構わず美奈は歩いていく。すぐ近くで気を失っているはずの仲間の元へと。
オリジンは彼女の中で、その心持ちの全てを余すことなく見つめ続けていた。
掛ける言葉は見つからない。
ただオリジンも彼女の心に触れながら、この主にこれからしっかり尽くしていこうと、そう思うのだ。
彼と、彼女の戦いにはたくさんの優しさが詰まっている。
ここヒストリアでの戦いは、今度こそ本当に幕を閉じたのだ。




