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「これが……グリアモール」
美奈はふと呟いた。彼女にとっては始めての邂逅。自身がグレイウルフの毒に冒された際、解毒の花を取りに行った先で出会った最初の魔族だと聞かされていた。
隼人が戦いの末に倒したと言っていた筈だがそうでは無かったらしい。
実際に目の当たりにすると、想像していたよりもずっとおぞましいと思った。
今まで見てきたどんな生き物よりも醜悪で、不気味で、恐ろしいと。
体長は二メートル以上はあるだろうか。人の形をしてはいるものの、体は灰色で頭から三本の角が生えており、目は白い。鼻はいびつに歪み、頬まで裂けた口からは鮫のような牙が並んでいた。腕は丸太のように太く、足元まで伸び、背中からは三枚の翼のようなものが生えていた。足は二本だが、膝から下がさらに二本に分かれている。
これが魔族本来の姿という事なのだろうか。
一体魔族というのは何なのだろう。
レッサーデーモンは似通ってはいるけれど、それ以外の種類の魔族はそれぞれが独特の姿形をしていて、とても同じ種族とは思えない。
ここは異世界。そもそも自分の世界の物差しで計ること自体間違いのような気もするが、それでも何故こんな種族が存在するのかという疑問は消えない。
敵であったとはいえホプキンスを殺し平然と私たちの前に現れた。まるで何も、大したことはなかったかのように。
ホプキンスの変わり果てた姿を見て、美奈はグリアモールに対する嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
ホプキンスのあの表情からは壮絶な死に際が容易に想像できた。きっと拷問のように苦痛と絶望を与えた末に殺したのだろう。
どうしてそこまでの事が出来るのか。到底理解出来ない。
吐き気すら覚える身体を鼓舞しながら、それでも美奈はグリアモールをすっと冷静な目で見据えた。
グリアモールの目的は当然自分達を殺す事に違いないのだ。それは今この状況でグリアモールを相手取る事に等しい。
殆どの仲間が戦線離脱し、まともに戦えるのはほぼ自分だけというこの状況でだ。
「君に会うのは初めてだねえ……」
グリアモールは大広間に音もなく着地し、どこを見ているか分からない瞳で静かに話し掛けてきた。
隼人はバルを背負いつつ、ゆっくりと美奈に近づき三人揃ってグリアモールと対峙した。
「何なんですか。突然現れて。あなたも私たちを殺そうとするんですか? その人のように」
至って冷静な美奈の物言い。隼人は心の中で美奈のその態度に驚いていた。普段から大人しくどちらかと言えば引っ込み思案な美奈がこんな状況で平然と異形の者と会話している。その事が信じられないのだ。
勿論それは美奈自身も感じている。オリジンとの契約を結んでから自分でも信じられないくらい心が揺らがないのだ。目の前で死体を見ているというのに、動悸が少し早まる程度。
普通死体などを初めて見た人はきっと動揺し、震え
嘔吐し、冷静ではいられない筈だ。
だが今の美奈は何があっても常に冷静に状況を俯瞰して見ていられるのだ。
だがそれは今この瞬間に於いては利得以外の何物でも無い。
「ふむ……中々いいじゃないか。今の所四人の中では君が一番有望株だ。実に素晴らしいよ。ククク……」
グリアモールは美奈の質問には答えず、彼女を値踏みするように顔を上下に揺らしている。
身体中に怖気が走るが、それでも美奈は思いきりグリアモールを睨み返すのだ。
「おやおや、これは怖い。早く退散しようかな。ククク……今日は別に戦いに来たんじゃないんだよ」
「え? 一体どういうことなの?」
美奈の質問に笑みを浮かべたまま続けるグリアモール。
「ククク……私はね、君たちにすごく満足しているんだよ。こんなに早い成長を見せるなんて思いもよらなかったからさ。そういう意味ではポセイドンも中々いい働きをしてくれたよ」
「……ポセイドンはお前の仲間では無かったのか?」
隼人はグリアモールの口振りから微かな違和感を感じる。
「ククク……流石ハヤト。今のセリフだけでそこまで読んじゃうんだねえ。……ああ、ポセイドンは私とは別に勝手に動いていたよ。中々強情な奴でね。私の言う事なんて聞きやしないんだよ。だから好きにやらせたよ。少しひやひやしたけどねえ。君たちはやっぱり私の見込んだ通り、飛躍的な成長を遂げて見事彼を打ち倒した。本当によくやったよ」
グリアモールは拍手でも送ってきそうな程に満足気に見える。
しかし魔族は皆が徒党を組んで自分達に攻撃してきているものだとばかり思っていたが、実際そうでは無いようだ。
「この人間はね、本当はどうでも良かったんだけどさ……流石に目に余ったんで殺しておいてあげたんだよ。ほら、人間のくせに僕の同胞を弄んだりさ。随分と生意気だったからねえ。君たちにとっても面倒な相手だっただろう? 利害が一致していると思って手を貸してあげたんだ。まあ私からのご褒美みたいなものだよ。喜んでくれたかな?」
グリアモールはホプキンスの亡骸を脚でぐちょぐちょと踏みつけた。
「何を言っているの? 誰が殺してくれなんて頼んだんですか? ……なんて……なんておぞましいの?」
何を言っても表情は変わらず、依然ホプキンスを踏みつけ続けるグリアモールに胃液が逆流してきそうな気持ち悪さと目眩を覚える美奈。彼女にしては珍しく怒りに手が震え、今にも食い掛かっていきそうだ。
だがそんな美奈を隼人が手で制する。
「御託はいいグリアモール。今回のお前の目的とは一体何なのだ。戦う気が無いというのなら何のためにわざわざ今ここに姿を現したのだ?」
グリアモールに問い掛ける隼人。
確かにこんな化け物とまともな会話をしようとしても俄然無理な話だ。
相手にしても何もいい事は無い。
こうやってこちらの心を揺さぶり楽しんでいるだけだ。
こんな事であれば単純に要件だけをやり取りする方が正しい。
「ククク……。そうだね。君たちは今回の戦いで疲れているだろう。本当はもう少し話していたかったけど、そろそろ休みたいだろうから手短に済ませるとするよ。では単刀直入に言おう」
グリアモールはほんの少しの間を置いた。暫しの沈黙がやけに長く感じられる。
「ハヤト……君には私と一緒に来てもらうよ」




