第3章 最後の戦い 5-23
ここまでの激しい戦いで椎名もアリーシャも力を使い果たし倒れた。
今ここに立っているのはいよいよバルと融合した私とポセイドンのみとなってしまった。
ポセイドンはフィリアの体から抜け出て遂に本体を現したのだ。
「我をここまで追い詰めた事は褒めてやろう。だが、貴様は我を怒らせてしまった。必ず息の根を止めるぞ。……必ずだっ! さっきのような事は起こさせぬっ!」
ポセイドンが激昂している。その声はとてもしゃがれていた。
フィリアの中に巣食っていたポセイドン本体。
その姿は高位魔族と呼ぶには余りにも醜く凄惨な姿であった。
体は蜥蜴のようなざらついた質感と様相。その皮膚は湿り気を帯び、その至る所からまるで膿か何かのようにポタポタと体液を垂れ流している。顔は酷く腫れ上がり、ぶつぶつと赤緑色の水疱が幾つもついて元々の原型を止めていない。足があるべき場所には魚のヒレがついていた。
一言で形容するなら蜥蜴人魚、だろうか。
だがあの様相では恐らくまともに移動出来ないのではないだろうか。移動の際にはヒレを引き摺りながらでないと無理なように思える。本来自身ではまともに動く事すら出来ないのだ。きっと元々何かに寄生する事で活動しているのだろう。
こんなに醜い魔族の姿を前にして思いの外冷静でいられている。バルと融合しているせいなのだろうか。いや、違う。
私は心の何処かでこの化け物を初めて見るような気がしないと感じている。不思議な現象だが完全に初めて会うポセイドンの本体に妙な既視感を感じてしまっていたのだった。
「何と……」
ポツリと私は呟く。その呟きにポセイドンの顔色が変わる。
「貴様……それ以上言葉を紡ぐ事を禁ずる」
明らかに怒気を孕んだポセイドンの物言いに、その先の言葉を飲み込む。初めて魔族の心からの感情のようなものを感じた気がした。
ポセイドンのプレッシャーに当てられながら私は怖じ気づくでは無く、逆にそんな事で引く気は無いと。そんなある種の使命感のようなものに駆り立てられた。
私はこの感情の昂りに若干戸惑いつつもポセイドンを睨み返し、自身の言葉を紡いだ。
「……ポセイドン。お前は醜い! その心も! その体も! 全てが醜く過ぎて反吐が出るのだ! 私がお前を倒して全てを終わらせる! 必ずなのだ!」
言葉を発するにつれて胸の内に熱いマグマのような感情がドロドロと漏れ出てくるのを感じていた。
ここまで仲間が傷つき、自分自身も傷つき、多くの哀しみや苦しみがあった。
一国の規模でこれなのだ。このまま放っておけば、魔族によってこの世界で一体どれだけの人々が傷つき哀しみに暮れる事になるのか。
絶対に阻止してみせる。そして私は、私達はこの世界に平穏を取り戻しきっと元の世界に帰りついてみせるのだと強く思った。
正義感とか勇者だからとかそんな大それたものではない。
ただ人として、一人の人間としてそうありたいと願うのだ。
「この腐れ人間がああっっっ!! 我を愚弄するかあっっ!! 殺してやるっ……殺してやるぞおっ!
! ぐちゃぐちゃに引き裂いて苦しませて殺してやるっ!!!」
迷いの無い私の返答にポセイドンは益々猛り狂った。
がなり立て、身を震わせ、びちゃびちゃと体液が飛び散った。
ポセイドンはそんな事を気にも留めず、私に対しこれ以上無い程の敵意を露にした。
私はこの時半ば確信的に思った。
高位魔族ともなれば他の下位の魔族と違い感情を持ち合わせているのだと。
もしかしたら逆説的に上位魔族になっていく切っ掛けとして感情を持つ事が関係しているのではないだろうか、などと。
そんな事を考えながら私は相棒に呼び掛けた。
「バル……大丈夫か」
『っ!? ……うむなのじゃ!』
バルの声は一見元気に思えるがふと相当無理しているのではないかと思った。
精霊バルとの融合には実はリスクが生じているのだ。
そのリスクとは至って単純な事だ。バル自身が時間と共にその肉体にダメージを受けている。こうしているだけでもじわりじわりと彼女の身体を毒素のように蝕んでいくらしいのだ。それがここまでバルとの融合をしてこなかった理由。
実際それがどの程度のものでどのくらいの時間バルが融合に耐えられるのかは分からない。だがこの状態を解くのに早いに越した事は無いのだ。
もしかしたら限界が近いのかもしれない。だが弱音は吐いていられない。バルもそれは分かっている筈だ。その証拠に私の心の声を聞きながらも何も言ってくる事は無い。
いつもと変わらず元気な声を上げてくれる私の精霊に感謝と信頼を送りながら、私達は持てるカードを切っていく。
「行くぞっ!! 雪月花!!」
エルメキアソードのように可視化した半月型の精神エネルギーの刃をポセイドンへと飛ばす。
見るからに動きが鈍そうな姿形。避けられないとた高を括って先手必勝の構えを取る。
「小賢しいわっ!」
しかしその刃はポセイドンの一括により霧散させられてしまう。やはり私の攻撃力では無力化など簡単にされてしまうのだ。
だが私とてこれで終わるつもりは毛頭無い。
「雪月花乱舞!」
ならば手数で勝負とばかり、夥しい数の刃を放ち続ける。今の動きを見るに私の技を打ち消す事自体は難しい事では無さそうではあるが、一発一発小回りが利かないように思えたからだ。
「小賢しいと言っている!!」
結局今度は先程以上の魔力波で、私の技の全てを相殺していった。しかし私もただ単に無駄撃ちしていた訳では無い。
「がはっ!?」
雪月花の乱舞に隠れるようにして死角にもう一つの刃を忍ばせ、もう一波の雪月花を放っていたのだ。
技の出し終わりにはどうしても僅かながらも隙が出来てしまうものだ。特に大振りの技となれば尚更である。
私は数に物を言わせてより大きな魔力を要する技を放たせておいて、その隙に刃をポセイドンへと命中させたのだ。
「くっ……、本当に小賢しいやつであるな。我をここまで追い詰め、滅ぼそうとしてくるとは」
手傷は負わせたものの、やはり浅い。
上位魔族ともなればそれだけ大きな強い力で叩かねば、多少のダメージなどものともしないようであった。
そもそもダメージを与える事自体が容易な事では無いように思える。
「だが、それでも我の勝利は揺るがぬ。フフフ……受けるがよい」
ポセイドンは何度目かになるニヤついた笑みを顔に貼り付けながら、次の一手を打ってくる。
「ウィーバー・フィールド」
突如としてポセイドンの周りに黒い靄が生まれた。
そしてその靄はどんどんと室内に広がっていく。
「!?」
その靄がやがて目の前の視界を遮っていく。
そして深く考える猶予を与える事も無く、あっという間に私の逃げ場は一切合切塞がれてしまっていた。
「しまっ……!」
私は抵抗など虚しく、その靄を避ける間もなかった。視界が黒く染まり身体の自由が奪われた。




