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アリーシャは一旦大きく後ろに跳び、ライラから距離を取る。
アリーシャは全身の疲労感と倦怠感に苛まれながらも再び剣を握る手に力を込めライラを見据えた。
「確かに私の技はお前に比べれば粗く、こうなってしまうのも当然の事かもしれない」
アリーシャは自身を鼓舞するように、身体全体にエネルギーを充填させるように気を発した。
歯を食い縛り、倒すべき相手から目を放さない。
「だが私の力が不足している事と、この勝負の行方とは別問題だ! ライラよ! これから私は今までの人生の全てを掛けた一撃を放つ! やれるものならば、それを打ち砕いて見せろ!」
その言葉を聞いてライラは再び目の前の獲物に興味を示したように、目を細め、そして少し満足気に微笑んだ。
「そう、なら見せてもらおうかしら? あなたの全てを掛けた一撃というものを」
アリーシャは静かに目を閉じた。
荒かった呼吸も鎮まり、アリーシャの体から魔力のオーラが立ち上り始める。
全ての時間の流れがその鳴動を止めるような一瞬の静寂。
そしてその静寂に色を添えるように、魔法の詠唱が紡がれ始めた。
「我が身から創造されし闇のマナよ」
アリーシャの内から闇属性のマナが沸々と溢れ出していく。
闇魔法を属性変換の剣に込める事により光の剣へと姿を変化させ、魔族であるライラへの弱点となる光属性の剣での攻撃。
これならばライラに取って相応の効果が期待出来るのだ。
だが今更その程度の事では顔色一つ変える事の無いライラ。
手の内は知られている。当然だ。
「闇魔法ね。だけど多少の魔法の強化を行ったくらいで私達の力の差は埋まらないわよ」
アリーシャを見据えながら悠然と微笑むライラ。
ライラには余裕がある。
そうでなければ悠長に呪文の詠唱の終わりなどを待つ必要は無いのだから。
こうしている間に隙だらけなアリーシャに攻撃を加え、魔法を完成させる暇を与えなければいいだけ。
だがライラはそうしない。
もしこの魔法が発動したとして、幾ら剣の攻撃力を上げても結局当のライラに当たらなければ意味が無い。
これまでライラとアリーシャは幾度と無く剣を交えて来ている。
だがその実、アリーシャは一度たりともまともな一撃をライラに入れられた事が無いのだ。
だからライラにとってこの魔法自体は脅威でも何でも無いのだ。
それでもアリーシャは詠唱を止める事は無い。
その様子にライラは少なからず興味を抱いていた。
アリーシャはこれから自身の全てを掛けた一撃を繰り出すと言った。
その意味を計りかねているのだ。
「我が心の箍を解き放ち 深淵の闇を落とせ」
「!? ……ダークでは無い?」
アリーシャの詠唱に耳を傾けながら疑念と少しの高揚の表情を見せるライラ。
アリーシャと今まで何度手合わせをしても、使う魔法はダークのみ。
それ以外は習得していないものだと思っていたが。
やはりあったのだ。
ライラ自身も見たことが無い奥の手が。
ああ……いい。
それでこそここまで自身の手で鍛え上げてきた甲斐があったというもの。
もはや異世界から来たという勇者などどうでもいい。
ライラにとっては目の前の剣士こそ自分を至高へと押し上げてくれる存在に違いないとそう確信する。
アリーシャの詠唱が二節目を言い終えた途端。
アリーシャの体から夥しい闇のオーラが立ち上がる。
まるで黒煙のように揺らめきながら彼女の体を包み込むように。
あっという間にアリーシャの姿が禍々しい黒いオーラに阻まれ、ライラからは視覚する事が困難になった。
「くっ! ……がっ……はっ……!!」
それを機に明らかに苦しんでいるアリーシャの声が響く。
今もゆらゆらと黒く、昏い瘴気のような靄が彼女の身体を蝕み、広がっていくようだ。
「黒く 黒く 染められた闇は全てを無に還す」
それでもアリーシャは詠唱を進めていく。三節目を言い終え、彼女を包む闇が一層黒く、濃くなったかと思うとそれは大きなブラックホールのような球体を形作った。一種の障壁のようにすら思えるそれは、未だアリーシャの剣では吸収しきれず更にアリーシャを苦しめる。
「がっ……あっ、あ……あ……」
やがて不死人のような呻きを上げながら遂にはその詠唱さえも止まってしまう。
ライラは思わず目を見開き舌打ちした。
「馬鹿なことを!? これでは技を出す以前に自滅するわっ……」
吐き捨てるように呟きを漏らすライラ。
現に今、アリーシャは正気を失いかけていた。
いや、自身の心から生み出された闇に呑まれそうになっていると形容した方が正しい。
闇魔法の難しい所がこれだ。
闇の魔力とは自身の心から生まれ出づるもの。
心を強く持てぬ者、また、心の闇が大きすぎる者などはその魔力に呑まれてしまうのだ。
使い手が少ないのもそのためだ。
アリーシャ自身もこうなる畏れがある事を見越して今まで使ってこなかった魔法である。
実際今が初めての詠唱であった。
だがアリーシャとてそれは承知の上。
こうまでしなければ目の前の相手に太刀打ち出来る術がない事を悟ったがための賭けに出た。
だがそれは一種の暴挙と呼べる所業だったのかもしれない。
未完成で不完全なこんな魔法で目の前の敵を討ち滅ぼせる程ライラは甘くない。
結局アリーシャはまだまだ未熟という事なのだ。
アリーシャの脳裏には今、様々な苦々しい体験や恐怖を感じた気持ちなどが去来し、その苦しみに気が狂いそうになっていた。
最早正気を失いかけている。
いや、もう失ってしまっているのではないか。
そして今自分が何をしているのかすら分からなくなり、その心は何故こんな苦しい思いをしなければならないのかという憎しみの感情に塗り替えられようとしていた。




