bokunenjin
ジョセフに一通の電子メールが届いたのは、その翌朝のことだった。ジャーナリズム・スクールの生徒の一人で、ジュネーブで特ダネの取材をさせている春日綾乃からだった。
『可愛い生徒を、見ず知らずのスイスに一人で置き去りにしておいて、ご自分だけそんないいことをなさってたんですね。まあいいですけど。
それより、バレンタインデーに差し上げたショコラーデ・トルテのお返しだと思って、すこし力を貸してください。あたしのコネクションでは、CERNの上層部にコンタクトできません。先生の取り柄は人脈くらいしかないんですから、なんとかしてくださいね。
だいたい先生は、女の子の扱い方を知らなさすぎです。そんなことだから、いい歳をしてまだ独身なんですよ。ほんとに朴念仁なんだから』
綾乃からのメールは、そう結ばれていた。
ジョセフは苦笑いをして、そのメールをスマートホンの受信フォルダに保存する。
綾乃の方は、もう少しの間ほうっておいてかまわないだろう。手を貸すのは容易いが、彼女が本心からそれを望んでいるとは思えない。どのみち彼女の手におえるような事件ではないから、そのうち諦めて帰ってくるだろう。それより……。
ジョセフの脳裏に、ニューヨークの夜景を見つめていた美穂の横顔が思い浮かぶ。胸を満たすほのかな想いは、久しぶりに味わう甘さだった。
そうだ、今日もあの店に、ブラウン・ポテトを食べに行こう。そして、「bokunenjin」という言葉の意味を教えてもらおう。
ジョセフは、マウンテンバイクをフィフスアベニューに向ける。財布が入っているはずのスラックスのポケットに違和感があるが、きっと気のせいだろう。