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私の思うこと、感じること

表現の自由と言う権利、間違えてないですか?

作者: 黒井 陽斗

これはあくまで個人的な考えであり、法的な解釈とはまた違うと思われるでしょうが、最近なろうのエッセイを見て表現の自由って言葉を履き違えていませんか?と言いたくなる事があります、21条のは国へ向けて言ってることで、個人ではないというのは私も知っていますし、そういうことを言いたいのではなく、あくまで憲法前文で語られる人権相互の考えで考えれば自由というのは、自分が権利を主張するなら他人の権利を侵害しないのが大前提です。


ですが批評をする=侵害だと考える方が多いんですが、批評というのは意見であり、意見を自由に言ってるだけの人を自身に都合が悪いから悪だと決めつけ黙らせる事って、実は相手の自由を侵害する事だと私は感じるのです。


もちろん『やめろカス、しね、クソ』でしたら意見ではなくただの暴言で駄目だと思います、ですが『つまらない、面白くない、設定が可怪しい』ならあくまで個人の意見だと感じます、人間ですから好き嫌いやスタンスの違いはありますし、それを読者は言ってもいいし、作者はそれを聞いて自身で思うように判断する自由もあります。


特になろうは作者が書きたい事やデビューが優先になりがちです、だから強引で知識が足らず設定に無理が多い事も特徴と言え、それに素人の作品ですからしっかり設定を練る人なんで一定層しか居ないでしょうし、気楽に思いつきで書く方も多いでしょう。


こういう風土ですから、細かい事は言わず面白ければ良いと思う人って声が大きいですし、その方の同調圧力も非常に強いです、反対にゆっくりきちんと書いた作品が読みたい方には非常にやりにくい空気があると感じます。


この問題の原因としては、人生経験の少ない人が相手にも権利があると知らず、作品に良かれと思って叫び、作者も素人であるので都合が良いから乗っている感じですね、これが絶対悪だとは言いません、皆仲良くは理想ですから悪くはないんです。


ですがなろうは読者側の皆さんの要求的に短期間で続きを出さないと人気が出ない、人気を得たい多くの作者は、そこから考える事を放棄し、面白さとスピード重視で思いつきで物を書く方向になり、人気が欲しいからノリだけで穴があっても突き進み、毎日更新をすることが価値であると、読者も要求する。


この現状は人気が欲しいから善悪考えずに思いつきでお店の冷蔵庫入ったり、コンビニおでんツンツンするのと根本では大して変わらないのではないかと、私は感じてしまいます。


彼らは動画サイトで活躍してたりSNSで自身の考えた面白さで表現を楽しんでいますが、貴方自身に迷惑かけられた訳では無くとも、多くの人は見たら不愉快でしょう。


そうして彼らの写真や動画を勝手に見て、直接事件に関係ない多くの人が不愉快だと思うから社会問題として大きく取り上げられて、報道やニュースになっただけなんです。


よくネットで見る嫌なら見るなって、大勢の人が興味持ってると勝手に色んな所で出て来ますから結構難しいですよ、犯罪行為以前にネットに上げなかったら、お店と本人だけで片付けられる程度の小さな問題ですが、自ら行動を自分でネットにあげて不特定多数に晒したから拡散し、沢山の人から攻撃が集中したんです。


あの映像を見て彼らを擁護する人はそう居ないし、ネットサーフィンしてて偶然見てしまった人に見た奴が悪い、見なければ良いなんて言う人はそう居ないでしょう?なろうにも同じ事が言えるのですよ。


人気作になればランキングや新着レビュー、他の方の活動報告だったり、果ては読み専の方の選んだお勧めエッセイなんてのでも見たりしてしまいます、こんだけいっぱいあるのに嫌なら見るなと相手言うと、なろうをやめろと言っているようなものではないですか?なんて思います。


これは罪には成らないでしょうが、同調圧力によって反対者を追い出そうとする行動ではないかとも思います。


複数の個人によるなろうを利用したい表現に対しての侵害になり得るし、見る人はすべて何らかの我慢をしているのだから、嫌なら見るなと書いたり言ったりすること自体は否定はしませんが言わない方が良いと感じます、せいぜい嫌なことは見ないようにした方がいいよくらいではないかと感じます。


究極的に言えばネットに情報を出した人に責任が行き着きます、学校でネットに安易に情報を上げてはならないってネットリテラシーで教えるのは自分を守るためなのです、これは貴方の書いた小説も一緒で、この基本を忘れて表現の自由と言うと賢くないと感じます、まるで覚えたての言葉を使いたい子供の様にも見えます。


権利というのは魔法でもバリアでもない、自分が主張しきちんと行使する事によって初めて恩恵が受けられ、同時に相手の権利も守るものなのです。


話がリアルに逸れたのでなろうに戻しますね、プロが時間かけてきちんと設定を練ってしっかり時間を掛けて調べて書いているのに、素人が練っても居ない調べていない設定で適当に急いで書いたら穴だらけに決まっていますから、突かれて悔しいならきちんと調べて考えるべきで、それをしないなら可怪しいと言われて当然です。


どうしても言われたく無いのでしたら外に出さないのが一番安全で、出して批判を減らすためなら設定を練ってきちんと調べ考えた自身の世界を読者へ向けて過不足無いように表現し、物語世界に引き込めば、優しい読者が多いなろうでは皆さん黙って読んでくださります。


それでも指摘されたら該当箇所を修正する、返信で相手を納得させる、相手の主張が可怪しいなら違うと言えば良いし、直すのが面倒なら作者の物語はガバガバですと開き直って認めたらいいだけで、それすらも出来ないならネット公表なんてしない方が良いかもしれません、表に出すということは他人の批評する権利と衝突するからです。


確かに作者が作品でどんな設定出すのも自由で、貴方が神である作品世界のルールは貴方が決める世界ですから、それが悪いなどと申しません。


ですが批判や指摘が出る作品は総じて設定に穴があって、トンデモ設定に読者は何故できるのかの理由と説明を読者は求めているのです。


なろうは基本的にキチンとした説明があればある程度は納得してくれる素直な方ばかりですから、疑問が出るって事は作者の知識不足や想像力不足が原因で、そんな物を読者側のせいにしてはいけません、設定が甘いか貴方の描写が下手なだけと素直に受け止めましょう。


キャラクターに関しては価値観や社会性なども関わってくるし、作者の経験や読者の経験がバラバラですし、作者と読者が想像できる範囲や、キャラクターが個人にとって合う合わないもあるから一概には言えませんから認識の違いを覚悟しておきましょう。


例えば、リアルの女の子と付き合った事がない作者が書く女子がリアルじゃないのは、何かの媒体を参考に劣化コピーを書くからで、コピーだから中身が薄いのは仕方ないし、女性を知らないんですから存在自体ファンタジーにもなります。


でも女性を知らない読者にはそちらの方が魅力的に見えるかもしれませんし、むしろその層を狙っている作者ならこれは年齢=彼女居ない歴の方向け作品ですと、堂々と胸を張ればいい、そこまで主張してリアルじゃないという人は文字か空気の読めないお馬鹿さんなので、皆から冷たい視線を受けるだけです。


逆に作者がリアルの女性を知っていたら多少の我儘や男性と違う考え方が表現され、付き合った事がある方は納得したり面白いと感じるでしょう、反対に女性を知らない方から可愛くないとかヒロインぽくないなんて事を言われたりもするかもしれませんから、こちらはお子様お断りとでも書くべきかもしれませんね。


ですが設定に関してはあまり言い訳できないと考えます、良くなろうで使われる中世ヨーロッパ風だ、などと一言で表現しても残念ながら読者が考える世界は、論争になる位にはひとつひとつ違いがあるのです。


そんな当たり前の事も考えず、作者の中世感を一言で安易に説明して楽しようとしたから、結果として読者に通じなかった、それだけなんですよ。


世界背景の描写や情報が足らず世界の風土や雰囲気が分からないから読者が困っている、そこは読者の想像力不足じゃなく作品が100%悪い、無理があれば読む人はどうしても目につきます、アニメで言えば背景の作画が崩壊してるようなお話以前の問題です。


それでも素人のお話だから面白ければ我慢する方、もとよりそこまで期待してないからあえて無視する人は一定は居ます、それと同じくらい崩壊ぶりをネタにして笑ったり、作品が好き嫌い関わらず純粋に気になる方も層も居ます。


これは背景の作画崩壊で有名なったバンドアニメと、私の作品の一つ『工業系の物を出されると色々考えてしまうおっさんの話。』というエッセイへの評価が証明していると言いましょう。


こういった設定の穴は大概の人は実入りがないので無視をするか裏で叩きますが、そこを正しく指摘するアンチはむしろ親切で、設定に穴があるから感想でわざわざ指摘してくれる有り難い層だと感じるほうが良いかもしれません。


所詮は他人の作品ですから、その人が知識不足や経験不足で黒歴史作ろうと読者側はなんの苦労もありませんからね。


もちろん相手を貶める目的で愉快犯として叩くような書き方は別問題ですが、前置きをきちんとおいて言葉を正した方の指摘なら『ここがこうで気になります』『ここ変です、なんで出来るのか解りません』位まではまともなアンチだと思いますし、出来ればなにが変のか理由まで書くのが正しいアンチである、そう私は言いたいのです。


私的には正しいアンチと言うのは作品を読み込み指摘する人であって、ただ単に攻撃する人ではない、そこを履き違えると毒者一直線という結果になります。


アンチと言う言葉が元来の意味である反対や対抗の意味ではなく、単に攻撃する人という定義なっている気がします、アンチと認定する側も皆さん悪しざまに考え過ぎている気がします。


なろうの作者や読者は厳しい事を嫌いますが、元々正しい指摘をする発言というのはそれだけで勇気と知識が必要で、時として誤解を招くリターンの少ないボランティアです。


貴方が毒者だと決めつけ意固地になったり自分が正しいと意地を張るのは自由ですが、相手の言葉がきちんとした指摘の場合、貴方の読者以外は駄目な作者として貴方を認識することでしょう。


関係ないと無視をする冷たい人や、傷付いたら可哀想と遠慮する優しい人が多いなろうでは賞賛が過剰で指摘不足であると感じます。


それでもやはり創作と言うものには賞賛も大事ですのでガンガンやっちゃってください、貴方が好きな作品に愛を注げばいつか大きな花となり、貴方の人生に実りを与えてくれると思います。


そして擁護派の言うようになろうにはいわゆる毒者や錯者と言われる層は居ます、文字をきちんと読めない人や敬語も使えないような人、皮肉が格好いいと勘違いしている痛い子達です。


これらはエッセイなど短い作品でも本筋や前提をすっ飛ばし言いたい事を言うだけの無責任な存在ですし、私はこのような輩をアンチではなくただのヘイトスピーチ好きだと感じています。


その主張は理路整然はしていませんし、ただの感情論ですから何故そうなのか正論を返せばいいだけでなんですよ、屁理屈をこねる人も居ますそういう方には厳然なる態度は必要だと思います。


彼らは自分より弱いと思うと攻撃しますが、知識があったり口が立つ人に何度も噛み付く精神性を持ち合わせていません、小型のわんこがきゃんきゃん吠えてるだけと考えると案外怖くなくなると思います。


ですが中には本当のエリート毒者や、錯者と言う、まるで異世界に住んでいるような思考の方も存在しているのは事実です。


私が出会ったSF錯者さんですと蛍光灯やネオン管など世の中にごく有り触れたプラズマと、最近存在が証明された反物質が同等クラスに難易度の高い技術と思い込んで語る人が居ました、何度か別件でも絡まれたのですが、その時も中々おかしな理屈でお話なさっていたので、このクラスはなろうで活動するリスクという他ないでしょう。


まずは作者読者問わず、きちんと自身が正しいのか間違っているのか見極め自身が思う事を書く、これが表現の自由に必要な義務で有り、間違っていれば素直に修正し時にはきちんとお礼を申し上げるべきだと思います。


直すと自身の作品の描きたい雰囲気が壊れるなら、そこはこういう世界なんですと作者は意地を張ってください、そしてそれが作品の醍醐味と思う人がいるかもしれませんから、誰も聞いていないのでしたら指摘する時はメッセージで囁くのもいいかもしれません、これなら当人間の問題です。


この世にある全ての権利は義務と表裏一体の物です、自由を謳うのでしたら義務をこなさければならず、ただ権利ばかりを声高に叫ぶのは利権団体やマスゴミ等と揶揄されている集団と何も変わないのです。


なろう全体が気付かず今の風潮を続けていれば権利ばかり求める都合のいい表現の自由を語る巣窟であると、世間から思われる日も来るかもしれません。


私が語る言葉は若い内は分かり難い考えだと思います、若い方は自身が守られ与えられた自由ばかりが目の前にあって義務は見えていないと感じますし、だからこそ義務があるから自由は担保されていると私は気付いて欲しいと思っています。


貴方が作品で自由を謳歌すると同時に、他の人も作品を自由に批評する権利を有しているのです。


ネットに作品を出したら評価も批判も全て貴方の責任で、作品への批評が不当なら言い返してもいい、面倒臭けりゃ放置でいい、正しいと思うなら素直に認めて直してもいい、批評が辛いならやめてもいい、作者にはこんなにも沢山の自由が認められています。


だからこそ出された作品へ読者が思う評価を下すのも表現の自由でなんです、それは作者や他の人間がやるなと言って封殺してはいけないし、討論するのは良い事ですから大いにやってください、それが本当の表現の自由といえるのです。


仮に貴方がそうじゃないと思うのでしたら、街宣右翼が堂々と街宣車を走らせる理由や在日の方がデモを出来る理由を考えましょう、あれも表現の自由を行使しているから出来るんです。


実は政治批判までも許される権利なんです、それを知った後なら自由に感想を言う事を押さえつけるのが如何に重大な権利侵害であると気付くでしょう?


理解もしていない表現の自由を振りかざし、人の作品を批判する奴はダメだやってはならない!などとエッセイで語るのは誰かの自由を守る俺ってカッケーと酔っている、非常に情けなくも深刻な権利侵害の問題行動だったりするんですよ。


もちろんこう言うエッセイもやっても良いですよ、ですが正当にやりたいなら表現の自由は語らず、あくまで個人の意見です位は前置き居るでしょうね、そして相手の反論をきちんと受ける覚悟でやるべきです、先に殴ったのはエッセイの作者ですから読者から殴られる覚悟は必要でしょう。


私が思うエッセイでアンチに言うべき事って、読者側は批評ならきちんと批評しましょう、せめて敬語は使いましょう、厭味や皮肉は出来るだけ控えましょう、作者側は間違いは受け止めましょう、批判されても感情的にならないように頑張りましょう、この程度の小学校の道徳レベルの話だと感じています。


残念な事に、近頃なろうも含めインターネットでこの程度の道徳が出来ない人が非常に多いのが問題であって、作者も読者も極端に走り過ぎではないかと苦言を呈したいのです。


インターネットは表現の場としては危険な場所です、ネット小説はハードル低いなんていう人は一度ネットリテラシーを一から学び直す事をお勧めしたい、なろうは表現の自由を持った人間が作品を自由に批評出来る場です、これはナマの感想が貴方自身に直接届くという楽しくも恐ろしい場所であるという事でも有ります。


これはなろうでここ迄活動し、沢山の否定と肯定を受けて、その時に己が持てる出来るだけの誠意を持って全ての感想にお返しをして感じた事なのですが、全ての自由は無制限ではないし相手も同様の権利を持っていると考えて書くのが正しいと感じます。


書こうとする言葉を考えて下さい、己の自由だけを見るのではなく作者も読者も他人を侵害する事なく語りあって欲しいと思います、私達書く側は最初にみなさんに声出す側ですからとき叩かれる事もあります、そうして間違ていると感じたら、やっぱり謝るのも必要で時に相手のご意見が正しいと感じれば修正も大事だと思います。


全ての人が互いにイーブンで自由に語れば時に批判を受けるのは仕方ないと気付けば、社会や人を理解できる様になり、作品の設定に厚みをもたせ結果として物語を面白くしていくと思います、そんな表現の自由と義務の両方を持ち合わす作者になりたいものだと私は思っています。

感想欄にて皆様のご指摘を受けて一部表現が強い所を修正し、アンチの前提がぶれているとのご意見を取り入れ、私にとってのアンチの定義を追加する修正をしました、それと句読点が読みにくいと指摘があり少々調節してみました、更に名誉毀損を助長しそうというご意見を受け表現を一部修正、皆様ご指摘ありがとうございました。


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