9.王子の苦悩
美香 (ミカエル):異世界パンゲアに転生してきた元男で現美少女。
エリック:美香と転生を共にした男性。元々パンゲアの住人。
ケビン:白の国の執事長。
アイリーン:白の国のメイド長。
ロナルド:白の国の王。
アルヴィン:白の国の第一王子。
王都に辿り着いた四人。一方、その頃王宮では……。
ジェネラルサントス中央に位置する白の王宮。
さらにその中央にあたる王室で、現ロナルド王とその息子、アルヴィン第一王子が向かい合って座っていた。ロナルド王は能面のような笑顔を貼り付けて、対照的にアルヴィン王子は険しい表情で対面していた。
「もう一度言ってくださいますか?」
アルヴィン王子のその表情は、疑問と驚きとーー怒りで満たされていた。
「アルヴィンに新しく専属の使用人をつける。早ければ明日にでも」
「っ!」
「話は終わりだ。お前も仕事溜まってるだろ?」
ロナルド王はもう何を言っても耳を貸さないという風に手元の書類に目を落とした。提案ではなく、命令だ。
「……分かりました、失礼します」
アルヴィンはなるべく気持ちを押さえつけ、平生を装って部屋を後にした。
*
父さんは何を考えているのだろう。
アルヴィンは父親に先程言われた言葉を反芻し、その度に怒りのあまり顔をしかめた。廊下を早足で歩くアルヴィンとすれ違う使用人たちは、珍しく怒りを露わにしている王子を見てビクビクしている。しかしそのことに気を払うことさえできないほどに、アルヴィンは気を張り詰めていた。
自分にもっと力があればその提案を撥ね付けることだってできたのだろうが、今のアルヴィンにはそんなことは出来なかった。いくら自分の実の父親といえど大陸最大規模を誇る白の国王であり、自分は所詮まだ十七になったばかりの第一王子に過ぎないのだ。
父親の半ば強制的な提案、すなわち命令を受け入れざるを得なかった。
その提案も、どれだけ考えても真意が掴めない。
新しく専属の使用人を付けるだって?
母さんの代わり?ふざけるな。
今までアルヴィンの身の回りの支度をしてくれていたのは母さんだった。王妃として忙しい中、なんとか時間を作って世話をしてくれていた。
自分もそれに頼り、依存していた。
だから一月ほど前、母さんが亡くなってからは埋め合わせに酷く苦労し、今もマリーに出張ってもらっている状況だった。しかし当然、心にぽっかりと空いた穴が埋まることはなかった。
それに加えて新しい使用人なんてーーありえない。
新たな専属使用人が来るということは、すなわちそいつは元の母さんのいた枠に収まるということなのだ。アルヴィンにはその事実は到底受け入れ難いものであった。
それがただの我儘だと自覚していても、だ。
自室に帰ったアルヴィンは、机に積まれた書類の山を見て一気に現実に引き戻された。そうだ、今は新しい使用人のことを考えている暇などないのだ。
リア王妃、すなわちアルヴィンの母親がいなくなってからというもの、アルヴィンの仕事への集中力の無さは尋常なものではなかった。半時間もまともに保たず、すぐにぼーっとしてしまう。これではだめだと理解していても、気付けば手は止まっている。おかげで処理が間に合わず、剣の稽古にも参加出来ていない。食事もあまり喉を通らない。体調は優れず、だが溜まる仕事を前にして休むわけにもいかない。
完全な悪循環に陥っていた。
それらは全て母親がいなくなったことのストレスによるものだった。生まれてからずっと王子として育てられてきたアルヴィン。周りの者全てが使用人で、上下関係が明確化された環境。特定のメイドや執事と仲が良くなっても、あくまで主君と従者という基盤の上から抜け出すことはできない。
無条件に与えられた地位。無自覚におだてられた権力。
自分がただの置物になってしまったような感覚。買われて、手入れされて、愛でられ、そして飽きられる。存在価値のなくなったそれは見向きもされなくなる。
そのことに恐れ、怯え、立派な王子になろうと責め立てられるように努力を続けてきた。
そんな生活の中で母親だけがアルヴィンの癒しだった。
母親といるときだけは、白の国第一王子としてでなく、一人の未熟な子どもとして振る舞うことができた。我儘を言うのも涙を流すのも、アルヴィンが本当の姿を見せるのはーー見せられるのは母親の前でだけだった。
時に優しく、時に厳しく、息子として自分のことを思ってくれていた母さん。
そんな母さんもーーもういない。
そしてその枠に新たな使用人が来ようとしているのだ。喪失感と虚無感から抜け出せずにいる今のアルヴィンには、あまりにも残酷な仕打ちだった。
「はあ……」
思わず溜め息が溢れでる。
これではいけないと、アルヴィンは溜まった仕事を片付けようと筆を取るが、なかなか思うように進まない。すぐに手が止まってしまう。
自分は今までどのようにして処理をしてきたのだろうか。分からない。やる気が起こらない。これではいけないと無理矢理自分を奮い立てるが、それも長くは続かない。
どうしたものか。
と、そのとき扉が開く音がした。
「お、お邪魔します……」
「マリー、どうしたんだ」
マリーは律儀に頭を下げ、アルヴィンも会釈を返した。ここ一月マリーには通常業務以外に世話もしてもらっているのだから、こちらの頭も上がらない。
「え、えと……アイリーンさんとケビンさんが戻りました。すぐに顔を出すとのことです」
「わざわざありがとう」
「いっ、いえっ!」
マリーは過剰なほどに首を横に振り、ふわっとした栗色の髪がその度に揺れる。心なしか顔が赤い。疲れているのだろう、やはり申し訳ない限りだ。
「あ、あと、御夕飯はどうなさいますか?」
「……ここでとらせてくれ。すまない」
「は、はいっ、わかりました。お時間になればお持ちしますね」
「頼む」
アルヴィンは先ほどの父さんとの会話を思い出し、苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。今父さんと向かい合って食事をしたら、通らない食事がさらに通らなくなってしまう。
マリーはやはり、失礼します、と言って部屋を出て行った。
さて仕事をせねば、と意気込み座り直すと、また扉が開いた。
本当にすぐなのだな、と苦笑する。几帳面なアイリーンらしい。
「アルヴィン様、ただいま戻りました」
「ただいま戻りましたー」
そこには着替えたのであろう、整った戦闘服を着たケビンとアイリーンの姿が見えた。大した任務ではなかったにせよ、二人の無事な様子を見てほっとする。
「おかえり。アイリーンもケビンもご苦労様」
「勿体無い御言葉です」
アイリーンはきちっと背筋を伸ばして頭を下げる。反してその隣に立っているケビンは軽く会釈するだけだ。
メイド長と執事長という王宮を回す双塔でありながら、この正反対の態度はもはや日常と化している。
アルヴィンはケビンの態度にも気を悪くすることもなかった。彼らは主君と臣下である前に、無二の親友であった。幼少期に出会い、歳も近く、互いの戦闘術を尊敬し合い、高め合う二人は、まさに心で通じ合った友であったのだ。
「それで……例の使用人ですが…………」
アイリーンは早速本題に入った。
父さん曰く、ケビンとアイリーンはその新たなメイドを迎えにわざわざ遠出していたらしい。六臣下が二人も付くとは只事ではない、しかも三等の火車でだったという。厳重体制でありながらお忍びだというのだから、何が飛び出てきてもおかしくはない。ヒューマンかどうかすら分からない。父さんが一躍抜擢するほどの人物なのだから何か秀でたものがあったり特殊なものがあるのだろう、とは思うのだが。
「どうだった?」
アルヴィンは緊張を含ませて問う。
「可愛らしい容姿をした少女でした」
「……それだけか?」
「それ以外には、何もありません」
それは苦渋の答えだった。
アイリーンは悩みに悩んだ。ミカについてどう説明すべきかを。
アルヴィン王子はリア王妃を大層愛していらした。そのリア王妃がお亡くなりになって深く悲しんでいらっしゃる王子に、真実とはいえ、ミカの容姿がリア王妃に似ているなどと言ってはきっと不謹慎に違いない。だからといってそれ以外に大した特徴もないのがミカだった。元男だと言っていたが……おそらく風呂から逃げるための口から出まかせだったのだろう。あんなにも可愛らしいのだから。
ともかくミカについての報告は至難を極めた。さすがのアイリーンもまさか出自も分からないヒューマンで、それどころかパンゲア語すら分からない少女が出てくるとは思わない。
結果、容姿について触れながら詳しくは語らないことにしたのだ。それが一番無難だろうと判断してのことだった。それにどうせ明日にでも会うことになるのだ。ミカのためにも、なるべく悪印象は与えたくなかった。
「相手方はお疲れですぐにお休みになってしまいましたので、明日の朝お会いできるかと思います」
「……わかった」
アルヴィンはしばらく考える風に空を眺めていたが、「とにかく二人ともゆっくり休んでくれ」と言って二人を退出させた。
ケビンは扉が半分くらい閉まったところで足を止め、「アルヴィンも気に入ると思うぜ」とだけ言い残し、楽しそうに笑って去っていった。
*
「ふう……」
もう仕事にもならない。アルヴィンは仕事用の席から離れ、ベッドに腰掛けた。
どういうことだ?
容姿が優れているだけだという新たなメイド。そんな少女をわざわざ父さんが選んだりするだろうか?美しいというならアイリーン、可愛らしいというならマリーも十二分に優れている。
しかしアイリーンがそう言うからには、おそらく本当にそうなのだろう。
ただ、どれだけ可愛らしい少女であったとしても、母さんの後釜は決して務まりはしない。彼女には申し訳ないが、すぐに辞退してもらおう。
アルヴィンはそう再決意したのであった。
*
夜も深まった頃。
アルヴィンは寝室でごろごろと寝付けずにいた。近頃はずっとそうだ。心身ともに疲れ果てているのに、しっかりと眠りに就くことが出来ない。寝なければと思えば思うほど頭は回り、思考は冴えゆく。
こうなったらもうダメだ。
ストレスかまた別の何かが身体に充満していて、アルヴィンの体の中で暴れ出すのだ。
こうなったとき、アルヴィンがする行動は決まっていた。
ベッドを抜け出して適当な毛布を手に取り、ひっそりと部屋を出る。やましいことをしているわけでは決してないのだが、沈黙に包まれた薄暗い廊下と、臣下たちを起こしてしまいたくないという気遣いがアルヴィンをそうさせていた。
無事ーーという表現は些かそぐわないがーー夜警にも会わずに目的の場所に辿り着くことが出来た。
アルヴィンが足を運んだのは、普段は目にも着かないような、小さな小さな中庭。
そこはアルヴィンお気に入りの場所。
母さんとの思い出がたくさん詰まった場所だった。